阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク
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1 まちづくり協議会の今後
(現場から)

司会(辻)

 第2部では、 まちづくり協議会が今後どうなっていくのかに焦点を当ててお話しいただきます。

 深江と新開地は震災前からずっと活動を続けてきた協議会ですが、 あとの三つは震災で多くの建物をなくし、 そこへ土地区画整理事業が適用され、 それに対応してまちづくり協議会ができたところです。 谷口さんによれば、 神戸市の要請によってできたとのことでした。 とはいえ、 そこまでは共通していても、 これら三つの地区にはそれぞれ独特のやり方がありました。

 そこでまず谷口さんから、 今後の鷹取東復興まちづくり協議会の活動方針についてお話いただきたいと思います。 よろしくお願いします。


鷹取東の場合

谷口

 これからのまちづくりを考えると、 まちづくり協議会が必要なのか必要ないのかが一番問題だと思います。 行政命令で作られた協議会が、 事業が終われば解散するのは当たり前の話ですが、 本当に自分たちの住むまちを良いまちにしていくためには、 それですむのかということです。 良いまちにしていくには、 まちづくり協議会は絶対に必要だと思います。

 今のところ、 私たちのところは任意団体ですが、 区画整理事業が終ったら、 復興まち協は解散しても、 まちづくりを担う団体が新たに認定団体になれればと思っています。 というのも認定団体になれば毎年助成金がもらえるからです。 その助成金によってまちづくり活動が進められる、 そういう便利さがあります。

 いま、 地区の人たちは借金やローンなどでお金を工面して家を建てておられます。 まだ建っていないところもたくさんありますが、 そういう人たちにも家を再建していただきたいと思っています。 ところが商店もありませんし、 住民は電車に乗って買い物にいかなければならない状態です。 しかし商売人からみると、 店舗をつくっても儲かりません。 みなさんは給料のほとんどを家の借金払いに回してしまいますから、 「今日はこんなごちそうを食べたい」と思っても、 辛抱しておこうかと切りつめるわけです。 「このシャツ、 この上着、 もう1年着れるから買わんとこ」と。

 神戸市の西区と北区に新興住宅地ができ、 やはり借金して土地を買って家を建てています。 ところがあそこの商売はぜんぜんはやらない。 ここも家のローンを払うのに精一杯で、 高い買い物ができないのです。

 道路もできたのですが、 まだ交通標識も何もありません。 道は広いけども駐車ばかりです。 震災後学校が統合されて児童の通学路が変わったという子供たちの問題もあります。 それに、 更地のままで家をまだ建てられない人の問題。 この人たちは老齢で、 お金も借りられない、 家も建てられないのです。

 ですから、 まちづくり協議会を解散しても、 生活の安定をまちづくりのなかに組み入れていかなければならないと思っています。 新しい次の人たちに、 いわゆる認定団体になっていただいて、 こういう人たちを救いながら「人間づくり」協議会を進めるべきでないかと思います。 人間づくりができれば、 花も緑も自然と生まれてきますから。


松本地区の場合

中島

 松本地区でも、 まちづくり協議会は事業が終ると解散し、 なくなります。 しかし、 私はまちづくり協議会の活動が周辺地区にかなり大きな影響を与えたと思っています。

 クリーン作戦というのがありまして、 1年に3回、 1月17日と4月17日、 9月17日にゴミひろいのイベントを新開地地区などと一緒に始めました。 現在延べ1万1千人ぐらいの方が参加していますが、 最初はぜんぜん出てきませんでした。 それが最近、 一番近いところでは178世帯の方が参加するようになったのです。 聞くところによると、 松本のまちづくりの様子を見て、 楽しそうだと思ったそうです。

 というのは、 役所の人間も含めて、 よるとさわるとしょっちゅう宴会をやっているわけです。 もちろん協議会のお金は飲み食いに使えませんので、 全て会費でやっています。 そういう姿を見てなんか楽しそうだと、 参加者が増えているのかなと思います。

 あるいは救急救命士の講習会を松本地区で開催しているとか、 いろいろ新しいシステムを考えています。 このように相当大きな影響を与えていると最近実感するようになりました。

