松本地区のまちづくり協議会は、 深江や新開地のように昔から活動していたわけではなく、 土地区画整理事業を行うとの神戸市の発表がきっかけで作られました。 大井通1丁目から3丁目、 松本通2丁目から7丁目が対象です。 私の家は大井通3丁目でしたが、 自宅は全焼し、 みんなと同様にどうしようかと考えていました。 ですから、 松本地区のまちづくりは震災をきっかけに始まったのです。
私は古くから住んでいたわけではなくて、 平成元年に松本地区の住人になりました。 バブル全盛期で坪240万円で土地を買い、 将来値上がりするかなと思っていたところに大震災が来て、 土地の値段は半分になり、 減歩され、 銀行はお金を貸してくれないから家が建たないと三重苦の毎日を送っています。
これは松本地区で火災が発生したときに水がなかったため消火活動が出来なかったことから、 「町の中に水の装置が欲しい」という住民の要望が出て実現することになりました。 町に一つの表情を与える装置と言えるでしょう。
また拡幅される17m道路から地域内の集合住宅に入る道は緑道にしました。 幅10mぐらいの道ですが、 この沿道20mぐらいについて用途地域の変更をお願いし、 近隣商業地域にしてもらいました。 建ぺい率80%、 容積率300%になりますが、 従来から松本地区には背の高い建物はなかったことから高さは25mを限度にしました。
ここは震災前に1千200世帯、 2千400人が住んでいたのですが、 私道しかないところに密集した状態で家が建っていて危険な場所でした。 とはいえ区画整理をしてしまうと面積が足りなくなって家が建てられなくなりますから、 17m道路の他にもう一本10m道路をいれて日照問題を解決し、 同時に近隣商業地域にして土地を売ったお金で家を建てて貰おうという仕掛けです。
それを話し合った住民集会で「7m道路を17mにするだけで大騒ぎしているのに、 さらに10m道路を作りたいとは、 あんた正気か」と詰め寄られたことを昨日のことのように覚えています。 しかし、 先ほど言いましたように高低差がある地形の関係上、 4m道路を地区に何本も通しても、 防災上のメリットがあまりないのです。 それよりは10m道路に拡幅して段差をそこに持ち込んだ方が、 土地は有効に使えるのです。 そういうことを話して納得してもらいました。 17m道路は北側に6m50の歩道、 南側に3m50の歩道があります。 10m道路は双方に2m50の歩道を付ける計画です。
また会下山に桜が咲くと花見の人が地下鉄の駅から山に上がっていくのですが、 兵庫区の「通」の間では松本通4丁目の東西道路を上がっていくと花見が堪能でき、 帰りにお好み焼を食べるというコースが暗黙の了解になっていますので、 この道は「花見道路」と呼ぶことにしました。 東西道路は11mにして、 そこに1m50の歩道をつけ、 安全に山に上がれるようにします。
ハード面の成果については以上のようなことがあげられます。
テレビで取り上げていただいたこともあって、 応じてくださった方のうち、 一番遠方は埼玉県の方です。 1千万円を超す出資者がいたら株式会社になったと思うのですが、 315万円でしたので有限会社になりました。 NPOとは違って営利法人です。 日本では珍しいやり方ですが、 アメリカではよくこのスタイルでまちづくり会社が作られています。
会社の事業目的の一つは、 家を失った高齢者が自宅を再建するとき、 なかなか保証人になってくれる人がいないので、 そういう方々の債務保証をすることです。 315万円で保証が出来るのかと言われましたが、 銀行の住宅ローン保証も似たようなものです。 1兆円貸し付けていても保証会社が持っているのは僅かなお金です。 そんな経済機構の中にこの会社を組み込ませていこうと思ったわけです。
もう一つの目的に、 高齢者・障害者のための多目的互助組織を作ろうということがあります。 松本地区は高齢者が多く、 60歳以上の世帯主が人口の60%以上ですから、 高齢者対策は絶対に必要です。 そのための会館を作ることを会社設立時には念頭に置いていました。 1階が地域コミュニティの場、 2階が寝たきり老人のための特殊な住宅、 3、 4階は一般住宅にしようと思っていました。
このうち債務保証については、 神戸市住宅局が出した定期借地権制度と自力再建支援の制度を活用することで、 我々民間が保証しなくても良くなりました。 だから、 かなり厳しい条件の方でも家が建てられることになったわけです。
