阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
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問題提起

まちづくりの系譜と課題

神戸新聞情報科学研究所副所長 松本誠

まちづくり30年の流れ

 神戸の「住民参加のまちづくり」が全国的に知られたのは、 69年に宮崎市長が就任された時点から、 この30年くらいの間のことだと思います。

 実はこの間の神戸市政は、 日本の大都市の中でも極めて特異な展開をしてきました。 原口、 宮崎、 笹山という3人の市長で半世紀以上、 しかも路線を踏襲して、 安定した市政を運営してきているのですが、 そんな大都市は日本全国どこを探してもありません。

 このような背景を、 まず頭に入れておいてください。

 70年以降に神戸市の住民参加のまちづくりが注目されてきたのは、 70年前後から神戸市がまちづくりにおける「住民参加」を重視し、 具体的な施策の中でも参加の仕組みを作っていった点が高く評価されたからだと思います。

 ただ、 今振り返ってみると、 70年代の住民参加はあくまでも「行政主導のまちづくりに、 住民も参加させる」という展開でした。 これは神戸に限らず、 全国的にそうだったのです。

 しかしそれでも「まちづくりに住民が参加する」という発想も仕組みも無かった時代としては、 画期的であり、 新しい時代展開であったわけです。 しかも70年代は革新市政という全国的なうねりの中にあったので、 住民が地域の主体として参加度をだんだん高めていく事が注目されたのだと思います。

 このように、 神戸のまちづくりが全国的に高く評価されてきたという点については、 81年に全国で最初にまちづくり条例を作った事も含め、 そんなに間違った評価ではないと思います。

 しかし、 その後30年間の流れの中で、 その高く評価された神戸市の「住民参加のまちづくり」が、 その後どのように展開し、 現在どういう状況にあるのかが問題なのです。

 ちょうどこの30年間の前半、 70年代半ばから80年代後半にかけて世の中は二度の石油ショックを体験しました。 その結果、 再び「環境より仕事」が優先され、 公害や環境を巡る住民運動が80年代には冬の時代に入ったと言われています。

 また神戸市で言えば、 住民参加の行政を進めていく中で、 一時革新市政に転じ、 80年代に入るとオール与党体制という磐石の地盤を築いていました。 150万都市の行政主体と議会が完全に一体となったため、 住民の声がなかなか届き難い、 新しい小さな市民の声が発露し難いという状況が生まれてきたと言われています。

 世の中はその間に大きく転換しました。 全国的には、 中山間の過疎地域など地域崩壊の危機に立たされた地域で、 町おこし、 村おこしが起こってきました。

 この住民と行政が互いに手を携えて主体的に取り組んでいくという80年代の町おこし、 村おこしブームが、 80年代の後半から今度は都市へ飛び火し、 さらに90年代に入ってその流れが加速します。 それが今日のまちづくりブームです。

 ここで、 以前の「住民も参加する」住民参加ではなく、 「住民が主体になって」進めていく「まちづくり」となると、 では行政は何をするんだ、 ということになります。

 その問いへの答えとして、 住民が主導すれば行政はそれを支援する、 ないしは住民が主体になって進めるまちづくりに行政も参加する、 という仕組みに転換していく動きが、 80年代後半から90年代に入って加速してきました。

 90年代半ば、 震災前には、 建設省など中央省庁でも研究会などで住民主体のまちづくりが大きくクローズアップされ始めます。 例えば豊中市などでの取り組みが高く評価され、 住民参加の新しい展開の一モデルとして全国の自治体に紹介されました。 このような動きは既に震災前に起こっています。 このように、 全国的に「住民参加」から「住民主体」へと流れが変わって来ました。

 しかし実は80年代の神戸市は、 「住民参加行政」とは別に「都市経営」の面で高い評価を受けていました。 二度の石油ショック、 低成長の中で、 そういう都市経営の効果、 成果が喧伝され評価されたのです。