 これからは旧来のコミュニティの概念ではなく、 あるいは旧来の街区単位でもなく、 違った形でやる必要があります。 行政が作ってきた自治会、 婦人会、 子供会、 青少協、 PTAといったような、 地震の時にほとんど腰を抜かしてひっくり返っていたところが、 4年、 5年たってきますと、 息を吹き返して動き出すわけです。 いざ鎌倉というときに動けなかった旧来の地域コミュニティでは仕方がありません。 実行部隊を持って常にイベントを通して訓練し続けていく必要があります。

 先ほどもお話しましたが、 我々の地域コミュニティがもう少し力を蓄えたら、 公園や水路の管理だけではなく、 地域内にある住宅について実際に管理してゆきたいと思います。 このようにお金を伴っている事業については有限会社を使ってやっていきます。

 また特に介護保険については、 地域によってはNPO法人化してやっていくというところもあるわけですが、 松本地区では会社と自治会の二本立てで地域コミュニティとしてやっていきたいと思っています。

 復興のまちづくり協議会は特定の目的を持ち、 特定期間に動くもので、 個人の主権を一部制限してしまうということもありました。 つまり、 民間だけどもパブリックという側面があったわけです。 地域コミュニティはそうではなく、 個人個人の生活を共同互助の精神で助け合っていくものである筈です。 松本地区の場合は、 そういう意味でまちづくり協議会の役目を終了し、 自治会と会社という二面でやっていきたいと思っています。

司会(辻)

 ありがとうございました。 松本の協議会は区画整理があってできた協議会なので、 区画整理が終われば解散する、 そのかわり、 これからの地域コミュニティを、 CDC神戸という有限会社と、 新しい川池自治会にゆだねたいということでした。

 続いて新開地の青木さんから今後のことを伺いたいと思います。


新開地の場合

青木

 新開地ではまちづくり専門のNPOを立ちあげました。 まちづくりといってもさまざまで、 まちづくりを名乗っているNPOが何をしているのか良く分からないと思いますが、 我々の考えているまちづくりは、 いわゆる宗教と政治以外は全て入っています。

 NPOにしたのは、 税制面で非常に優れているからです。 任意団体ですと例えば2億円の建物を自治センターとして作った場合、 じゃあ1億円ほどかかる税金は誰が払うんだという問題が出てきます。 その1億円をずっと自治会のみなさんが払っていくのか? あるいは20年後に自治会館がつぶれた。 するとその20年間は何をしていたのか、 ということになります。

 ところがNPOは、 寄付を受ける受け皿としても、運営に関する税制面にしても優遇が期待でき、 財産を持つにはこれしかないということになりました。

 ただし税金のことだけでNPOにするというのではなく、 まちづくりをもう一歩踏み込んで具体的にやっていくという目的もあります。 今までのまちづくり協議会は、 商店街、 または自治会、 婦人会などいろいろな団体の調整役、 つまり連絡網であると考えています。 ですから、 いろいろな問題点がありますが、 もめる前に調整するのがまちづくり協議会で、 たえず各種団体の横の連絡をとりあっていく推進母体です。 ですからこれは別に解散させることもないし、 そのまま継続させるべきです。

 一方、 まちづくりとしてすることを、 「残すこと」「作ること」「伝えること」に分けると、 残すことにはまちのいろいろな歴史的財産を残していくことがあります。 作ることには、 民間再開発、 共同建替とかがあります。 ほかにいろいろな文化的な施設とか、 歴史資料館的なものも考えています。 また伝えることとは、 まちがどのように変貌しているか、 またどのような魅力があるかを我々の子孫に伝えるということです。 これらを具体的にやっていくためにNPOを立ちあげたわけです。 これからはNPOで具体的にやれることは全部NPOでやるつもりです。

 また、 これは震災後の発想ですが、 危機管理も担いたいと思います。 大震災では、 新開地の周りも70%以上が全半壊し、 死傷者もだいぶ出ました。 このとき行政は混乱していて何もしてくれませんでした。 これは人の生き死に関わる問題です。 72時間以内に救出するためには、 地元の人間が動かないと駄目なんです。 ですから自治センターにバケツからツルハシからチェーンソーまで全て置き、 あそこにいったらなんでもある、 と地元のみなさんに伝えておきたいと思います。 これは行政とだぶってもいいと思うんです。

