まずは、 AM神戸が頑張ったという話を三枝さんからお願いします。
では誘い水になるようなことをお話しします。
私たちの局はもともと須磨にあったのですが、 11階建のビルが全壊しました。 全壊のビルの中で、 主に安否情報を3日間放送しました。 各方面から評価をいただきましたが、 実際にはジャーナリストというより昔の瓦版的な内容で、 地域に向かって、 地域のことだけを放送しました。
これまでも「地域の一員としてもの申す」と装ってはいましたが、 やはりどこかに「それよりもジャーナリストの一員である」という意識が強かったように思います。 しかし、 震災でそれが壊れた。 ジャーナリストとしてよりも、 被災者の一員として報道していました。 私自身も食べ物がない、 寝るところもなくて、 いつ崩れるか分からない社屋の片隅で寝ていたことを思い出します。 2カ月半ほどはラジオカーが寝泊まりの場所でした。
その時何を伝えていたかというと、 地域の中での近隣のつながりです。 ラジオカーで各地を回っていて感じたのですが、 同じ被災地の中でも近隣のつながりが強い所と弱い所がはっきりある。 その後の復興の過程でも、 つながりの強弱は立ち上がりのスピードにも関わっていると実感しました。
後で落ち着いてから考えると、 救出率の高かった所とそうでなかった所は、 つながりの強弱にマッチしていました。
それはともかく、 震災をきっかけに「地元の放送局は地元と共に歩まねばならない」という当たり前のことにやっと気がつきました。 震災の教訓をもとに、 現在は社を挙げて防災ネットワークに取り組み、 「地域の中の報道とは何か」を一生懸命考えているところです。
室崎:
「地域のコミュニティのあり方で、 まちづくりに差が出た」という話は、 まさしくジャーナリストの目ですね。 しかし、 私が伺いたかったのは、 まちづくりを支える支援ネットワークにメディアはなりうるかということです。 報道ではなく、 支援という観点から地域に係わるという点ではどうでしょうか。
支援という点から見ると、 不十分であったと言わざるを得ないでしょう。 実はこの4年間、 私どもの会社そのものが存亡の危機で、 一年半ほどはプレハブの社屋で放送していたほどです。 まちづくりにどう関わったかと聞かれると、 「不十分でした」と答えるしかない状況でした。
室崎:
神戸新聞の宮沢さん、 サンテレビの浮田さんのところはどうだったのでしょうか。
宮沢(神戸新聞):
震災直後の段階では、 「まちづくり」の発想はメディア関係者のほとんどになかったと思います。 人によって求める情報は違いますが、 最初は何が起きたか、 どういう状況なのかを伝えることが大切だと思っていました。
情緒的な話になりますが、 ある避難所に行ったとき、 ひとりのおばあちゃんがウチのペラペラの夕刊を見て「私はこれを見て安心した」と言ってくれたことがあります。 その人はラジオもなくて情報源が何もない上に、 消防も自衛隊も彼女の所には来なかったのでとても不安だったらしいのです。 そんな状況で避難所に行ったら神戸新聞が置いてあって、 地震が起きて何が起こったかが書いてあった。 「だからようやく事態が分かって、 安心した」と言われるのを聞いて、 なるほど、 そういう風に理解されるのかと思いました。
ご質問の「どういう支援をしたか」についてですが、 新聞としてはボランティアの募集の掲載をしたことがありました。 ただし、 それは既存の組織から依頼があったときに掲載するという具合です。 僕の方からまちづくり協議会へ行って進行状況を報道するという視点は、 最初の段階では乏しかったと思います。
浮田(サンテレビ):
正直、 これはとまどう質問です。 まちづくりは現在も続いているわけですが、 そこで行われることや、 そこから出てきた知恵を伝えることが我々の仕事だと思っています。 個々の町がどうなっているかについては、 視聴者はあまり関心がありません。 しかし、 その取り組みから出てきたいろんな苦労や行動は、 将来いろんなところで役立つだろうと思って報道しています。
室崎:
被災者を客観的に見るか、 自分たちの問題としてとらえるのかを、 震災は突きつけてきたんじゃないでしょうか。 たぶん、 報道の仕事をしている最中にそう考えたことはあったのではないですか。 「この町が好きだ。 だから、 このまちづくりを応援したい」と思ったとき、 ジャーナリストとしては「客観」という一線を越えることになるのでしょうが、 そうした一線を越えてまでも支援しようとしたことはないでしょうか。
