僕は灘区に住んでいます。 生まれは、 JRより下の西灘で、 何にも無いところ、 何の特徴もないところにお寺があります。 そこで生まれ、 高校を出てから、 関東に行きました。 十年ほど関東にいて、 そのあいだは神戸のことは放ったらかしで、 家が全壊して、 お寺も壊れたので、 その手伝いをしないといかんなということで、 こちらに戻ってきたんです。
私の紹介文の中に「naddism」と書いてあるんですが、 これがその「naddism」です。 一応、 細かいところに気を使っていまして、 ポケットに入れても、 「naddism」というのが見えるようにしているんです(笑)。 さっきお話にあった居留地なんかは、 えらい人たちが一生懸命にやっておられるので、 僕らはそれよりももっと、 地域に密着したというか、 身の回りの何でもない普通の道とか階段とかいうのを取り上げて記録していこうかなと思ったんです。「自分の記憶」から広がる輪
「naddism」 |
先ほどの玉川さんの詩は、 そのまま「naddism」に置き換えられるなと思って聞いていたんです。 玉川さんにとっての詩は、 僕にとっての「naddism」なんですね。 割と抽象的にやっているつもりなんですけど、 僕の思い入れがいっぱい入っちゃって、 ある読者の方から言われたんです。 慈さんの日記帳を見てるみたいだと。 僕はなるべく客観的にやっているつもりなんですけど、 あなたの記憶でないとできないことがいっぱい書かれていると。 でも、 それはそれでいい、 僕の目で見た灘というのをみんなに見てもらって、 それが良ければ第二、 第三の「naddism」というように、 いろんな見方の人が出てきてくれればいいなと思っています。
いまは、 「naddism」という活動だけなんですけど、 基本的に思っているのは、 まちを楽しんでほしいということです。 まちづくりのお手伝いもさせていただいたんですけど、 震災後特にお年寄りがかなり疲れてきておられて、 楽しい話もできない状態になっていました。 もちろん、 まちづくりというのはしんどいことの方が八割ぐらいです。 だけど、 もっと楽しいことをやっていったらいいんじゃないかと思っています。 この「naddism」も文字がちょっと小さい以外は、 おじいちゃん、 おばあちゃんにも好評で、 取材が甘いなんていうのは、 むしろお年寄りの方から言われるぐらいなんです。 まあ、 そういう感じで、 もっとまちを楽しむということを「naddism」を中心にやっていけば、 僕が思うに、 灘区をディズニーランドレベルのおもしろさに、 気持ちの持ちようでできると思うんです。 三宮とか大阪で遊ぶより、 灘区で楽しめるというようなまちになればいいなと思ってこういう活動をやらせてもらっています。