 新開地の場合、 不在地主さんも多くおられるとはいえ、 実際に住んでいて若くて動ける方の横の連絡がたえずとれています。 だから大型の災害が起こった場合、 我々の自治センターが本部になって、 心肺蘇生法もできる若手の方に現場にすぐ急行してもらいます。 また本部と絶えず連絡をとってもらい、 本部に来てもらえば、 どこに救援が必要かがすぐ分かるようにしておきたいと思っています。

 そのほか、 新開地の商店街が衰退してきていますので、 今年(2000年)の5月には新開地で女性のジャズのイベントをしたいと思っています。 北野ジャズも有名ですが、 どちらかというと暗いかな、 という気がしますので、 逆に女性ジャズとしたわけです。

 また、 湊川を埋め立ててそろそろ100年になるのですが、 NPOでその100年の歴史を雑誌にまとめたいと思っています。 これは今のうちにやっておかないと、 どんどん高齢化が進み残しようがなくなります。 もう遅いぐらいですが、 3年ぐらいかけて、 歴史的な写真、 昔の歌など、 全部残していこうと考えています。

 さらに今後はモールの見直しとか、 地下鉄の新開地駅にエスカレーターをつけてお年寄りも気楽に来てもらえるまちにしたいとか、 ここに新開地あり、 というランドマークをつくり、 それを水と光とかで演出したいなどと、 様々に考えております。

司会(辻)

 ありがとうございました。 新開地のまちづくり協議会は、 各種団体の連絡母体だということでした。 その中でボートピアが来て、 いろいろなお金も使えるようになってきた。 その資金をベースにNPOができ、 今後このNPOを中心にまちづくりを具体的に進めてゆくということです。 これは商店街というか、 繁華街のまちづくりの典型だという気がします。 他の地区は住宅地でのまちづくりだと思いますので、 この違いは非常に明快だと思います。


琵琶町から

池田

 私たちのまちづくり協議会は、 震災の年の5月に区画整理の網がかかり、 その受け皿としてできたのですが、 お金がないので自治会を休会し、 その蓄えを使ってやってきました。

 今70%ぐらいの家が再建され住民が戻ってきています。 やっと帰ってきた人から、 自治会はどうなっているのかと聞かれることが増えています。 ですから、 できれば今年(2000年)の5月ぐらいに自治会を再開したいと考えています。

 ただ、 さっきの中島さんのお話で、 総会の出席数が過半数と言われてびっくりしています。 うちは総会をやっても役員20人の倍もきたらいいほうで、 会則づくりでは、 出席者の過半数の賛成でもってやろうかと言っているぐらいです。 全体の過半数なんて絶対に考えられないので、 後で中島さんから約90%の方から自治会費を集めたというノウハウを教えていただこうかと思います。

 先の谷口さんのお話では、 お店がないということでしたが、 私どもの地区では完全にオーバーショップです。 コープができましたし、 今また関西スーパーができています。 地域住民への説明会があったのですが、 近所のおばちゃん達に「あそこは時間の問題やで」「どんなマーケティングしてあんなところに建てたんやろな」と言われています。 そのうえ六甲駅南地区にも大型店が入ると聞いています。

 自治会の問題と同時に、 いつまで協議会をやらなければならないのか、 というの問題があります。 先ほど申し上げたように、 3月21日に仮換地はほとんど終わり、 あとは清算問題というかなり個人のプライバシーに関わる段階になります。 これには協議会は関与しないと会則で決まっています。 ですから、 協議会があとどのくらい続くのかよく分からないのですが、 神戸市からの助成金が切れたらもうやめようかとも思っております。 自治会でもほとんど同じ事がやれると思います。

 それから1年ほど前に灘区では防災福祉コミュニティという大きな組織ができました。 そこで震災前までは全然おつきあいがなかった方と知り合いになれました。 また地区にはだんじりがあり、 年に二回ほどだんじりを曳きます。 人がいないので私もかついでるんですが、 それはそれで良いコミュニティができてよかったと思っています。

