あとがき |
出勤や通学の途上、 歩く道端の荒れ地や電車沿いの土手に「ひそかに花の種をまいて突然花畑になったら」とあなたは思ったことはありませんか?
想うだけでは始まりません。 「想い」がなければ始まる始まらないもありませんが、 しかし「想い」を「実行する」人はほんのわずかです。 そのひとりが筆者の天川佳美さんです。
この震災からの復旧復興の原点は「ガレキに花を」だ!と叫んで始めた活動ではなかったし、 今でも肩ひじ張って行政を面罵し、 仲間を叱咤し、 シャカリキになってやっている活動ではありません。
1月の震災から、 ようやくなんとか落ち着きをみせはじめた3ヶ月後の1995年4月半ば、 『穏やかで汗ばむような春のよそおい』のある日、 ふと気づいた「ガレキ」の中の花鉢や植木達に、 もう一度命がよみがえりますように、 それを子供、 年寄り誰もが微笑みながら耕し、 水をやることが、 震災からの復興であり「市民まちづくり」の原点やないか、 というのがその心です。
誰もが思いつき、 誰にでもできることこそ、 誰にもできないことがたくさんあります。 夢といってもいい「希望」を形あるものにするためには、 一歩を踏み出す「勇気」が必要です。 あのチャップリンはライムライトの中でそれに加えて「少しのお金」があれば、 人生においてできないことはないと、 つぶやいています。
人のやさしさ、 人を想うやさしさがこの震災でみつけた、 もっとも大切な宝物だったと思います。 その一番わかりやすい取り組みが「ガレキに花を咲かせましょう」だったのではないでしょうか。
その「希望」のための「勇気」が、 この「ガレキに花を」という活動(というよりも、 被災した多くの普通の人々への「まなざし」だったのかもしれません)の本当の意味するところであり、 被災しうちひしがれた市民へのメッセージであったと思います。
それこそが「市民まちづくり」の最も基本的な立脚点だと思います。
たぶん、 一度はそうした「夢」とまではおおげさでなくても、 ひそやかな想いを持ったことのある人はたくさんいると思います。 想うだけの人達は無数にいます。
1999年9月29日
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