多目的互助会館については、 神戸市と1年間交渉に当たりましたが、 設立は難しいということでした。 現在は、 地域福祉センターと川池婦人会館が合体するような形で一つの建物を区分所有し、 互助活動を行うことになりました。 我々CDCは営利法人ですから、 そこから手を引くことになるのですが、 結果として互助会館を作ることができました。
また、 地域内に受け皿住宅が40戸できました。 民借賃の公営住宅は27戸あり、 現在合計67戸の受け皿住宅が松本地区にあります。 いずれも集合住宅で、 失礼ながら中途半端な小さな住宅です。 災害復興公営住宅の入居条件で入っている人が多いものですから、 入居が決まったとたんに入院して一度も使われていないという部屋もあります。 いずれ十数年経つと、 空き家が続々と出て来るんじゃないかと思っています。 それをCDC神戸が管理し、 寝たきり老人が使えるような住宅にしていきたいと考えています。4 協議会活動を母体に
新たなコミュニティ組織を松本地区まちづくり協議会 中島克元
新開地のまちづくりは億単位というお話でしたが、 松本地区は万単位で活動しております。 区画整理自体は松本地区で180億というとてつもないお金がかかっています。 松本地区は8.9haですから普通なら80〜90億円ぐらいで整備されるところでしょう。 ただ松本地区の地形の特徴として南北100mの間に最高で6.5mの高低差があり、 区画整理をして宅地を整備していくためにたくさんの擁壁を作らなければなりません。 また、 地盤が相当悪かったそうで、 地盤改良もしなければならないということです。 ですから6万m²が焼失してほとんど更地になっているにもかかわらず、 180億円ものお金がかかるわけで、 決して住民が飲み食いに使っているわけではございません。
住民の要望でできる歩道のせせらぎ
この5年間を振り返り何ができたかを挙げると、 ハード面では町全体の整備がすみ、 まるで傾斜地に出来た新興住宅地のような体裁になりました。 そこの歩道にせせらぎを流す予定で、 今年から工事にとりかかります。 このせせらぎ用の水をどこから持ってくるのかですが、 行政の力を借りて、 北区鈴蘭台の下水を3次処理したきれいな水を1日当り6千トンもらうことになりました。 せせらぎは狭いところで60cm、 広いところは1m50cmほどで、 小さな小川を歩道に配置したものです。 水深は3〜5cmの浅いものです。
新しいまちづくり組織
松本地区ではこの5年間の間にまちづくり協議会を母体とした二つの新しいまちづくり組織が誕生することになりました。 一つは「有限会社CDC神戸」というまちづくり会社です。 これは協議会の役員を中心に一口5万円を募集し作った会社です。
「有限会社CDC神戸」を作る
松本地区の様子(2000年6月16日現在) |
しかし、 区画整理という特定の目標が達成されても、 まちづくりそのものはずっと続いていくわけですから、 新たに二つの組織を作りました。 まちづくり協議会の活動は減歩率や地区計画など住民の財産内容に触れるようなことを決定しますが、 これは旧来のコミュニティ組織ではできないことです。 しかし生活し暮らしていく中でのコミュニティにはまた別のスタイルが必要ですから、 今後は川池自治会で末永く活動していこうということになりました。
この5年間、 地域は様々な家庭の事情で区画整理事業に賛成、 反対に分かれました。 本来こういうことは真野地区のようにじっくりと時間をかけて話し合っていくべき事でしょう。 しかし突然の震災でしたから、 我々には残念ながら時間がありませんでした。 特定の目標のために押し切ったきらいがあります。 今後はそうしたことを反省点として、 大きな声の意見しか目立たないという大集会を中心とするのではなく、 少人数の会議を何回も開いて誰でもが言いたいことを納得するまで言えるような会議を中心にしていきたいと考えています。 そんな地域コミュニティを育てていきたいと思っています。
ですから松本地区は隣保の再編が今の一番の課題です。 また、 そうしたコミュニティを核とした緊急連絡網を整備し、 高齢者・障害者をサポートするシステムを作り上げたいと思い、 今年中にはその実験を開始する予定です。