ご存じの方はおられると思いますが、 私は一九九五年の四月から毎週一回毎日新聞の土曜日の朝刊に、 一回十枚ぐらいの「大震災95」という連載を持っていました。 最初は、 宇宙のことを書いてくれないかという話がきていたんですが、 一九九五年の一月十七日の大震災を体験し急拠テーマを変更してもらいました。蘇らせるのは住民自らの力
倒壊した阪神高速道路神戸線(神戸市東灘区深江南町付近、 撮影:米田フォト) |
で、 一年間続けまして、 ようやくこの三月に連載は終わり、 六月に単行本になりました。 母親が知っていた関東大震災とか、 私の知っている大空襲と違うな、 というところは、 いろんなところで、 新しい技術が市民のものになっているということです。 一番有名になったのが携帯電話です。 それから、 パソコンのネットワーク、 自動車ラジオはもちろんですし、 ビデオ、 ウォークマンなんかも大変役にたったそうです。
それから、 データのとり方も昔と違います。 実際の地震のダメージと被害状況は必ずしも一致しないんです。 気象庁に行って、 震度階のことを聞きました。 そうしたら、 震度階は地震のエネルギーとは関係ありません、 これは見た目の被害によってやるというわけです。 だから、 一番の激震地の神戸地区に、 気象庁から震度7が出たのは、 震災後三日目でした。 それまでは「震度4」なんて言っていた。 現地を見て歩いて、 これは震度6でも足りないと思ったんで、 何度も問い合わせたんです。
ところでわかったのは計測震度計というものがあったんです。 最新鋭のコンピューターじかけの震度計で神戸海洋気象台の管轄です。 しかし、 これが地震でラインが切れちゃったんです。 近畿地区の各気象台の情報は全部一回大阪管区気象台に集まるんですね。 兵庫県も京都府も。 そして、 一元的に気象庁から震度階がでます。 せっかく、 新しい技術があっても、 ラインが切れてはどうしようもない。
ある民間放送局で早朝番組をやっていました。 その前年の暮れに回ってきたマニュアルがあって、 震度5以上だったら、 コマーシャルをはずして、 特番に切り替える。 ところが当初、 震度5がなかなか出てこない。 4だと。 それは断線していたからですね。 だから担当ディレクターは、 あちこちからかかってくる電話の情報で独自判断をして「特番」にきりかえたと言っていました。
今回、 私が強く感じたのが、 日本という国の政治行政システムと官僚制ですね。 地方へ行けば行くほどシステム中枢から遠い話になっちゃうんです。 三月二十日に東京で地下鉄サリン事件があると、 地方のスタッフを大量に連れていっちゃうんです。 その時に感じたのは、 どうもこれは、 中央は頼りにならんぞということです。
神戸というまちは、 先ほど言いましたように、 開港場なんですけども、 だからこそ、 非常に気楽に海外の人たちが親しみ、 あまり歴史がないものですから、 新しいものを受け入れてきた。 西宮、 芦屋、 御影、 岡本、 六甲、 そして神戸…この地域のつくり方には、 あまりおかみの援助というものを期待せずにやってきた独立の地方事情あり、 そしてそこに神戸、 阪神間という風土が好きだった外国の人たちがいる。 ですから、 この神戸のまちというのは、 「世界からの預かり物」だと思っていいでしょう。 しかし中央の行政は「日本のローカル」と思っています。 地元代議士たちも。 やっぱりここらへんで、 「世界との関係」を考え直してほしい。 自分たちの力でつくっていく。 そして、 戦前の人たちがどういう風にまちなみと、 それに伴う「国際都市のムード」を作ってきたか…企業、 特に電鉄なんか、 実に独創的なことをおやりになった経営者がいっぱいおられます。 そういう企業経営者、 市民の方々、 それから地元の自治体行政の方、 デザインの方々なんかも協力して、 「世界からの預かり物」として関西で育ててきたこの神戸を将来、 もっと素晴らしいものにしていっていただきたいと思います。
竹山:
ありがとうございます。 阪神、 神戸の市民の力をもっと発揮しようというお話だったと思います。 では、 大森さん、 お願いします。