ですから、 区画整理事業地域に指定されたときも「それは一体どんな事業? でもみんながこんなひどい目にあったんだから、 特別扱いできっと家を建ててくれるんだろう。 ひょっとしたら得をするかも…」というのが大半の住民の反応でした。 ところがよくよく話を聞いてみると、 区画整理事業とは行政が神戸市と国の予算で道路を広くして公園を造ることであり、 個人の家は一切関係ないということなんです。
しかし、 町の半分ぐらいの人が借地・借家に住んでいました。 地主の中にもそこに住んでいる人だけでなく、 不在地主もいたりして、 複雑な権利関係の人も千人近く住んでいたのです。 区画整理事業は基本的に土地だけをいじるということですから、 そんな複雑な土地の権利関係の中で暮らしていた住民にとっては大変なことになりました。
まず、 減歩と言って土地が神戸市にとられるというのです。 これは土地を持つ人だけに関係することですから、 借地・借家人には関係ありません。 ですから、 土地持ちと借地・借家人に分かれて対立することになりました。
その頃よく「復旧では意味がない。 前より良くなるためには復興という言葉を使おう」とあちこちで言われましたが、 前と違うものをつくる復興がどれだけしんどいことだったか。
さて、 区画整理事業地区に指定された後、 神戸市からまちづくり協議会を作って欲しいという要請がありました。 行政に対応したり、 地域住民の相談相手になってほしいということです。 行政が区画整理事業を進めるために、 便宜上、 必要だったのでしょう。 ですから住民発意で出来たのではなく、 行政の要請でできたまちづくり協議会です。 まち協が住民の意見をまとめ、 行政はまち協と話し合いをしようということです。 神戸市が助成金として年間百万円を出していますので、 会費は住民から1円ももらっていません。
だから住民が最初にぶつかったのは、 区画整理事業を認めるか、 認めないかということです。 それを決めるために住民総会を開きました。 その席上、 賛成多数で区画整理事業を認めることになりました。 そうしたら待ってましたと言わんばかりに神戸市が翌日すぐにやってきて、 道路はこんな道幅になるという計画を持ってきました。 いくら何でも早すぎる。 あまりに住民をなめていると感じました。
ともあれ区画整理事業は決定したものの、 具体的に道路が何メートルになるのか、 減歩率がどうなるのかを話し合うたびに住民の意見は必ず賛成・反対に二分されました。 それをどうまとめるかが大変です。 1日に10時間以上、 1日に3回も4回も話し合い、 会議の連続です。 1週間に20回ぐらいは会議をしました。
そのうち時間が経つと待ちきれないで、 自宅の焼け跡にプレハブを建てて住んでしまう人も出てきました。 また、 いったん鷹取を出て、 とりあえずでも自分と家族の落ち着ける場所ができると、 いちいち会議に出席するのも出来なくなるのです。 ほとんどの家が焼けた地区ですから、 会議に出られない人の方が多かったのです。
しかし、 そんな中でも鷹取東地区は対象地域の中で事業決定が一番早く、 仮換地指定も99年の年末には決定しました。 それだけ、 みなさんが足繁く遠くから通ってこられ、 物事を進めたということでしょう。 来るのが大変だから、 みなさんが会議出席のローテーションを組んで内容が万遍なく伝わるようにしたんです。 だからこそ1日に何回も会議を開くことになったのです。 また会議内容は口コミと電話で住民に行き渡るようになっていました。 1日に百軒以上は電話しました。
しかし、 残念ながらそういうことを手伝ってくれるボランティアはこの地区には一人も来てくれませんでした。 ほとんどのボランティアは避難所へ手伝いに行っていました。 しかし、 私たちのように協議会で忙しい被災者はたまにしか避難所へ行けません。 行ってみると、 東京あたりから来たボランティアが被災者よりも先に飯を食って救援物資を持って帰っているように見えました。 隣の地区のボランティアは会議の記録を取って、 それをコピーして即座に住民に配ってくれて大活躍だったと聞きます。 うちの地区のボランティアは会議に出席しても、 ぼーっと座っているだけ。 ほんまに役立たずでした。
借家の人は関係ありません。 借地の人は関係あります。 大地主は借地人にいてもらった方が得でした。 減歩率が低くなりますから。 というのも、 大地主だったら全体の減歩率は大きいのですが、 50戸に借地していると1戸当たりの面積が小さいため減歩率は緩和されます。 ところが、 土地も家も自分のものという人は、 自分の身を削られるのですから大変です。 そこで立場の違いでまたまた対立が起きることになりました。
