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だんじりと地域

だんじりの個性と熱意

改行マークだんじりには、 地域それぞれの雰囲気があります。 異なった地区に行くと、 違和感を憶えてしまいますが、 逆に言うと、 地元の人にとっては自分の地区のだんじりが一番なのです。 小さい頃から、 地元のだんじり囃子を聞き、 その踊りを見て、 曳いていると、 それが一番になるのだと思います。

改行マーク岸和田では、 生活の中で、 だんじりの占める割合がより大きいようです。 祭りが終わるとすぐに次の祭りのことを考えたり、 盆と正月には帰らないけれども祭りの日には帰るとか、 そのような雰囲気の中で行われています。 祭りを行うには、 用意周到な準備がいります。 それだけの手間ひまを岸和田の人たちはかけているし、 かけられるのです。

改行マーク神戸のだんじりも、 岸和田のように生活に密着したところもあります。 しかし、 客観的に見て、 神戸の人のだんじりに対する熱意は、 岸和田の一〇分の一だと評されています。 神戸に合っただんじりとは言うものの、 やはり熱意というところでは、 岸和田に今一歩というところがあります。 これは、 祭りを文化としてとらえるなら、 祭りに対する土壌、 祭り文化に対する土壌が、 少し違っているところから生じているのだと思います。


だんじりのブームと復活

改行マーク昭和の初め頃に、 だんじりのブームがありました。 この時期に、 多くの地区がだんじりを新調したり、 よその地区から購入したりしました。 残念なことに戦争で多くのだんじりが焼失しましたが、 戦後すぐに祭りは再開され、 昭和三十年代まで続けられました。

改行マーク祭りの日は、 「ハレとケ」のハレの日であり、 この日は大人は、 仕事が休めて酒が飲める。 また子どもにとっても賑やかな雰囲気のもと、 祭りを楽しみながら、 お小遣いをもらって、 出店で金魚すくいをしたり綿菓子を買ったりできる日で、 大人も子どもも、 だんじり祭りの日は一年で一番楽しみな日だったのです。

改行マークしかし、 その後、 テレビや野球、 アウトドアレジャーなどで代表されるような娯楽の多様化により、 だんだん人が集まらなくなり、 また車社会の登場により、 だんじりの運行そのものに警察の許可がおりなくなってきました。 特に昭和三十八年に開通した国道三十八号線は決定的で、 これでかってのだんじりのメインの街道が巨大な道路となり地区間が寸断されることとなりました。 こうした中、 だんじりは過去の遺物となり、 忘れ去られてしまうのです。 この時期、 保久良神社の北畑や田辺以外だんじりが出ない状況がしばらく続きました。 かって十八台も宮入りをしていた住吉地区も、 だんじりが勝手に売られるのを防ぐ意味合いもあって、 昭和四十六年、 神社の境内に連棟式のだんじり倉庫が建てられました。

改行マーク高度成長も終わりを遂げたオイルショック後の昭和五十年代、 祭りが再評価されるようになり、 子どもの頃だんじりの綱を引っ張っていた人達、 ちょうど団塊の世代の人達が、 自分の子どもにもだんじりの綱を引っ張らせ、 祭りの雰囲気を味わわせたい、 だんじり囃子を聞かせてやりたいということで、 だんじりが復活してきます。

改行マークまず、 昭和五十一年、 保久良神社では四地区そろって祭りが行われるようになり、 昭和五十四年には御影の弓弦羽(ゆずるは)神社でだんじり祭りが復活し、 本住吉神社も昭和五十年頃より徐々に町曳きをするようになり、 昭和五十五年には、 昔の祭りの状態にまでなってきました。

改行マークこうした中、 だんじりの新調・購入が行われるようになり、 平成八年、 深江が新調したのを最後に、 だんじりを持っていた地区のほとんどが、 再びだんじりを持つようになりました。 昭和初期以来のだんじりブームが到来し、 だんじりが見直されつつある時期になってきました。


