どうもありがとうございました。 これから自由にご発言いただこうと思います。 まず皮切りに、 丸茂先生どうぞ。
最初の鳴海先生とミレーナさんのご報告はデザインガイドラインから出発されているようですが、 江川さんのコメントをうかがうと屋根の形にこだわることはないと強調されていました。 デザインガイドラインの中で、 屋根の形に言及していることの有効性について疑問を提示されたのだろうと思いますが、 ではガイドラインがない方がいいのかというと、 そう簡単に断定はできないと思います。
ガイドラインに沿って作られた山形の例を見ると、 確かにガイドラインの有効性を疑わせるような建物です。 しかし、 これはガイドラインのせいと言うより、 建物を設計するデザイナーの上手下手が決定的に大きな意味を持っているのではないでしょうか。
どんなガイドラインを作っても、 そういうことは出てくると思います。 むしろ山形の場合には公共建築を建てようとした際、 どういう手続きでその設計者が選定されたかの方に注目したい。 デザイナーがうまければ大屋根でもちゃんとできるし、 そうでない形でもちゃんとできるかもしれません。
なぜそうなってしまったかと考えてみると、 アイデンティティと言った場合、 それを強く意識するのは個人的なレベルですが、 今我々は生活の中で「洋服」を着て、 食べ物は和洋中、 カラオケで歌う歌は演歌からポップスまで千差万別です。 好き勝手に選ぶ中のひとつとして建物も選びますから、 和風もあれば洋風もあるということになるのです。 建築や環境は「消費されるモノ」のひとつになっています。 我々のアイデンティティを支えるふるさとではなくなっているということだと思います。
それが高層化されてきたから、 壁が日本の建築の中で主要な要素として出てきたわけです。 今、 建物の壁面はどんどん洋風化していますが、 日本的なるものの最後の抵抗として屋根にこだわっているようにも思いました。
それを体にたとえると、 ボディは洋服を着て洋風のお化粧も上手になったけれども、 黒髪だけは維持してきた。 ところが、 最近は黒髪もやめて茶髪がどんどん増え、 見ている方も慣れてきてしまったわけです。 数十年もすると、 もうどこにも日本人らしさを感じるものはなくなってしまうかもしれない。 アイデンティティのよりどころを失いつつあるのだろうと思います。
ところが新興住宅地は反対です。 壁は非常に単純でシンプルなトーンのアイボリーなどを全面に塗っている。 派手な色の壁面は新興住宅地ではほとんど見られません。 なのに屋根だけは、 赤、 青、 緑とすごいバリエーションがあるのです。 高いところから見ると、 まさに混乱の極みで、 都会と変わらない光景でした。
屋根景観が地域景観を支配しているのです。 壁の景観は近接した街路にしか影響を与えません。 ですから、 コミュニティのまとまりを屋根で表現することを簡単にあきらめてはいけません。 今のガイドラインがいいのかどうかは分かりませんが、 ガイドラインの有効性は考えるべきだと思います。
黒髪から茶髪に変わった日本の屋根
丸茂弘幸
鳴海:
デザインガイドラインを擁護する
丸茂:
屋根と地域のアイデンティティ
次に問題となってくるのは、 今日のお話のメインテーマだと思うのですが、 アイデンティティとの関わりで屋根はどうあるべきかということです。 上手下手の問題ではなくて、 地域のアイデンティティに関わることです。 これも、 今では日本だから和風というわけにはいかず、 洋風、 和風、 アジアンテイスト、 ヨーロピアンと様ざまで、 そう簡単に解決できなくなっているのが日本の現状だと思います。
日本らしさの喪失は生活全体の流れ
また、 先ほど江川さんのお話に出た壁と床と屋根の定義についてですが、 日本の伝統的な集落は明らかに屋根で表現されています。 ほとんど、 壁は見えない。 まさに、 コミュニティのまとまりを屋根で現わしている光景です。
屋根が地味な伝統的集落と、
ちょっと話は変わりますが、 昔、 竹原で建物の意識調査をしたことがあります。 その時気がついたのは、 地区の伝統的な集落と新興住宅地での色の使い方の違いです。 伝統的な集落では壁や柱に紅殻を塗ったりしており、 豊かな色彩感覚がありますが、 屋根は基本的にグレーや灰色と地味な色なんです。 高いところから見ると、 豊かな色彩感覚は見えず、 屋根だけが印象に残るのです。 やはり、 コミュニティのまとまりを屋根で表現しているのです。
壁が地味な新興住宅地
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