都市の記憶
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神戸で映画を撮る理由

大森

改行マーク上映された「風の歌を聴け」が僕の神戸へのメッセージという意味では、 それ以上にここで特にメッセージなんていうのはないんですが…。 一番最初、 一九七四年に『暗くなるまで待てない!』という映画を友達と自主制作で作ったんですが、 この時のファーストシーンが三宮の交通センタービルの前から始まるんです。 いま見ると、 ビルの上半分がありません。 これは、 映画青年が映画をつくる話だったんですが、 その青年たちの溜り場というのが、 三宮の高架下の金盃森井本店で、 ここに溜まって、 うだうだやっているというシーンが延々続くんですが、 この森井本店というのも、 震災ですっかり新装再開店しちゃって、 一昔前の面影がなくなりました。

改行マークその次が今日上映された『風の歌を聴け』という映画、 ご覧になって「うん?」と思われたと思いますが、 わかりにくい映画でして、 今見ると、 自分でも何をやっていたかわからないというところがあるんですが(笑)…。 そもそも村上春樹さんの原作そのものが、 そういうところがあって。 映画会社の人に、 とんでもない映画ができたなと言われたんです。 結果、 上映される機会があまりなくて。 いまご覧になって分かられたと思いますが、 六甲教会なんか、 なくなっていますね。 それから、 クリスボンという、 これはなくなった方が良かったような建物だったんですが…。 一番印象的だったのは、 メリケン波止場です。 この映画の直後、 メリケンパークの工事が始まって、 メリケン波止場の最後の姿が映っているんじゃないかと思います。

改行マークその次に神戸に来たのは、 吉川晃司を主役にした『ユー・ガッタ・チャンス』の時で、 旧摩耶観光ホテルが舞台になっています。 これは、 摩耶ケーブルを乗っていった山頂駅にある、 かつては素晴らしいリゾートホテルでしたが、 廃墟と化したホテルでした。

改行マーク震災後、 山の下の方から見るとまだ建っているので、 大丈夫だったのかなと思ったりしているんです。

改行マーク次は、 斉藤由貴の『「さよなら」の女たち』という映画です。 これは、 メリケン波止場が改装されて、 メリケンパークになった一年目ぐらいに撮りました。 フィッシュダンスホールのあたりが描かれているんですが、 震災であの辺の海岸線はがたがたになっていまして、 自分の撮った映画を見ると、 昔はこうだったんだなという感じがします。

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神戸海洋気象台(昭和14年竣工、 設計:堀口捨巳)
改行マーク次は、 神戸市政百周年記念で撮った宮本輝さん原作の『花の降る午後』。 この中で印象的なのは、 神戸の海洋気象台です。 丸いドームがど真ん中にあって、 それを屋上から見たところが何ともいえない古風な造りなんです。 しかもその横に空襲を受けたときの壁がそのまま残っている。 これは、 映画屋さんがよだれを垂らしそうな、 素晴らしい映画的空間でした。

改行マークいまのところ、 一番最後になっているのは、 『大失恋』という映画でして、 これは一九九四年の十二月中旬まで撮影していました。 遊園地を舞台にした映画で、 六甲アイランドのアオイアで撮りました。 撮影が終わって四週間で地震に遭い、 そこは壊滅的打撃を受け、 現在も廃園となっています。

改行マークこういう風に、 二十本近く映画を撮っていて、 大ヒット作もあまりないですが、 自慢できるのは、 神戸を舞台にした映画を一番多く撮っている監督でして…。 そういう意味では、 僕の映画を一九七四年から二十年以上にわたってみていると、 ああ、 神戸ってこういうところがあったんだなあということが、 非常によくわかると思います。 神戸の景観をどう残していったらいいのか、 どう変えていったらいいのかということも、 見てもらえばわかるんじゃないかと思います。

改行マーク最後に、 何でそんなに神戸の映画を撮るのかといいますと、 小学校四年の時に芦屋に引っ越してきてからずっと、 父親に映画を見に連れていってもらったのが、 神戸の映画館だったからというのも一つの理由です。 神戸というのはその頃から非常にハイカラで、 映画的空間に放たれたような、 とても居心地のいいところでした。 映画館も非常に素晴らしいものが多く、 聚楽館…これはもうなくなりましたね。 僕が一番好きだったのが朝日会館という劇場でした。 証券取引所を改造して映画館にしたという円形の素晴らしい二階建の劇場だったんですが、 やはりこれもなくなりました。

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朝日会館(旧神戸証券取引所)(昭和9年竣工、 設計:渡辺節/撮影:高橋裕嗣)
改行マークどんどん映画館がなくなっていった中で、 残っていたのは阪急会館、 阪急文化、 阪急シネマと、 神戸国際会館の地下にあった神戸国際松竹、 国際日活、 新聞会館スカイシネマ。 大劇場として残ったのは、 阪急会館と、 国際会館の地下だったんですが、 これもよもや地震で全部なくなってしまうとは思わなかったですね。

改行マークいま残っているのは、 三劇という高架下の劇場なんですが、 ここはなかなかいい劇場で、 ただ電車の音がうるさいという…(笑)。 でも、 この電車の音もこの劇場の一つの雰囲気で…、 好きな劇場だったんですが、 ここも新装してしまいました。 結局、 一つだけ変わってないのは、 ビッグ映劇。 これだけが僕らの青春時代からずっと残ってる唯一の劇場で、 当時貧乏な学生の僕らも、 百六十円か百七十円で見れました。 本当にそれだけが残って、 神戸の劇場は全部なくなった。 地震で僕が一番残念だったのは、 阪急会館と国際松竹がなくなったこと、 なんていうとひんしゅくをかうかもしれませんが、 個人的な思いはそういうことです。

竹山

改行マーク神戸は映画発祥の地と言われていますが、 その神戸でも、 地震で映画の空間的歴史がほとんどなくなってしまったというお話ですね。 その辺のお話も含めて、 建築家としての専門的な立場から、 震災前後の神戸の建築の問題点についてお話願いたいんですが、 まず、 有村さんから。

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