祭りの重要性

改行マーク今回のお話の中で、 一番言いたかったことですが、 だんじりは、 地域のコミュニケーションを図る上で、 非常に大きな役目を果たしています。 いろいろな地区の話を聞かせてもらうと、 祭りの重要性を考えてしまいます。 先ほど、 住吉学園の話が出ましたが、 住吉地区では住吉学園からも補助は出ますが、 こればかりに頼っているわけではなく、 自分たちもかなり高額の御祝儀を出していく中で祭りを運営しているのが実情です。

改行マーク祭りは人が行うものですから、 大事なのは「人」です。 大きく分けると五つの人たちが祭りを支えていますが、 そのうちの一つが欠けても祭りがうまくいきません。

改行マークまずは若衆です。 曳き手の若者がいないとだめです。 「若衆」は祭りでは誉め言葉にもあたり、 祭りは若者のものなのです。

改行マークそれから、 年寄りです。 年寄りがまわってこそ御祝儀が集まり、 祭り全体が動いていくのです。

改行マークそれから、 中堅層です。 若者と年寄りの、 世代の間を持つという大事な役目があります。 会社でいうと課長クラスで、 大事な位置を占めます。

改行マーク主婦子どもも大きな存在です。 子どもは、 遊びのつもりで参加するのですが、 小さい頃からこうした地域行事に参加することによって、 郷土意識が生まれてくるのです。 主婦は、 朝早くからおにぎりを作ったり、 そういった裏方をしてくれます。 祭りというのは、 準備から後始末も含めて全部祭りだと考えると、 女性軍抜きの祭りは考えられません。

改行マークそれと地域住民です。 地域住民は、 バックアップしてくれるという意味でとても大切です。 住民から見放されると、 祭りとしては苦しくなります。 例えば、 だんじりの新調や購入の資金の多くは、 住民からの寄付金で賄っているのです。 ですから、 逆に変なことはできません。 祭りは、 やる方だけではなく、 見る方も含めて祭りなのです。

改行マーク祭りは若者、 年寄り、 中堅層、 主婦子供、 地域住民の人たちによって成り立ち、 支えられています。 その地域の人達全員が、 祭りにとって大事なのであり、 逆に言えば、 その人達が一つになって祭りを支えていくのです。 そうした中、 祭りは、 地域のコミュニケーションの場としても重要な位置を占めているのです。


神社と祭り

改行マーク神社についてですが、 祭りにとって、 神社の存在とは何かというと、 その祭りのアイデンティティなのです。 何のためにだんじりを曳くのかということに対する、 拠り所なのです。

改行マーク神戸まつりで、 だんじりが出ましたが、 出した地区の人達の中には、 何かむなしかったと言われる方が多くいます。 神様がいて、 一年間ありがとうございましたとか、 今年も私たちはこんなに元気なのですよとか、 そういった感謝の念を持ちつつだんじりを曳くところに、 祭りとしての意義があるのです。 ですから、 神戸まつりのだんじりが成功しなかった原因は、 二つあって、 一つには費用で、 かかる費用は全部地区持ちで、 ご祝儀が集まらない神戸まつりには、 だんじりは出しにくいということと、 もう一つは、 先ほど述べただんじりのアイデンティティが欠けていたのだと思います(平成八年より祭りのない七月に神戸まつりが行われるようになったことも、 参加台数が大きく減った要因です)。 祭りにとって、 神社の存在は大きいのです。

改行マークただネックなのは、 宗教問題が絡むことです。 パレードには宗教色はないので、 行政も応援でき、 連合曳きなどで、 他地区の人たちともコミニュケーションがとれますが、 曳きがいという点ではやはり難があります。 毎年盛大に行われている本山パレードにしても、 必ずしも好意的評価ばかりではありません。

改行マークあの須磨の事件で話題となっておりますニュータウンについてですが、 ニュータウンには神社がありません。 そうすると、 祭りがなく、 子どもたちの郷土意識も薄れざるえません。 また、 祭りを通しての住民間の交流もありませんので、 何もしないでおくと、 地域で子どもを育てると言うことができにくい状況です。

改行マークそういった教育的な面からも祭りが見直されています。

改行マーク祭り組織は、 おもしろいことに誰がどう作ってもピラミッド型になってしまいます。 この縦割りの組織の中で、 それぞれに役割があり、 そうした中で学び育っていくものがあるのだと思います。

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