私達「市民まちづくり支援ネットワーク」では2カ月に1回連絡会を開きまちづくりについて話し合っていますが、 年に1回、 公開のまちづくりフォーラムを催し、 私達の活動を報告し、 幅広くまちづくりに関する話題を話し合っています。 今年で第6回を迎えました。
一昨年までは主に神戸市東部を中心としたテーマで開催していましたが、 昨年からは神戸市西部からも参加してもらって、 神戸市全体を視野に入れたテーマで話し合っています。 第3〜5回までのフォーラムの記録は、 ブックレットとして販売しています。 第3回は「まちづくり文化のルーツ」、 第4回は「まちづくりと民間文化施設」、 第5回は「まちづくりの系譜と展開」というテーマで開催しています。
「まち住区」という言葉は、 1974年に神戸市企画局と私の師匠である水谷頴介先生が率いる都市・計画・設計研究所が合同で出した「まち住区素描」という報告書の中で使われたのが最初です。 当時の企画局長であった宮田芳彦さんが書かれた前書きによれば、 「まちづくりに道路や公園、 学校などの公共的施設は欠かせないが、 それだけではまちとは言えない。 自然風土や景観、 まちの個性や魅力、 まちの活動を背景としてまちは成り立つ。 まちづくりにはそうした観点が必要なのではないか。 さらには生活が全て徒歩圏内で事足りるまちを考えたい」というのが、 そもそも「まち住区」の発想でした。 コンパクトシティに通じる概念が、 23年前すでに登場していたのです。
「まち住区」は、 まちを基盤とした人間関係を支えるコミュニティ空間として発想されたのです。 もちろん、 この時点では「素描」というタイトルが示すように、 まだ実態がはっきりしないもので、 まちづくりへのイメージ提案という段階でした。
1976年には、 まち住区の提案が、 「まち住区計画」と名付けられ、 神戸市の「新・神戸市総合基本計画」に取り入れられました。
しかし、 それ以降退化していって、 1986年の第3次神戸市総合基本計画の時は「まち住区構想」と、 計画から構想に逆戻りしてしまい、 震災の年の1995年の第4次計画では「生活文化圏」という言葉になって「まち住区」という言葉は消えてしまいました。
一方、 水谷頴介先生は1992年に「町住区と市街地再構成計画の研究」というタイトルで博士論文を発表されたのですが、 それによって「まち住区」は再び位置づけられたと私は思っています。 水谷先生がその後すぐに亡くなられたのは惜しまれることですが、 1993年に追悼シンポジウムを行った時にも「まち住区」をテーマにいろいろと話し合いました。
その2年後に私達は震災に襲われることになるのですが、 私はこの時ほど「まち住区」を真剣に作ってこなかったこと、 つまり自分たちのまちは自分たちで考えていく、 そうした自律的な生活圏を作ってこなかったことを悔やんだことはありません。 そうしたまちづくりを今度こそ真剣にやっていくことが、 震災復興の中で一番大切なことだと考えました。 つまり水谷先生が昔から言っていた「まち住区」に、 私達も再びこだわっていくことが必要ではないか。 近隣住区という概念を超えた小規模分散自律生活圏の確立が、 これからのまちづくりの課題だと思います。
今年のまちづくり支援ネットワークの年度テーマに「まち住区とコンパクトシティ」をとりあげ、 2カ月に1回の連絡会で勉強しております。 1月はサステイナブル・コミュニティ、 3月は東灘区や灘区など神戸市東部のコンパクトタウンをテーマに、 5月は神戸市西部の鷹取野田北部、 新長田北の区画整理地区、 兵庫区の浜山地区について討議しました。
神戸市では1999年から2000年にかけて「コンパクトタウンづくり」が検討されました。 私達が提唱している「まち住区」と重なる概念でもあり、 兵庫県が提唱する「人間サイズのまちづくり」とも重なっていますので、 今日はそれぞれの事例を紹介しながら「まち住区とコンパクトシティ」をまちづくりの検討課題にしていきたいと思っています。
フォーラムの前半は年寄りと若手という組合せでそれぞれ担当している地区の活動を紹介いただき、 後半に全体討議という形で進めていきます。 では、 まず最初に若手の山本さんから活動の報告をお願いしたいと思います。
はじめに
コー・プラン/市民まちづくり支援ネットワーク/司会 小林郁雄
まち住区とは
さて、 今年のテーマである「まち住区とコンパクトシティ」について、 まず私から説明させていただきます。コンパクトシティとは
さて、 もう一つのテーマである「コンパクトシティ」について説明します。 1996年にイギリスで刊行された「The Compact City」という本があるのですが、 この副題には「A Sustainable Urban Form?」(持続可能な都市の形とは)と付けられていました。 このコンパクトシティはヨーロッパで盛んに議論されている言葉ですが、 世界のみならず日本各地でもコンパクトシティが望ましい都市像として注目されています。
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