まちづくり実践ゼミ
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街並み誘導型地区計画
長田区野田北部地区
森崎輝行 (建築家)
1.野田北部の概要
人口減からくる空家、 老朽家屋、 老齢化、 不法駐輪、 ゴミの不法投棄に端を発したまちづくりは、 その運動を追放、 排斥ではなく、 空間の造り込みと意識によって解決しようとしていた。 この地区のまちづくりの特異性は、 目に見える事例的展開と分かり易い合意形成にある。 震災前、 完成したコミュニティ道路整備と大国公園の公共整備と商店街活性化事業によって、 目に見えるまちづくりとその実現を経験している。 実感的合意ともいえる合意形成は、 その勉強会にその礎えがあった。 震災後活動も震災前の延長であるが、 大きな課題として、 新たに持ち上がったのは、 区画整理事業区域との整合性である。 街並み誘導型地区計画等々の各制度利用したまちづくりは、 〈震災が、 まちづくりの進行を早めた〉という前向きの姿勢の展開であった。
2.被災状況
震災による家屋の全損率80%以上という数字の高さもさることながら、 地区の被災の特徴は、 大国公園以東の全焼である。 東部隣接地区からの延焼によって、 野田北部地区内東部2ヵ町まで焼き尽くした。 しかしながら住民の日頃からのコミュニティ活動と公園・道路等のオープンスペース、 耐火建築によって公園以西はその火災を食い止めている。
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図1 位置図 |
(1)土地区画整理事業区域との整合化
区画整理事業において改善されるのは、 うわものを含めた基盤整備である。 まちづくり協議会が選択したのは、 住民のルール(地区計画)によって、 基盤整備をなし、 区画整理事業区域との整合性をとった上で、 〈住み良いまち〉に改善整備し、 まちの人口減に対応を図ることであった。 これには、 各支援制度の特質を掴んでおく必要があったがその要約を以下にあげる。
〈街並み誘導型地区計画〉は、 地区内細街路の拡幅を建基法42条2項道路の確保と共に建築物の外壁面等の後退によって、 そのスペースを生み出し、 その整備を図ることにあり、 従来の建基法の斜線型規制から箱型規制での形態による街なみ整備である。 しかし、 住商工混在の地区にあっては、 きめ細やかな土地利用の計画をたてることが不可欠である。 〈街なみ環境整備事業制度〉は、 地区計画或いは、 まちづくり協定が前提であるが、 生活道路等の地区施設の整備化、 住環境の整備改善に対して、 それを行う地方公共団体、 土地所有者等に対して国等が必要な助成を行うものであり、 地区住民にとって、 経済的負担がなくその整備化がはかれる。
区画整理という事業は、 その面整備において、 大きな変革が視覚的にも起こる。 区域内外両区域で違った事業手法は、 その一体感をややもすると削いでしまうことになりかねない。 特に、 路地と呼ばれていた細街路は、 その匂いさえ消えうせてしまった。 【平成8年8月野田北部(鷹取東)地区仮換地1号地指定があって以来、 生活ライフラインの整備工事が始まり、 平成10年3月現在、 殆どの部分が道路整備を完了している。 】しかし、 現在(平成10年3月31日)、 私道の中心線を地元権利者において確認、 決定(神戸市内初の出来事)した上で、 街並み環境整備事業制度によって、 2路線、 その整備を完成し、 他の私道も協議中である。
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図2 震災被害の状況 |
3.事業の進め方とその特徴
野田北部地区での震災前の鷹取商店街活性化に端を発したまちづくりは、 大国公園コミュニティ道路の整備において住民参加をなし、 まちづくり協議会の活動が盛んになってきていた。 それらの落成式典の1ヵ月後、 すなわち、 協議会懸案の住宅とまちの問題に取り組むべくスタートした矢先の被災であった。
火災の煙の中開かれた役員会で、 復興ビジョンを検討し、 個々の生活再建の手法論を研究した。 地区計画の検討始めると同時に、 都市計画(区画整理)決定されることになる2カ町の早期事業完了を達成すべく、 勉強会が開催された。 区画整理事業区域に含まれなかった町のまちづくり協議会役員が全力で支援したのである。 早期の事業完了は、 まち復興を早くしたいという思い他ならない。 区画整理での基盤整備が出来る町とそうでない町のまちとしての整合性、 自力型復興の手段として、 街並み誘導型地区計画を条例化させ、 助成制度である、 街並み環境整備事業制度の適用を受けまちづくりを進行させている。
しかし、 行政における各制度等の支援策は、 地元住民にとっては、 難解である。 この様な状況の中で、 将来のまちの在り方を検討し、 地元主導型で行った野田北部のまちづくり協議会は、 〈目にみえる〉活動と〈ひとづくり・仲間づくり・生活づくり〉の思想でコミュニティでの〈分かりやすい〉まちづくりを目指している。
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図3 事業の進め方とその特徴 |
(2)地区計画での整備方針
地区計画(街並み誘導型)での整備の背景は、 『住宅再建の困難さへの解決』・『まちなみとしてのいい景観を希望』・『住みやすいまちを希望』したという事が第一義にあげられ、 他方では、 区画整理事業区域との整合性をとる意味でも重要であると感じたからである。
地区計画の〈まちづくりの目標〉では、 1)お年寄りや若者や子供たちが安全で快適に住み続けられるまち2)下町の生活スタイルを受け継いだぬくもりのあるまち3)住宅と商業の調和する共存のまち、 と唱った。
