多くの酒蔵は鉄筋蔵で再建されたのですが、 そうであっても昔の酒蔵の形を残したものにする、 といったことは試みられています。
しかし、 点的に古いものを意識した蔵、 品がいい蔵を建てましても、 昔のものを真似しただけの町並みになってします。 それを、 本当のまちづくりに結び付けていくためには、 住民と一緒になって、 地域全体で取り組む必要があるということで、 震災から約一年後に、 魚崎郷の自治会に「一緒に町並みを考えてみませんか」という話を持ち掛けてみました。 自治会側も「ともかく話を聞いてみようか」ということになりまして、 一緒にまちづくりを考える機会を得たのです。
撮っていただいた写真を整理しますと、 ほとんどの方が昭和四十年代、 五十年代の古い酒蔵があった時代の町並みがいいと思っておられることがわかりました。
先ほども申しましたように、 震災前には、 住民の考えていることがわからない、 というところもありましたので、 出てくる結果に対して、 非常に恐れを持っていたのです。
しかし、 結果は、 予想外でした。 マンションに住んでおられる方も含め、 住民のみなさんも昔ながらの酒蔵によるまちなみが良いと思っていることが確認できました。 それでは、 ということで、 町並み協定の検討に入ったわけです。
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魚崎郷地区・景観形成市民協定書1 | 魚崎郷地区・景観形成市民協定書2 | 魚崎郷地区・景観形成市民協定書3 | 魚崎郷地区・景観形成市民協定書4 |
同じことが、 中央区の北野でも言えると思います。 北野には、 異人館があります。 異人館街は観光地化し、 住宅街であるにもかかわらず非常に多くの観光客が訪れています。 住民にとっては震災前は観光客が来ることが迷惑で、 異人館があるから観光客が来る、 異人館は迷惑施設だという一面も感じておられました。 しかし、 震災後、 異人館が危ないという事態に直面すると、 自分達の地域の一番のアイデンティティは異人館だと、 認識を変えられ、 あるいは再認識されたのです。
同じことが魚崎でもあったのではないかと思います。 これからの自分達のまちなみについて、 住んでおられる方も酒造業者さんも一緒になって、 皆で考え、 実践していこうとされています。 このような地域あげての活動そのものが、 まちのアイデンティティを確立する大きな要因になると思います。