今日は学生さんが多く来ていらっしゃるので、 解説しながら今日の整理をしてみたいと思います。
佐々木さんが整理した3つの「パラドックス」は、 存在感のある公共空間をどう作るかということになると思います。 作る側として語られましたが、 同時に我々は利用者としても体験することにもなります。 街を歩いていて「いいなあ」と思うのは、 普通は利用者の目で見るときです。 そう考えると、 「存在感のある」は「感動のある」という言葉にも代えられますが、 「感動のある公共空間」とは何なのか。 別にハイウエイに感動を求めようとは思わないでしょうから、 ここで語られている公共空間とはそれとは別のものということになります。
「いいなあ」と思える公共空間の例に「日本の道百選」があります。 これは日本の代表的な道を集めたものですが、 この中には山道や登山道など今となっては作れない道も入っています。 ハイウエイは作れるのですが、 「感動できる道」は今の法律では作れません。 デザイナーは「作れない道」をどうやって作ればいいのかという命題と格闘するドン・キホーテみたいなところがあります。
ところで、 今日の三谷さんのお話で気になった言葉が「断片」「あまり」「間違いで作った」というものです。 街を歩いていて面白いと思うのはそういう訳の分からないもので、 それがあることで空間が豊かになることがよくあるのです。 これを私たちは発見して感動するのですが、 デザイナーはそれを仕掛けないといけない。 昔からあったように自然に見えるのは上等の仕掛けで、 「断片」「あまり」というのはデザイナーが仕掛けている触手だと思うのです。 そういうものを持っている空間は、 マニュアル通りに作っていても感動させる可能性はあると思います。
また、 「街との距離」という話題も出ましたが、 人はどこかに気をとられてしまうから街との距離感を感じるわけで、 街との距離感を感じさせる空間を作ると感動できる可能性が高い。 ですから、 どう街との距離を置くかという空間づくりに工夫しているなと思いました。
あと、 作家性などの話がいろいろと出ましたが、 加藤先生が最初におっしゃったように、 私も存在感のある公共空間はいろんなヒエラルキーがあってほしいと思います。
何もない方がいい公共空間もいっぱいあるんですよね。 例えば私が好きなのは、 屋台や露店がある道路なんですが、 あれは空間を開けておけばいいので、 デザインなんか必要ないのです。 しかし、 そういう屋台のある風景をいいなと思うのが私だけしかいなかったら、 単なる私の趣味でしかない。 いいなと思う人が世間の30%ぐらいに広がったら、 公共性につながってくると思います。
最後に「パブリック」という言葉について。 よく言われる話ですが、 西欧では市民社会がパブリックに人格を与えているが、 日本には市民社会がないからパブリックに人格がない、 匿名だと言われています。 しかし、 日本のパブリックにも昔のお町内のように人格があるような気がします。 ヨーロッパにはヨーロッパの人格があるし、 日本には日本の人格があると思います。
佐々木:
どうもありがとうございました。 長時間になりましたが、 話している我々には刺激のある面白い討論ができたと思います。 みなさんはどうだったでしょうか。 年末にも「パブリックを問う(2)」をする予定で、 その時はまた違う視点の話もあろうかと思います。 次回もぜひご参加ください。