『住宅再建』は、 容積率の最低限度と壁面の位置の制限によって、 狭小宅地での前面道路による再建の困難さを除去し、 且つ、 道路幅員による容積制限を撤廃し、 従前居住床面積を確保せることを可能としている。 『まちなみとしてのいい景観』は、 容積率と建築物、 その軒高の最高限度を制限し、 低層型の下町を継承させることにした。 『住みやすいまち』は、 敷地の最低限度、 壁面位置の制限部分の公開性の確保、 建築物の用途の制限等をかけることによって、 オープンスペースの確保を図り、 防災性を高め、 快適な誰でも住みやすいまちへ向けている。 これには、 【まちなみ】をどう考えるか?どうルール化するか?が重要であった。
1)まちなみの考え方
野田北部まちづくり協議会の固有性は、 そのまちなみにおいている。 狭小敷地、 狭隘道路の多い地区で、 安全で暮らしやすい住まいとまちを再建する時、 住民個人がそれぞれバラバラに建て替をするより、 まちづくりの目標とルールをたてて取り組むことは重要である。 ここでは協議会の勉強会で検討されたまちなみでの構成要素である〈道〉〈樹木〉〈建物〉〈オープンスペース〉の考えかたのルールを以下に紹介する。
【形態】道路構造―下町の生活スタイルを残しつつ、 ぬくもりのあるものとする。
屋根形状―まちなみにとって、 屋根の連続性は、 重要である。 とりわけ、 街角の屋根形態は、その通りの品位すら決定づける重要な要因である。 地区では、 勾配屋根をルール化し、 スカイラインを連続性のあるものとすることを提案している。
【質感】形態・素材―〈土〉をイメージする通りを創出し、 有機的感覚の材質を外壁材に使用し、〈建築〉の形態・材質、 〈門塀〉の設置形態・素材を統一させる。
【緑】緑の役割―快適さ、 緩衝的機能等の〈樹木植栽〉の機能を利用し、 住いの快適性を生み出すと共に、 各自の住宅再生の際にも緑化を誘導する。
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図4 まちなみの考え方 |
4.コンサルタントとしての所見
街並み誘導型地区計画成立の前提条件として、 地区のコミュニティ意識が高かったこと、 震災前からの問題意識を持っていたこと、 震災によって従前居住床面積の確保が困難になったこと等があげられる。 しかし、 その背景は、 (1)住民個々が、 自力再生が困難であると自覚していた人が多かった。 (2)住民、 専門家、 行政が一体的活動を震災直後より行っていた。 (3)協議会の熱意とそのリーダーの指導力があった。 (4)アドバイス、 コンサルティングを行う専門家が震災前よりの活動でその信頼を得ていた。 (5)地元住民の権利関係が比較的単純であった。 (6)住民意向調査等を何回も繰り返し行い協議会と住民とのあいだでのヒューマリレーションが豊かであった。 (7)地区計画のメリットとその制約条件が地元事情にあっていた等があったことと思われる。 これには、 コンサル・行政との共同作業が不可欠であったことも重要なことと思える。 以下にその項目をあげると、 (1)計画区域現況調査等での官、 民、 専の一体的活動、 (2)まちづくり勉強会の実施、 (3)目に見えるビジョンづくりの提案等の一般住民への啓蒙活動、 (4)権利関係者との面談、 (5)何回も実施した意向調査、 (6)住宅等の相談会の開催、 (7)デメリット者(メリットを受けない人・角地所有者)への説得、 (8)地区計画の分かりやすい、 本来の意味の説明(行政言葉から住民言葉への翻訳)等である。
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図5 地区計画のルール化の検討 |
(3)私道での道路中心の決定の意義(まとめにかえて)
建築基準法42条において〈「道路」は幅員4M以上のものをいう〉と定めている。 さらに同法43条には〈建築物の敷地は、 道路に2m以上接しなければならない〉とも定められている。 このことは、 【私道】であっても同じ適用になる。 又、 〈この規定が適用されるに至った際現に建築物が立ち並んでいる幅員4m未満の道で、 特定行政庁の指定したものは、 道路とみなし、 その中心線からの水平距離2mの線をその道路境界とみなす〉ことになっている。
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図6 街並み誘導型地区計画と 街並み環境整備事業による細街路整備のイメージ |
しかし、 入り組み、 永い年月を経たまちにおいては、 〈その中心線〉の位置はなかなか決まっていかない。 故に、 特定行政庁が独自に、 その位置の判断をしていた。 これは、 敷地面積の減少(土地所有権とは連動しないが、 道路の中心線から水平距離2Mの線を道路境界とみなし基準法上の有効敷地面積となる。 )が不利益をもたらす場合も考えられる。 実態的な判断により定められてしまい、 同じ道路であるにも係わらずその中心線は折れ線グラフのようなことにもなりかねない。 地区計画において、 建築物の壁面を後退し、 まちなみを揃え、 そのスペースを豊かにしようとする時、 道路中心の決定の意味することは大きい。 通りごとの私道所有の人々が集い、 相互にその位置を定めた。 このことは、 道路の公共性をルールとし、 それぞれの人々が建設しようとする時その混乱がなく、 まちなみの景観性はより良質なものとなると思える。
野田北部まちづくり協議会のスローガン、 〈正直者がバカを見ない〉まちづくりが地区計画をルール化させ、 行政支援の街なみ環境事業という補助制度の適用までさせてしまったのである。
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