これからは何か統一感のあるイメージでお客に訴えるのが大事じゃないかと言ったわけです。 神戸の元町は「おしゃれでハイカラの元祖」という自負があるのなら、 ファサードを石造りか異人館のイメージに変えたらどうですか、 統一したイメージが必要でしょうと言いました。 また、 アーケードがあると普通の商店街になるから、 いっそやめてファサードの面白さで勝負した方がいいという提案もしました。
ただ今あるファサードを変えるのは大仕事になりますから、 今あるファサードを1mほど張り出して揃えてはどうかという提案でした。 というのも、 今の商店街の道は戦後の区画整理で広げられたのですが、 道が広すぎるのが気になっていたのです。 商店街の道があまり広いと、 いつも人がまばらな感じでイメージが良くない。 商店街の道には、 人と人の肩がちょっと触れ合うぐらいの賑わいが欲しい。 大阪の心斎橋筋商店街ぐらいが適当ではないかと思っています。 ですから、 元町もそれぐらいの広さにしたいと思ったのです。
今は行政が持っている道ですが、 区画整理で街が減歩を我慢して広げられた道ですから、 街のために行政から貸してもらっても良いのではないかとも思いました。
二つ目の提案としては、 街全体の賃料を2割か3割下げてはどうかということです。 大体、 衰退していく地域の賃料はその地域のあるべき賃料より高いことが多いのです。 だからいい店が集まらない。 旧居留地の成功も、 元々は賃料を思い切って下げたことから始まったのです。 高い賃料にこだわるから、 パチンコ、 ゲームセンター、 ファーストフードというキワモノしか来なくなるのです。 いったんそうした店が入ってくると、 その街のグレードは回復不可能なほど下がってしまうのです。 そうなる前に、 2割、 3割と賃料を下げていいショップを集めてはどうか。 街を再生させるためには、 率先して賃料を下げるしかないと提案いたしました。
その点を商店街の人たち全部が納得することが最大のポイントだと私は思います。 賃料を下げる代わりに、 空き店舗が出た場合は商店街の責任でそこを埋めてあげるというサービスも必要でしょう。
しかし、 私の見るところ、 元町商店街はそこまで落ち込んでいたと思います。 ところが危機感はあまりなかった。 口では困っていると言いながらも「私の所は老舗だから大丈夫。 よそさんが心配なんです」と思っていたらしい。 つまり、 全体のことは心配なんだけれどウチが犠牲を払うのはゴメンだという意識です。 こういう虫のいいことを考える街は最初から近づかない方がいいと思います。
やはり街がやる気を持って、 「私が変えるんだ」という意識を個々が持つことが大事なんです。 犠牲を払いたくないという所に、 行政が金をつぎ込んで活性化しようとしてもあまり効果はないでしょう。
何度も言いますが、 旧居留地の成功はゴーストタウン寸前まで追い込まれ、 最低の賃料から出発したからです。 このぐらいの「ゼロからの出発」という覚悟が衰退した街を活性化させるためには必要なんです。
これと似たような面白い成功例が、 大阪のアメリカ村です。 ここも御堂筋を一筋越えた所にあった「どうしようもない街」でした。 賃料が安かったことから若い人たちが集まって、 自分たちの街を作っていったんですね。 ニューヨークのソーホーも若い人たちが集まって素晴らしい芸術の街を作ったのですが、 今では有名になりすぎて賃料も高額になり、 面白くない街になっています。 街とは生き物だなと感じます。
4。 神戸・元町商店街の躊躇
私の所は犠牲を払いたくない
元町商店街(元町より)
少しはずれた所、元町側を見る
少しはずれた所、反対側を見る
活性化のための2つの提案
一つは、 元町通りにある各商店のファサードを石造りで揃えるということです。 今もそうですが、 元町通り商店街の店は素材も様式もバラバラで、 神戸の由緒正しい商店街というイメージは何一つない。 どこにでもある地方の商店街です。
商店街の人々の反応
この二つの提案をしたところ、 商店街の人たちは渋い顔をして横を向いてしまいました。 特に賃料を下げるという提案が彼らの気持ちを逆なでしたようです。 ありありと気分を害していて、 顔には「元町はまだ坪5万円でも借り手がいるんだ。 あまりバカにするな」と書いているように思えました。 私は早々に話を打ち切らざるを得ませんでした。
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