 琵琶町には高齢者がたくさんおられます。 この前調べたら単身独居の老人が250〜260の世帯に14名か15名おられ、 これがみんな元気で頑固なんです。 まあ人の世話にはならない、 息子の嫁とは絶対にいっしょに住まないという感じです。

 私の家の前の平屋でも、 おじいちゃんが「震災後息子の嫁とは絶対一緒に住みまへんで」と言っておられるのですが、 その方が夜中にちょいちょい狂います。 このあいだも錯乱して、 もう分からなくなる。 レスキューの方が、 うちをどんどん叩いて、 鍵をあずかってないかと聞きに来られたのですが、 だれが預かっているかもわかりません。

 今後、 介護保険問題とも連動してくると思うんですが、 そういった問題が大事だと思います。 区画整理という大きな山を一回乗り越えましたので、 新しいコミュニティを大事にしていきたいと思っています。

司会(辻)

 琵琶町では休会状態だった自治会を再開するということです。 まちづくり協議会については区画整理が済めば解散するということはわかっていても、 具体的にいつ区画整理が済むのかとなると難しい面があります。 法律的には換地処分が済むと区画整理は終わるのですが、 換地処分がいつ終るかは分かりません。 つい先だって、 葺合地区の戦災復興区画整理の換地処分が終わりましたが、 50年かかっています。 住民の活動としてそこまでつき合う必要があるのかが問題です。 琵琶町では助成金がなくなったらやめるんやと、 非常にわかりやすい説明でした。


深江地区から

佐野

 深江は先ほどお話ししたようにこれからも緑豊かで安全なまちづくりをしていこうと考えています。 その中では、 歴史や文化をまちづくりのキーポイントにしていきたいと思います。 ちょうど地区の中央を西国浜街道が東西に通っており、 松の木を小学校に植栽したり、 駐車場に緑を植えて下さいという運動も昔からしておりました。 神戸市と緑と花の市民協定を結び、 3年間補助をいただいてそれぞれの玄関先に緑を植えてもらおうという活動も進めております。 歴史の道についてもいろいろ考えて、 絵もつくっています。

 問題はお金がないことです。 新開地のように何億円というお金が入れば良いのですが、 我々の所は何百万円も入りません。 阪神の高架のために、 神戸市が土地を買っているので、 おそらくあれが少しは残る、 そこに街角公園を作ろうじゃないかと考えています。

 そうなると、 神戸市も任意の団体では貸してくれないと思いますので、 金がなくても法人格がとれるNPOを今後研究していこうとみんなで考えています。 それと同時にイベントを、 できるだけ金儲けもふくめてやっていきたいということ、 そして安全な町ということで救命士育成や防災訓練を進めています。 これらを推進してゆくにも、 やはりお金なり法人格が必要です。

 特に深江には、 110棟のマンションができ、 空き室がけっこうあります。 また、 そういったマンションに入ってきた人の30%ぐらいが新住民だと思います。 震災後に出来たマンションにはオートロックがあり、 ピンポンを押しても知らん顔で、 自治会には入りませんという人が多いのです。 あるいは自治会を知らない方がほとんどです。 そういった方々と自治会とのコミュニケーションをどうとっていくのか。 それにはやはりイベントを何回も打ちながら進めないと外に出てくれないんじゃないかと思います。

 だいたい27万m²ぐらいあった更地の95%ぐらいが元に戻りました。 ただし駐車場がやたら増えたことが問題です。 住宅はずいぶん建ち、 世帯数は震災前よりも増えましたが人口はまだ10%ぐらい減ったままです。 なぜかというと、 ワンルームが増えたからです。 そこに住む人たちと、 いかにコミュニケーションをとっていくかがこれからの課題であり、 そのためにもなんとか金を貯めたいということで、 NPOをうまく利用する方法を考えています。

司会(辻)

 ありがとうございました。 深江では新住民が30%おられ、 コミュニティをまとめていくのがかなり難しいようです。 打開策としてはできればNPOをつくり、 イベントを打ち、 活動資金も得ながら進めたいというお話しでした。

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