私は六甲道駅北地区のまちづくりをやっております藪田と申します。
隣の琵琶町では95年の5月に協議会が立ち上がっていますが、 私の地区では8月までずれこみました。 震災直後、 神戸市や県の方から案が出てきたのですが、 その中でこの六甲道駅北地区には1haの防災拠点公園を持ってきていました。 また17m道路も入っていました。 住民は行政不信の気持ちで一杯で、 まちづくり協議会を作って下さいと言われてもいやだと言ったのです。
1haもの大きな公園を作られたらみんなが帰れない、 なんとか公園をなくしてほしい、 ということで署名を集め、 また出しても通らないと分かっていましたが、 県知事に意見書も出しました。 実際押し切られてしまって3月17日の決定をみたわけです。
そこで十数名の人が集まって六甲の新しいまちづくりを考える会を作りました。 このまま神戸市の言うとおりになっていたらどんなまちづくりをされるか分からない、 とにかく住民の力でまちづくりができるように勉強しようということになりました。 区画整理とはどんなものだ、 減歩とはどんなものだ、 というところから始まりました。 場所もなかったので、 焼け跡に大きなテントを建て、 とにかく行政に負けないように勉強して、 対等に話せるようになってから行政と話し合いをしよう、 という意気込みでやってまいりました。
その辺の勉強ができた段階で、 5月に一度行政と話し合いをしようということになり、 市長にもの申す会で何でもしゃべろうということで一週間とり、 もう喧々囂々と行政の方とやりあいました。 今、 考えますと、 その機会が行政と住民の話し合いのきっかけをつくったと思います。 その結果、 1haの公園を見直して、 公園を狭くするという話しが出たわけです。 それはもう住民は喜びましたね。 よし、 住民の言うことを聞いてくれるんだったら、 まちづくり協議会を作って行政と話し合いをしながら決めていこうということになりました。
最近の話しを申し上げると、 わたしのところは各協議会の連合なのですが、 1年前から、 自治会組織の検討委員会を作って各協議会ごとに規約の検討をし、 現在仕上げの段階に入っております。 古い自治会の規約では新しいまちづくり活動を継承することはできないから、 自治会の規約を全部見直して作りなおそうということです。
私たちは今、 住宅再建部会、 防災検討部会、 生活環境部会、 道路広場部会、 公園検討部会の五つの専門部会をもっています。 将来まちづくり協議会が自治会に移行しても、 自治会でまちを守っていき、 なにかの時にはそれらの部会を軸にさっと集まっていつでも今と同じ活動ができるということを目標にやっております。
もう3年になりますが、 毎月ニュースレターを作って、 住民の方、 あるいは遠くにいらっしゃる方にお送りして、 まちづくりの内容をお知らせしています。 これがずっと続いているのは、 専門部会の活動が活発だからです。 つまりいくらでも記事が書けるんですね。 今月(2000年3月)の12日には17m道路の整備について住民に集まっていただいて、 道路検討部会では道路の整備方針を考えているので、 これでよろしいかと話し合います。
私は平成3年に定年退職して、 そこで自治会長を仰せつかったわけです。 それから震災が起こるまでのうのうとやっていました。 何をしていいか分からない、 名前だけ、 それが昔の自治会です。 震災後、 これからは、 今のみんなの活動を活かして、 安心して暮らせる、 新しいまちを作っていく自治会づくりを考えております。
それからもう一点、 谷口さんからお話がありました、 いろんな条件によって意見が違うという温度差の問題についてですが、 やはり今私が考えているのは、 移転補償交渉の中でも、 この温度差によってどうも躓いているということです。 その辺の克服をどのようにされたかということをお教えいただきたいと思います。
司会(辻):
長田のほうも同じですが、 六甲道にはまちづくり協議会がたくさんあり、 その連合会の中で部会方式でいろいろやっておられます。 初めは市と話ができなかったけれども、 勉強して、 喧嘩して、 対話ができることがわかった。 そこからまちづくりの話がどんどん進み、 それが自治会づくりにフィードバックされてきたということです。 松本あたりもそのような経験の中からでてきたと言えると思います。
移転補償について、 遅くなるほど損だということを是非言っておきたいと思います。
もちろん協議会は移転補償の問題には立ち入ることはできません。 個人の問題に立ち入ることは出来ないということです。 しかし、 私個人としては遅くなるほど損だと思っています。 燃えているうちに早く神戸市と話をつけたほうが得です。 遅くなるほど減ります。
長田区には国籍の違う人もいっぱいいます。 個人だったら国籍が違っても楽ですが、 国によっては後ろに組織がついている場合もあるようです。 すると神戸市と組織の話し合いになりますから、 これはずっと遅れます。 でも、 遅れるほど損です。 それははっきり認識された方がいい。 だから、 最初に言われたら、 もう一辺考える、 それで2度目ぐらいで判を押した方が良いと思います。
