しかもこの数値は1994年の統計によるものなので現在はさらに増加している。 また全国の公営住宅の中には、 既に外国人世帯の割合が、 全世帯の過半数に達しているところも出現している。 さらに外国人居住者の多い地域の保育園や小・中学校では外国籍児童の数も急増している。 これらの状況は、 いったい何を物語っているのだろうか。
バブル経済の興盛期、 怒涛のように押し寄せてきた外国人流入現象に対して、 マスコミが連日「日本は開国か鎖国か」といった不毛な論争を繰り返していた頃は、 外国人といえば就学生や留学生、 あるいは出稼ぎ目的の就労外国人として捉えられ、 いずれも単身で来日し数年後に帰国する流動層であるという認識が一般的であった。 しかし、 その後10年を経過して、 外国人居住問題が、 流動層の問題から定住層の問題へ移行してきた背景には、 日本で暮らす外国人の属性が変化し多様化してきたことがあげられる。 具体的には、 家族で来日する外国人や、 家族を形成する外国人が増えてきたということである。
家族として生活する外国人は、 主に「日系人」「中国帰国者」「インドシナ難民」など定住ビザを持っている人たちと、 日本人の配偶者となったフィリピンをはじめ中国、 韓国・朝鮮などの人たち(主に女性)である。 例えば在留資格別外国人登録者数の推移で1988年と1996年を比較すると「定住者」という在留資格を持つ人は、 31,846人(3.4%)→172,882人(12.2%)、 「日本人の配偶者等」という在留資格を持つ人は、 57,031人(6.1%)→258,847人(18.3%)と急激に増加している。
ブラジルやペルーから日本に働きに来る「日系人」は、 以前は日本国籍をもつ一世・二世の出稼ぎが中心で数も少なかった。 しかし1990年に入管法が改正施行されたことによって、 外国籍の日系二世・三世が「日本人の配偶者等」や「定住者」の在留資格で来日できるようになり、 著しくその数が増加している。 彼らの多くは、 アジア系不法就労者に代わる労働力として東海地方から関東地方にかけての自動車工場や家電メーカーなどの工場労働者として働いている。 家族を呼び寄せる人が多く、 低迷する日本経済の状況にも関わらず、 その数は増加しており、 かつ滞在を延長する傾向が見られるという。 ちなみに南米出身の外国人登録者数は、 248,780人(外国人登録者数全体の17.6%、 1996年12月末日現在)に達している。
次に「中国帰国者」とは、 中国残留婦人・孤児およびその呼び寄せ家族のことをいう。 残留婦人・孤児として永住帰国した人は約5,000人、 外国人登録をしている中国帰国者二世・三世は約50,000人、 他に帰化した人が約15,000人と推計されている。 残留婦人・孤児1人当たりに約10人の呼び寄せ家族がおり、 子世帯も含めて数世帯がともに日本で生活していることになるそうだ。
また日本は「インドシナ難民」として約1万人の定住難民を受け入れた。 日本の正式なインドシナ難民受け入れは、 1979年の閣議決定以降のことであるが、 その時点から既に20年近くが経過している。 当然のことながら日本で家族を形成したり、 母国からの家族の呼び寄せが行われている。 難民として来日した彼らの生活の基盤は今や完全に日本にある。 外国人が日本に根をおろして生活することになるもうひとつの典型的なケースは国際結婚である。 今では「農村花嫁」と聞けば、 アジアからきた花嫁を連想する人も多いのではないだろうか。 しかし農村に限らず、 国際化が急速に進展する中で日本人と外国人が出会う機会は著しく増えており、 国際結婚はけっして珍しくはなくなりつつある。 1985年には年間約12,000組だった国際結婚は、 5年後の1990年に約25,000組に達し、 1995年現在では約27,000組となっている。 そして日本の国際結婚の75%は、 日本人の夫と外国人の妻というカップルだ。
こうして日本に家族で来日したり、 日本で家族を形成する外国人は着実に増加しているが、 さらに最近ではニューカマーズの中で帰化申請する人も増えており、 日本に生活の基盤をおく人たちは、 外国人登録に現れる数字以上に多い。
そこで今回の特集では、 外国人の定住化にともない今後大きな課題になっていくと予測される外国人居住者と地域社会との関わりを考えてみることにした。 ここでは、 2つの視点からこの問題をとりあげた。
ひとつめは、 外国人が日本人の地域社会の中に入り、 日本人と同じようにある役割を担っていくケースである。 例えば外国人世帯や国際結婚カップルの子どもたちが保育園・幼稚園に通うようになれば、 子どもの保護者としてさまざまな行事に参加・協力する必要性が生まれてくるだろうし、 子どもが小学校に入ればPTAの役員も務めなければいけなくなる。 PTA以外にも自治会・町内会や地域の婦人会など、 地域社会の中で、 ある役割を担わざるを得ない場面も出てくるだろう。
例えば、 阪神・淡路大震災では被災したベトナム人世帯と日本人世帯が神戸市長田区の南駒栄公園にテント村を形成し、 双方ともテント村での生活を円滑化するために自治会を形成し協議する体制ができたが、 その際に障壁になったのが言葉の問題であったという。 テント村の例に限らず、 これから外国人が日本の地域社会の一員として発言していくためには、 相応の日本語力がないと、 自分の考えや思いをなかなか日本人に伝えられない、 せっかく発言しても軽んじられてしまうといったことが起こりかねない。 しかし公の場で自分の意見をきちんと主張できるだけの日本語を話すというのはなかなか難しい。 また会議の資料など印刷物をその場で読みこなしていくことも大変な努力がいる。 さらに日本人のコミュニケーションにつきものの婉曲な表現方法や微妙な言い回しが、 外国人の地域社会への参加の壁をますます高くしているとも言える。 日本で生活する外国人にも、 積極的に日本の地域社会の一員に加わっていってほしいと思うが、 そのためにはわたしたちホスト社会の側からも、 どうしたら彼らが参加しやすくなるのかを考えていく必要がありそうだ。
ふたつめは、 外国人自身が自助組織やボランティアグループを形成するケースである。 同じ国の出身者、 同じような立場の人たちが集まり、 お互いに親睦を深め情報交換をしたり、 あるいは母国の文化や伝統を日本人に紹介する活動を展開するグループも現れてきた。 母国を離れて日本人の中で暮らすということは、 それだけでもストレスの多い毎日だろう。 ましてや日本の地域社会の中でそれなりの責任を求められていくことは、 より大きなストレスにつながっていくことが容易に想像できる。 だからこそ、 母国の言葉で話せる仲間が集まってお互いに励ましあえることは大切だ。 しかし事例報告で見られるように、 最初から外国人だけで自立してグループをつくっていくというのはなかなか難しい。 日本人の側からも手を差し伸べて彼らの自立を促していくような支援が必要だろう。
外国人が日本の地域社会の一員となっていくには、 外国人自身による自覚と同時に、 私たちにも外国人に対して日本社会への同化を求めるのではなく、 共に開かれた地域社会を形成していくという意識が求められている。 そして地方自治という場面でも、 外国人居住者をいかにして地域社会の一員として認め、 共に暮らしていくのかという課題に取り組まざるを得ない段階にきていると言えるだろう。
地域社会の一員となる外国人
参考資料/「新来・定住外国人のわかる事典」駒井洋他編 (明石書店)、 「国際結婚とストレス」桑山紀彦著(明石書店)
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