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インタビュー

ドイツ・ベルリン市/トルコ人協会会長に訊く

 1995年7月6日、 ベルリン市クロイツベルク区に拠点をおいて活動するトルコ人協会(Turkish Commuity of Berlin)の会長チャックマック氏に、 トルコ人集住の経緯や現在トルコ人がドイツ社会で置かれている状況について、 お話をうかがった。

   

トルコ人協会の概要を教えて下さい

 設立はベルリンのトルコ人関係の組織の中で最も早い1983年である。 70年代に自然発生的にできた多数のトルコ人グループの抗争が激化したが、 同国人同士の争いは無益であることに気づき、 お互いに協力して問題を解決するために、 この協会を設立した。 会員は、 他のトルコ人組織や法人である。 この協会は、 執行理事会と実行委員会により運営されており、 実行委員は理事会から2年毎に選出している。

   

 理念として、 一切暴力を使用せず、 特定の政党を支持しない「自由な民衆のための組織」を掲げている。 右翼・左翼組織や宗教活動を排除し、 ベルリンに住んでいるトルコ人の様々な問題を解決するために活動している。 また、 トルコの文化センターやモスクを建設し、 トルコ人としてのアイデンティティを守る活動に力を注いでいる。 コンサルティングを行い、 援助を必要としている組織に何らかの形で支援している。

   

なぜクロイツベルクにトルコ人が集住したのですか

 西ベルリンは旧東独内の孤島であり、 ここを守ることは重要で、 西独政府は当時、 様々な優遇政策を行っていた。 年3回の西独への渡航費援助や各種の手当は外国人にも支給があったので、 ベルリンに、 特にその中でも『壁』に近く低家賃の老朽住宅が多数あったクロイツベルクに住み着いたトルコ人が多かった。

   

 ベルリンは本来はサービス業で成長してきた都市だったので、 外国人労働者は望まれなかったが、 自動車産業の小規模な下請け工場が多数立地しており、 機械工学や機械工としての専門知識を持ったトルコ人が多かったこともあって、 仕事を見つけるチャンスはあった。

   

 もともとは家賃の低さでクロイツベルクにトルコ人が集まってきたのだが、 トルコ人が多くなってドイツ人は他へ移っていき、 そこにまたトルコ人が入居するという経緯で集住が進んだ。

   

 当初は2〜3年でお金を稼いで帰国しようと考えていたトルコ人が多かったが、 1960年代のインフレはひどく、 滞在を延期する人が多かった。 滞在が中期化すると、 子どもを国に残しておけず呼び寄せる人が増えた。 当然ドイツで学校に通うようになった子ども達は、 トルコ語を話さなくなり、 帰国しても上手くいかないというケースが多くなり、 ドイツに戻ってきたり、 留まったりする家族が増加した。 子どもが卒業したら、 あるいは職業訓練を終えたら帰国しようと考えていたが、 その頃には子ども達は完全にドイツでの生活に慣れてしまっていた。 子どもを置いて親世代はいつでもトルコに帰れるようにと、 トランクと一緒に生活をしていたが、 結局残ってしまった。 最近になってようやく気づいたが、 我々は永久にトルコに帰ることはできない。 今は、 ドイツ国籍を取得して、 市民になることを選択しようとしている。

   

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トルコ人の置かれている状況を教えて下さい

 1980年に約600万人がドイツで国籍を取った。 ベルリンでは1994年現在で約4000人が市民権を得ている。 現在では約27,000件の市民権取得の申請が出されている。 クロイツベルクのトルコ人は、 第一世代である35〜50歳が最も多い。 次に第二世代が多く、 第三世代はまだ少数である。

   

 職業は、 被雇用者がもっとも多い。 建設関係が多いが、 ほとんどの業種に進出している。 現在ではトルコ人が経営する企業は322となり、 なかには123,000人が自営業者で、 家族経営等小規模な事業主が圧倒的に多い。 1993年にはドイツ全体で35,000人が、 ベルリンでは12,000人が独立している。 医者やエンジニア等アカデミックな職に就いている人もいる。 彼らは収入が非常によく、 別の地域に住んでいる場合が多い。

   

 所得はドイツ平均より高く、 生活保護をもらっている家庭は少ない。 トルコでは大家族型が主流であったが、 ここの生活では核家族化が進行している。 ドイツでのトルコ人全体の貯蓄額は600億ドルに達している。

   