浮田:
それについては、 僕らメディアは無力ではないかと思うのです。 やりたくてもできない。
室崎:
無力だったと批判しているわけではなくて、 そうした体験が誰しもあったような気がするのです。 いつの間にか我を忘れて、 何かこの町のためにやってあげたいと思うような…。
いや、 むしろメディアについてはまちづくり協議会の人たちに聞いてみた方がいいかもしれませんね。 マスコミの功罪について、 正直なところを聞かせてもらえませんか。
あの…、 はっきり言って迷惑でした。 良かった点も確かにあるのですが、 どちらかというと迷惑したことの方が多い。
まず取材に来るテレビ局にしろ新聞記者にしろ、 担当者がコロコロ替わる。 その上、 まちづくりの勉強をして来ない。 だから、 同じ新聞なのに来るたびに一から同じことを繰り返して話す羽目になる。 こっちは忙しいのに。
それから大きいテレビ局、 テレビ朝日とかNHKがいくつもの会社に分かれているとは知りませんでした。 それが山ほど来る。 ハゲタカみたいに来る。 そして30分も1時間もカメラを回して、 いざ放送されるときは10秒か20秒。 ですから、 いらんことは話さないようにしよう、 一生懸命話すのはやめようと最近思っています。
小林(鷹取東地区):
マスコミに出ることで一番びっくりしたことは、 私の言葉ひとつで「今言ったことは本当なのか」と住民から電話がかかってきたことでした。 かなり影響を及ぼすことが分かったので、 マスコミの取材にはかなり緊張しました。
でも、 いい面も一杯ありました。 私の場合はマスコミさんは親切にしてくれました。 ありがとうございました。
小林(コープラン):
マスコミさんに文句を言うのはこの機会しかないので、 ひとこと言わせてもらいます。 いかにマイナスを及ぼすかについて、 どのくらい考えているんだろうかということです。
例えば森南地区でNHKが区画整理についてのアンケート調査をしましたが、 都市計画がすでに決定したことに対して簡単に好きか嫌いかを聞くというのはどうなんでしょう。 僕らプロの目から見ると大変難しい問題ですから、 本来はもっと解説したり勉強会を開いてからするべきです。 もし住民の大半が反対だという結果になったら、 それに対してどうするのか。 アンケートを採る以上は、 それに対して責任をとるべきだと思います。
報道機関がどちらに組みするかは自由ですが、 ああいうややこしい状況でアンケートをとって意見誘導をした以上は、 せめて2年か3年はつき合っていってほしいと言いたい。
報道したからまちづくりが混乱したとは、 よく批判されました。 そんな側面はあっただろうし反省しなければいけないことです。 しかし、 混乱の原因になったものは報道するしないにかかわらず現実にあるわけです。 そこにある問題はちゃんと報道しなければならない。 その問題について知らないままに物事が進んで、 結論を出していくことがいいとは僕には思えません。
教育的な情報については僕らの課題でもあるし、 まちづくり協議会の課題でもあるし、 被災者全体の課題であるとも言えるでしょう。
中島(松本地区):
しつこくこだわるようですが、 マスコミの役割って一体何なんですか。 僕らの地区では、 お上と調整しながらまちづくりを進めていかざる得なかったわけです。 そんな場合、 マスコミは行政や制度について我々に教えてくれないといけないでしょう? それなのに、 マスコミは行政と喧嘩している所ばっかりクローズアップする。 我々は最初、 行政は悪者なのかと思ってしまいました。 ところが実際に行政と話をしてみると、 よく分かる。
例えば森南地区の2。 5%の減歩が報道されたことがありましたが、 我々の方は9%の減歩で大騒ぎしてたんです。 我々も森南のように頑張って行政と交渉したら2。 5%の減歩になったのか? ならんでしょう。 地区それぞれの事情が違うんだから。 事情が違い、 いきさつも違うんだということを踏まえて報道しないと、 現場は混乱するだけなんです。
宮沢(神戸新聞):
それはおっしゃるとおりです。 森南の場合、 戦災復興の際に区画整理が行われているから2。 5%になったんだとウチはいきさつも付けて報道しましたが、 それ抜きで報道したところがあったかもしれない。 また、 見出しの付け方で一方的な印象を持たれたこともあったかもしれない。