対立のさなか、 地主が借地人、 借家人に無断で神戸市に土地を売るといった話も出てきました。 行くところがない借地人、 借家人が弁護士に相談しに行っても、 こういう問題にはまるで無知で埒があかない。 震災後の2月11日に「罹災都市借地借家臨時処理法」の適用が決まりましたので、 「あなたたち、 焼け跡にプレハブでも何でもいいから建てておきなさい」と言ったのですが、 間に合いませんでした。 今回の震災で私も法律関係を勉強することになりました。 建築基準法や区画整理法、 臨時処理法などは弁護士より詳しくなりました。
震災前から鷹取地区全体が古びた町でしたが、 特に私が住んでいた日吉町6丁目や5丁目は、 家が古い、 道幅が狭い、 老人ばかりと悪条件が三拍子揃っている点で、 神戸の中でもワースト1か2だったそうです。 統計ではっきり出ていたそうです。
ここは昔大地主がいて、 たくさんの借家を建てて3mほどの私道を付けたところです。 借家も4軒がつながったり、 8軒がつながったりしている長屋建ての家です。 相続問題が起きたとき、 新しい地主が相続税が払えなくなって「土地も家も買ってくれ」と言われて、 家持ちになったというわけです。 しかし、 長屋の家ですから柱の半分だけが私のものという変なスタイルで、 当然土地も相当小さいものです。 42m²以下ですから、 建て直したくても家は建ちません。
これは当時の担当課長が言っていたのですが、 現在の民法では隣家との境界は50cmずつ空けることに決まっているからです。 長屋程度の敷地でそんな法律を守っていたらまともな家は建ちません。 ましてやその上に減歩までするというのですから。 中には32〜35m²しかない家もあって、 そんな家が9%も減歩したらどうなるんですか。 当然多くの住民が怒り、 減歩反対に回りました。
減歩という問題さえなければ、 道も広くなり公園もできて環境は良くなるのですから、 みな大賛成したことでしょう。 しかし、 減歩のせいで自分の家が建たないのだったら「復興」にならないのじゃないか。 住民は、 まちづくりより自分の家づくりが何よりも大事なんです。
しかし、 我々はまちづくり協議会である以上、 将来の展望に立って街並みを考えていかなくてはいけない立場でした。
結局我々の地区では、 減歩の上限9%で合意しました。 そのおかげで事業計画の決定が神戸市では一番早かったのです。 他の地域は平均9%です。 上限9%を神戸市が認めた時点で私たちは「やった。 勝った」と喜んだのですが、 平均9%が良かったか、 上限9%が良かったかを後から考えると私個人は平均9のほうが良かったと密かに思っています。
住民は上限9%にすると9%しか取られません。 しかし実際にはもっと複雑です。
たとえば、 道路から離れた条件の悪い土地から、 良い条件の土地に移る場合など、 条件によって減歩率には加減率がついてまわります。 平均の減歩率にプラスなんぼ、 マイナスなんぼという形で条件の違いを是正するわけです。 だから平均9%の場合、 条件が悪いところから良いところに移った場合などは減歩率が15%になってしまう場合もあるわけですが、 9%しかとれませんから「後の6%はお金で払ったららええんでんな」と市は言うわけです。 一等地なのに坪100万円、 200万円、 と安いもんです。
あくまで秘密ですけど、 平均9であれば、 そういう人からは15%とる。 逆に条件が良い土地から悪い土地に入った人からは4%しかとらないということになります。 だから不公平はなくなるわけですが、 上限9の場合は、 この4%の人は6%ぐらいになっているのかもしれません。 しかし当時は上限9%で皆さんに認めてもらったわけです。
「まちづくり=家づくり」は誤解だった。
私たちの名称は「鷹取東復興まちづくり協議会」というのですが、 住民のみなさんは「まちづくりの中には家づくりも入っている」と誤解していました。 そりゃそうでしょう。 焼けて何もないんだから、 道路より何よりまずは自分の住む家のことを考えます。 人情としてそれが当たり前です。 しかし、 まず道路をどうするかの区画整理事業が先にあって、 家はその後にしか建てられないというのが現実でした。
―いかに情報を徹底させるか
減歩
ともあれ、 事業内容を住民にきめ細かく知らせることを念頭に置いて毎日動いていたのですが、 最大の問題が出てきました。 減歩率をどうするかです。
5年間を振り返る
まちづくり活動を支援するために地区にコンサルタントが派遣されてきます。 ところが鷹取東地区では、 来るコンサルタントを次から次へとクビにしました。 明らかに行政よりの意見を吐いたり、 ろくでもない計画しか出せなかったりする。 「鷹取東地区ではコンサルタントが育たない」と言われましたが、 それでもコンサルタント抜きで自分たちで勉強を進めました。 我々は専門家ではなく一般市民ですが、 おかげでコンサルタントをしのぐ人材がどんどん出てきました。 それも我々の事業が早く進んだ要因だと思っています。
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