今までのお話しに、 天の半分以上を支える女性の姿が全然ありません。 復旧、 復興のまちづくりのあと、 福祉を含めたソフトなまちづくりを進めようという話がある中で、 大きなパワーになるのは地域にいる女性です。 特に地域の中では住んでいる人の約65%ぐらいが女性で35%ぐらいが男性ではないかと思います。 にも拘わらずお話しに出てこない。 もし、 これからのまちづくり協議会の中で今後地域に住んでいる女性の参加について考えていらっしゃるのなら、 ちょっとお話し頂きたいと思います。
あまりにも偏りすぎています。
藪田:
私どものところでは公園検討部会の座長さんは女性です。 その座長さんが、 どうせ多くの公園ができるのだからというので、 先に既存の管理会を改組して、 六甲道駅北地区公園管理会をつくりました。 また建設省と交渉したり、 地域の中にたくさん花を植えましょうという緑花運動の中心になっておられます。
中島:
今の石東さんのお話ですが、 ここに会長として座っておられるのが女性ではなく、 働き盛りの熟年層の男であるというところに震災後の特徴があると思っています。
今までは、 おじいちゃんおばあちゃんが老人会とか、 PTAの会長をうれしそうにやっているから、 まかしとけというか、 実は無関心だったんです。
また復興まちづくりで、 協議会の会長を女性が仕切れるかというと、 僕にはちょっと信じがたい。 毎日家に「お前、 なに勝手にうちの土地のことをやっとんねん」と脅迫の電話がくるんです。 「やかましいわ、 あほ、 文句あるんやったらちゃんと言いに来い」とやるわけです。
長田東部のマンション管理組合には女性でがんばった人が確かにおられました。 そこでは男性では血の雨が降ってしまうから女性のほうがよかったんです。 そういうケースはありましたが、 実際にはこういうメンツが並んでいるところに震災後の特徴があると思います。
それと旧態依然とした自治会とか婦人会だとか、 そういう活動に辟易している人たちが若い層で増えています。 それがまちづくり協議会という名前になったもんだから、 すんなりと来れるようになりました。 そういうところも実は大きいと思います。
佐藤:
早稲田大学の佐藤です。 昨日(*注)、 今日と聞かせていただいて、 一つ気になったのは横のお話し合いがあまりなかったことです。
まちづくり協議会は小さい単位で濃密にやっておられるので、 おもしろいアイデアがたくさんでてきています。 そういったもの、 あるいはそれぞれが蓄えた知恵とか議論とかが、 他のところでどういうふうに使えるのか。 そこで出てきたものは、 たまたまでてきたものか、 それとも必然性があって出てきたものなのか。 それがうまくいっているのか、 また別のところで展開できるものなのか。
協議会が横につながり、 そういったことを議論され、 こういう宝物がよそでも応用できるようになると、 さらにすごい展開になるんじゃないかと思いました。
被災直後にまちづくり協議会に出させていただいて、 詳しく話を聞く機会があったのですが、 当時と比べ今日はみなさんの顔が輝いていました。 自信に溢れています。 やはりすごい事業を成し遂げたという、 そういう自信なんだと思います。 皆さんのお話しを聞いて僕はここにきてすごく得しましたし、 僕自身は研究者と自己規定しているわけではありませんが、 研究の対象としてもものすごく豊かなものがあるという気がしました。
司会(辻):
横のつながりということでは、 今日これを主催しました「神戸まちづくり協議会連絡会」があるのですが、 今後この「まち連」がどうなっていくのかも含めて、 いずれかの機会にまたみんなで考えていきたいと思います。
中島:
横の議論としては、 たとえば3月18日に、 朝日放送の道上洋三さんに司会をやっていただき、 今日お見えの中山さんにもきていただいて、 住民合意形成や地域コミュニティについて、 「いったい誰のためにあるのか、 何をしようとしているのか、 今後どうしようとしているのか」と3部に分けて討論会をやろうと思っています。
また、 今日ここに来ていただいた協議会のみなさんを、 まちづくり支援アドバイザーとして登録させていただき、 大学の先生やプロのコンサルタントではない、 市民の視点でのアドバイスを出来るようにしたいと思っています。
たとえば会議の運営の仕方も他の地域コミュニティの役にたちそうです。 賛成か反対に分かれて喧嘩をするのではなく、 まあまあのところで、 まあええやないか、 なんとか先に進もうやないか、 という雰囲気を作り出してきたテクニックもまとめ、 伝えてゆきたいと思っています。
そのような企画を今後進めていきたいと思っています。
今日はどうも長時間ありがとうございました。
移転補償と協議会
谷口:
女性が出てこないのは何故
石東直子:
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注
本書に関連する報告会に先立ち2000年3月3日に行われた「震災復興 まちづくり支援の5年と今後」というセミナーのこと。 この記録はこうべまちづくりセンターで整理されている。
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