 かつては給与の46%を貯蓄に回しており現在では14%に減っている。 この数字からもトルコに貯蓄を持ち帰ることをあきらめ、 ドイツで生活のために使う金額が増えていることがわかる。

   

 トルコ人が支払っている税金と社会保険料は年間700億マルクに達し、 ドイツの国民総生産の約20%はトルコ人によるものだ。 トルコ人なしでは、 ドイツ経済は成り立たなくなっているのである。

   

 しかし、 我々は多くの問題を抱えている。 特に最も大きな問題は差別問題で、 長い間この問題で苦しんできた。 また、 近年は、 失業が深刻で、 第一世代の約30%が、 第二第三世代では約40%が失業し、 その率は年々高くなっている。 公共職業斡旋では、 トルコ人は最も冷遇されており、 簡単に職に就くことは難しい状況である。 また、 トルコ人を狙った暴力事件が非常に多いことも残念である。 ドレスデンの周辺の町やソーリンゲンでは、 左翼が難民やトルコ人を含めた外国人に対して暴力をふるう事件が頻発しており、 また、 トルコ企業も恐喝等による被害を多数出している。

   

住宅や住環境についてはどんな問題がありますか

 現在では、 トルコ人家族は設備の整った十分な住宅を確保している。 ドイツ全体ではトルコ人の約11%が自分で家を買っているが、 最近来たトルコ人の中には質の悪い住宅に入らざるを得ない人もいる。 ベルリンには低廉な住宅が絶対的に不足しており、 当然ドイツ人やEC諸国出身者、 アメリカ人等が優先されるからである。 トルコ人がいると居住環境が悪くなると考えるドイツ人も少なくない。

   

 新しい住宅やセイレンドレフ等の高級住宅地に家を持ちたいと考えているトルコ人も多く、 実際に経済的にも問題のない家庭もあるが、 差別の問題で実際に引っ越すことは難しい。

   

 クロイツベルクでは、 現在再開発が盛んで、 それに伴う立ち退きにより、 次の住宅が見つからないという問題もあるが、 クロイツベルクの悪いイメージを再開発によって新しいものにできると、 トルコ人は基本的に再開発には賛成している。 家賃は多少上昇すると思うが、 上限が規制されているので、 特に心配はしていない。

   

 集住のメリットは、 外国人比率が高いと極右や極左等の勢力が活動しづらく、 比較的安全であるということ。 また、 クロイツベルクには他の外国人や少し変わったドイツ人が多いため、 マルチカルチャーを体験できるということ。 デメリットは、 トルコ語で生活できるため、 ドイツ語習得の機会が少ないこと。 ドイツ語ができないということは、 職業訓練を受けるチャンスが少なくなることを意味するからだ。

   

今後の活動の展望を教えて下さい

 1995年5月にヨーロッパ5か国で少数民族を保護する協定が交わされたが、 ドイツ政府は、 国内のポーランドとトルコ人は少数民族としては認めないという条件付きで調印した。 非常に不満である。

   

 我々は、 ドイツ社会の中で、 トルコ人を少数派として認め権利を保障し、 差別をなくすことをめざしていきたい。 具体的には、 無期限の滞在許可を得た時点で市民権の申請の権利を得られること、 本人が望めば2重国籍を持てること、 イスラムも宗教として認知すること等を政府に要求していく。 我々の権利を守ってくれる野党勢力をつくっていくことも今後は考えたい。 極右勢力による暴力については、 我々は自分たちのパンフレットを作成し、 公共に対してトルコ人が過去30年間いかに貢献をしてきたかというキャンペーンを行っている。

   

 民族のアイデンティティ問題については、 朗報もある。 ドイツ語に加えて母国語ででも教育を受けられるヨーロッパ学校を建設しようという構想があり、 1996年にベルリン市が初めて建設することになっている。 そこでは、 お互いをきちんと理解しようという試みで、 ドイツ人もトルコ人も両国語で学ぶことができるようになる。 大きな進歩である。

   

 我々トルコ人は、 ドイツの中で特権を要求しているのではなく、 市民として認めて欲しいということ、 ドイツ社会で平等に扱かわれることを望んでいるにすぎない。 これらが実現されなければ、 我々はドイツ社会に責任を持つことはできないだろう。

   

 最後に、 日本の状況に一言。 日本でも同じことが言えるだろう。 日本が外国人を社会的に平等に受け入れることが可能であるなら、 外国人も日本社会に貢献し、 日本を支援していくと思う。

(インタビュー:稲葉・塩路・小菅、 文責:小菅寿美子)

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