もうこれからはストックの時代だと言われてから久しい。 それは文化としてのストック、 いわば時間を蓄積する価値の重要性を訴える叫びだったのだが。
都市において言えば、 都市民みずからが生活する場としての「持続する環境づくり」に関わることだった。
ただでさえ、 そのストックは経済成長というフローの陰で葬られ、 先細りしていたところへ、 この震災は追い打ちをかけてしまった。 自然が原因の災害はもとより、 むしろ人為的な原因による破壊で、 先人の成し遂げた価値あるストックを失わせる事態を招いた「懲りない社会」。
魅力あるストックの乏しい都市は、 人々のくらしと意識に、 どんな影響をこれから及ぼすことになるのだろうか。 そんなことでは都市の生き残り競争からも脱落してしまう。
私たちはやむにやまれぬ危機感をもって、 このありさまを、 この震災復興状況下で考えようとした。
「都市の記憶」。
このテーマの「記憶」とは、 そのまち自身が育んできた特性であり、 そこに生きる人々の中でかたちづくられる意識の原型となる大切なものである。
いわば形あるものが、 さまざまの出来事をくぐり、 幾重にも重ねあわされた時間を経た存在であることが、 身のまわりから、 まち全体にたくさんあって、 そこで生まれた記憶が次々と記憶を生んで培養されるようなありようだ。
たとえば、 あなたの学校の校舎の場合。 まさに世代をつなぐ共通の場として、 あなたのまちの記憶を体現しているだろうか。 それとも、 大事にもされず無念にも建て替わったり、 姿形どころか影すらもない事態だろうか。
私たちは、 頻繁する校舎の建て替え問題の身近な事例を通して、 その望ましき学舎のありようについて考え、 提言し、 訴え、 この経験の中から、 「都市の記憶」というキーワードに導かれた。 これまでの記憶が大切に育まれているからこそ、 これからの記憶も次代に繋がるのだから。 わがまちの魅力は、 過去はもとより今現在のものを大切に未来に手渡していくような構造によってこそ育まれる。
そんな住み手の意識が、 そこここに現れていてこそ、 誇りある、 明日に繋がる千客万来都市にもなり得るのだ。
解題
求む、「都市の記憶」今こそ橋本健治
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