 このように神戸市の行政は住民参加と都市経営という二つの側面で評価されてきたわけですが、 残念ながら都市経営への評価の裏側で、 住民参加について果たしてどれだけ実をともなった行政が進められたかは疑問です。 実際この間に丸山のまちづくり運動は崩壊し、 真野でも停滞に陥り、 神戸市ではなかなか住民運動・市民運動が広がらないという経緯がありました。

 そんな中で迎えたのが震災だったと思います。 震災を契機に、 神戸市が辿ってきたこの30年間の歩みの中の矛盾、 あるいは社会の大きな変化についてゆけず大きくなってしまった食い違いが、 凝縮され一気に噴出したのです。 それが、 震災後の復興まちづくりの様々な局面に現れていると思います。


まちづくり条例

 神戸市では81年に全国でも逸早く「まちづくり条例」を作りました。 これは当時、 都市計画法16条の地区計画制度を補足するものとして作られたものが、 現在もなおそのまま続いてるわけです。 神戸市だけでなく全国的にまちづくり条例はそういう形のものとして作られ、 運用されています。

 しかし今「まちづくり」という場合、 必ずしも都市計画=まちづくりではありません。 もっと広い意味で福祉、 教育、 環境など、 様々な行政や暮しの分野に渡る地域づくり運動、 地域活動を「まちづくり」と呼び、 それを担う住民を「まちづくり組織」と位置付けています。

 にもかかわらず、 まちづくり協議会などの「まちづくりの主体」となる住民組織に関わる条例あるいは規則等は、 都市計画法の枠内で、 あるいは行政組織でいえば都市計画局の業務として運用されています。 ここに大きな矛盾が生じてきていると思うのです。

 全国的に90年代以降の「住民主体のまちづくり」の主流は、 都市計画行政の枠内から解き放たれ、 総合的なまちづくり施策、 まちづくり行政として推進されています。 つまり住民のまちづくりを担当するセクション・窓口は、 都市計画局ではなく、 企画部門のような総合調整ができる窓口に持っていく必要があるわけです。

 住民主体で行われる総合的なまちづくりへの取り組みを、 行政がどのようにサポートしていくのかが、 神戸市の乗り越えるべき大きな課題であると思います。

 実は一昨年、 このまちづくり条例を全面改正しようという動きが庁内で起きていると聞いて、 「あア、 神戸市は4年目になってやっと一歩踏み出したか」と期待していたのですが、 半年くらいでその動きは止まってしまったそうです。

 そして昨年、 この20年前に作られて、 ある意味ではもうかなり古い、 形骸化したまちづくり条例によるまちづくり協議会の認定が急速に行われ、 70近い団体が新たに認定されました。 このように既存のまち協をそのまま認定して行く事には、 大きな問題があるのではないかと考えています。


三つの課題

 以上、 非常に荒っぽい俯瞰でしたが、 こういう流れを前提として、 神戸の住民主体のまちづくりを考えていくうえでの課題を3点申し上げたいと思います。

 まず第一点は、 まちづくりのための住民組織が、 あまりにも自治会や商業団体あるいは婦人会などの、 いわゆる既存の地縁組織、 地域の地縁団体に依存・偏重していることです。 これはまち協の認定基準や構成が、 そういう既存の地縁組織が中心になっていなければ、 事実上相手にされないという状態にあることが大きな要因です。 果たしてこれで住民主体のまちづくりがやっていけるのでしょうか。

 神戸市には2千8百の自治会がありますが、 その中で住民主体のまちづくりを担っていける自治会はと言うと、 本当に少なく、 大概の自治会は担い手としての能力も力量も持っておらず、 形骸化しています。

 これからの住民まちづくりでは、 地域の中でこのような地縁団体を変革して担い手として機能できる組織に育てていくとともに、 地縁団体だけではなく、 様々なテーマを持って活動している市民団体やNGO、 NPOのような「テーマ型」の組織とうまく連携していかなければなりません。 つまり「地縁」と「知縁」という、 二つの「チエン」組織が縦糸と横糸が組み合わさるように連携していくようなあり方に変えてゆき、 それが担い手になるようなまちづくりをどう実現するかが、 第一の課題です。