しかし、 もし森南地区の2。 5%の数字を伏せてまちづくりが進行して、 「あそこは2。 5%ですんだ」と後で言われることになったとしたら、 それはいいことなのかどうか。 僕は、 まず事実を知ってもらった上で先に進んで欲しいと思って仕事をしています。
マスコミは、 最初に「ものごとはこうあるべきだ」と決めつけて報道してしまうから、 混乱してしまったと言えるのではないでしょうか。
日本は東京集権型の政治ですから、 震災復興も中央で決められてしまうのです。 市議会や当局が中央と必死の交渉をしているのに、 マスコミはその現場を見ようとしないで、 一部のもめ事を派手に取り上げてしまった。 僕らから言わせると、 なぜ取材の努力をせずに、 バランス良く両方の意見を聞かないのかという不信感があります。 マスコミがトラブルメーカーだと思わされたことが、 何回もありました。
マスコミには、 我々が国と交渉して出来なかったこと、 例えば「避難所には弁当ではなく、 金券を配れ」という声を取り上げて欲しかった。 金券にしたら、 地域の経済も助かったじゃないか。 何故わざわざ東京や大阪から弁当を送り続けねばならなかったのか。
もうひとつは仮設住宅のことです。 瓦礫を撤去した自宅跡に建てさせて欲しいと、 我々は何回も国に言い続けました。 しかし「それは個人の財産になるから駄目だ」と蹴られてしまった。 それなら、 自宅跡には2軒以上の仮設を建て、 ご本人が入られる以外は公募で人を入れましょうと提案したんですが、 それも駄目だった。
もし実現していたら、 地域コミュニティも壊れなかったし、 もっといろいろな復興が進んでいたかもしれない。 今のような住宅の建ち過ぎの問題も起きなかったでしょうし、 他県から人が戻れないということも起きなかったでしょう。
こういう問題は、 東京の記者クラブの人は知っているのです。 なのに、 全くサポートしなかった。 交渉していた時点で、 マスコミがキャンペーンを張ってくれていたら、 復興は今とは違ったものになったかもしれないと、 強く訴えておきます。
室崎:
マスコミの方、 何か反論はありますか。
ちょっと皮肉っぽい言い方になりますが、 最初は両方の言い分を聞いて、 後半はキャンペーンを張れということですか。 けっこう難しいことです。
「客観報道」がいいのかどうかは、 今後も検証していくべきことですが、 両者にバランスを取りながら、 かつキャンペーンをはれと言われても、 これは難しい。
例えば公的支援の問題にしても、 最初は「個人補償になるから出来るわけがない」という雰囲気を踏まえて「出来ない」と書きつつも、 やはり被災者のことを思いやる記事も書かねばならなかった。 片手で拳を振り上げ、 片手でさするような状況でした。 どこで折り合いをつけるのかは、 本当に難しい問題だと思います。
室崎:
おっしゃるとおりだと思います。 完全に中立ということはあり得ず、 それぞれの立場から主張されてきているわけです。 その主張のポイントが、 核心を突いているかどうかが問題なのです。 間違った所を突いてしまうと、 間違った方向に走ってしまう危険性は常にある。 ある部分を強調したために、 他の部分が見えなくなってしまうこともあり得ます。 今までの震災報道で全体像を的確に伝えられたかどうか。 しかし、 マスコミの努力で状況が好転した部分も確かにあるわけです。
我々学者や専門家がやっていることも同じことだと思うのです。 常にやっていることを反省していかねば、 進歩はない。 マスコミの方にとって、 震災は今までの発想ではなく、 もっと感情移入してもいい部分があるというかつてない体験だったと思います。 メディアの影響力の大きさをふまえながら、 何ができたのか、 何をすべきだったのかを突き詰めていくべきでしょう。
マスコミは何をなしえたか
地域マスコミとして頑張れたか
●地元密着の放送局へ
三枝(AM神戸):●まちづくりへの支援と言われても
三枝:●まちづくりを混乱させたマスコミ
中島(松本地区):
マスコミは何をすべきだったか
●まちづくりへの配慮より、 事実の報道が大切
宮沢(神戸新聞):●報道しなかった事実がある
平野(神戸市市議会復興委員会副委員長):●客観報道とキャンペーンの両立は困難
宮沢(神戸新聞):
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