私はちょっと違った視点でものを考えてみたいと思っています。
確かに天災として地震が起きたんですが、 その災害の多くの部分は震災前から用意されていたんではないかと思うんです。 今回インナーシティーというか、 下町の長屋が潰れたんですね。 下町というところは、 家が老朽化していて、 地震が来なくても白蟻で自壊するぐらいの家が多かった。 下町から若い者がどんどん抜け出していって、 高齢者ばかりが住んでいた。 だから亡くなった人の多くは高齢者だったという事実があるんです。 いわゆる都心のすぐそばですから、 下町をどう再生していくかについては、 もっと早く手を打つべきだった。 ところが下町にお金を投入してもあまり目立ちません。 行政というのは目立つことをしたいものですから、 西神とか北神とかの山を削って海を埋め立てるという、 目立つほうに主力が置かれていった。 その結果、 手が抜かれていたんだということが一つ。 もう一つは、 歴史的な建物に対して、 兵庫県の場合、 国の指定しかないということ。 国の指定になっているものは、 メンツにかけても直すけれども、 市民の文化財で、 指定されていないものは直さない。 ということが一方にあったのです。
復興市民まちづくりからみえてきたこと
予想された「災害」
武田:公費解体がもたらした禍根
そして問題なのは、 地震後の公費解体という制度ですね。 これは解体にはお金を出してくれるけど、 歪んだ建物を直すのには一銭もお金が出ないという制度です。 たとえば、 ちょっと歪んだ家を直すのに百万円、 二百万円かかる。 壊すのに三十万から五十万かかるんだったら、 その五十万を直す方にかければ、 もっともっと残ったと思うんです。 だけど、 壊すほうにだけお金が出た。 国とか市というのは、 壊してきれいにしたらすぐに建つと思ったんですけど、 前のローンが残っていたり、 高齢でローンが組めなかったりいろんな障害があって、 なかなか建っていかないという状況が出てきた。
神戸のインナーシティーの様子(長田区) |
では、 安全なまちにするにはどうしたらいいか。 区画整理をして道路を広く取って、 公園を作って、 避難所も確保する。 しかし、 そうすることが本当に安全なのかということですね。 昔は曲がりくねった道があって、 駅から家へ帰る時に景色が変わっていったのに、 区画整理でまっすぐな道になると、 何回顔を上げても同じ景色しか見えないと。 実につまらんまちしかできていない。
神戸では少ないんですけど、 京都なんかではトンネル路地とか袋路地とかいうのがあるんです。 そういう狭い路地というのは、 地震に対して危険だ危険だと言われてきたんですけど、 実は、 そういうところには車が入ってきませんから、 子供の遊び場としてはすごく安全なんです。 ただし、 大きな地震が来たり、 火事になったときにどうするかという課題は残されています。 それは、 行政が道を広げることだけで解決できるとは私は思っていません。
実は、 私たちのほうにも問題があったんじゃないかと思うのです。 下町というのは人情があっていいんですが、 反面うるさくて、 昨日遅かったねえとかプライバシーまで侵される。 一方では、 お芋蒸かしたから食べてとか、 お醤油を借りたり貸したり、 いいところもあるんですが、 いろんな意味で住みにくくなってきて、 若者がどんどん古いまちなみから郊外へ、 あるいはもっと大きな都市へ出ていったんですね。 我々は、 たとえば古い話でいうと安保だとか、 ベ平連とか、 何かやると世の中が変わると思ったんですね。 でも実際は足もと…自分の住んでいたところを変えられなかったんですね。
ところが、 この震災で一つよかったのは、 すべての地域とは言いませんけど、 足もとに光が届いたんです。 しばらくは交通の便も悪いから、 サラリーマンの人たちが地元にいたんですね。 そういうことで、 足もとに光が当たって動き始めたということが、 非常に大きなことなんです。
私は震災直後、 ある意味での解放区ができたんじゃないかと思ったんです。 信号は止まっているし、 警察はいるのかいないのかわからないし、 気がついたら神奈川県警とか警視庁とかよその警察が来ていたりしていて…。 消防署もあるのかないのかわからない、 市役所も壊れている。 病院も壊れている。 全く解放区みたいな状態になったんです。 その時には、 確かに盗人もいたんですけど、 みんな並んで水をもらいに行ったし、 スーパーでもシャッターが半分しか開いていなかったけど、 並んで買いにいったんですね。 すごく自由な感じに見えてきたんです。
その段階では、 避難所なんかで行政の方が管理していても、 行政組織自体が全然役に立たなかったから、 その方がその場で即決していたんです。 それがだんだん安定してくると、 上のほうへ相談しないといけなくなって、 いわゆる普通の状態に戻ってくる。 でもその前の何ヵ月間は即決できた状態だったんですね。 その時には思いやりもあったし、 顔も明るかった。 確かに家は潰れて物は失いましたけど、 明るさというものを感じたと思うんです。
で、 あっちこっちでまちづくり協議会ができてくる時に、 住民とコンサルタントや建築家などの専門家と行政のかたが話していると、 行政のかたは何もしゃべれないんですね。 決まった法律のことしか。 それは立場上わかるんですけど、 むしろ市民側のほうが活発な意見を出す。 で、 いま、 神戸市の民借賃という制度なんかは、 前の道路は二・七メートルでいいとか、 制度自身がどんどん変わりつつあるんですね。 これなんかは、 上から変わったんじゃなくて、 実は市民側というか、 まちづくり側から変えていったんです。 いまはまちづくりの話ばかりしましたけど、 そういうことが、 本当は大事なまちのたたずまいだとか、 文化だとか、 建築の文化のほうに発展していってほしいと思います。
竹山:
まあ、 最初の話にしてはみなさん長すぎるんですが(笑)、 これだけの豪華メンバーですので、 一時間ちょっとという時間は、 まことに失礼なんですね。 本当は二〜三倍の時間がいるんですが、 申しわけありません。
次に、 お一人五分程度、 これからどうしていったらいいのかというお話をしていただきたいと思います。 では、 順番を変えまして、 こちらの有村さんから。