 二点目は行政の縦割りを改めることです。 まちづくりは、 暮らしに密着した住民が主体になっていく限り総合的な面を持ちます。 暮らしという観点から見れば、 住民が進めたり考えたりする「まちづくり」は、 行政の縦割り組織の中で別々に考えられるものではなく、 言わばオールインワン、 全て一つでなければならないのです。 にもかかわらず、 行政の対応は縦割りです。

 先ほどのまちづくり協議会をはじめ、 まちづくりに取り組む様々な住民活動の窓口が一体何処にあるかという事もキーポイントですが、 それだけではなくて、 行政サイドの対応が総合的に行える仕組み、 組織になっているかということが課題です。

 言わば、 事業に偏重した「都市計画としての街づくり」から、 ひらがなのまちづくり「総合的なまちづくり」へと転換して行く中、 その主体となる住民側に対応できる行政組織を作っていくという事です。

 実際のところ、 住民が主体的に取り組んでいる地域では、 福祉系がやっている「ふれあいのまちづくり(ふれまち)」と呼ばれる組織、 地域福祉センターの活用方法、 経済局が担当している商店街を核にしたまちづくりなど、 実に多様なまちづくりへのアプローチがありますが、 これら全てをトータルなまちづくりとして住民と一緒に取り組んで行かなければならないにもかかわらず、 逆に縦割りで別々に対応しているが故に、 地域活動を分断してしまっている側面も見受けられます。

 最後の三つ目が最も重要です。 「住民主体のまちづくり」はあくまでも住民が主体なんですが、 そのためには住民と行政との関係性をどうしていくかが問題です。

 幸いな事に、 神戸市ではこの半世紀の間、 確固とした行政体制によるリーダーシップの中で、 極めて優れた地方自治体としての能力と組織が維持されてきたわけですが、 それが住民との関係を考えた場合には、 むしろマイナスに作用してはいないでしょうか。 住民と行政が対等の関係でやっていけるような仕掛けづくりについて、 行政側で取り組まれているでしょうか。

 地方分権時代に入って、 神戸のような規模の都市では、 例えば個々の区単位に自治権を持たせるような地域内分権が求められます。 また同時に区単位からさらに小学校単位ぐらいの地域の自治組織を育てていく必要もあります。

 言いかえれば、 「住民主体のまちづくり」を進めて行くには、 地域住民にまちづくりを担っていく、 行政に取り替わって自分達が出来ることはやっていくだけの力量を備えさせる、 つまり行政にとっては手ごわい、 恐ろしい住民と住民組織を育てていくということが大前提として必要なのです。

 このように考えると、 行政にとって都合の悪い住民や住民組織に対して、 どう対応するかが大きな課題です。 行政にとって手ごわい住民、 住民組織を作っていくための仕掛け、 仕組みを、 日常の行政の中で、 あるいは住民との関係の中で作っていくような、 言わば「初動期のまちづくり」が今求められているのではないでしょうか。

 この三点は、 これからの新しい社会の仕組みを考える上で、 単なるまちづくりという一つの分野ではなくて、 行政全体、 自治体全体をどう変えていくかという、 根幹に関わる問題ではないかと考えています。

     この講演の資料として『兵庫地域研究』第4号(神戸新聞情報科学研究所、 96年5月号)に50頁に渡って松本さんが書かれた「住民参加のまちづくりの系譜と展開」から、 神戸の部分を抜粋したものが配布されました。
     この論文では神戸のまちづくりの系譜とともに、 40万人都市である豊中市、 10万人都市である国分寺市を比較対象として取り上げ、 3都市の住民参加のまちづくりシステムあるいは系譜が分析されています。
     この講演を深く理解したい方は、 この論文を同研究所または図書館等でお読みください。
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