きんもくせい50+17号
上三角
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うわさ話しの収集

神戸協同病院 上田 耕蔵

 震災後の経験はまさにカルチャーショックの連続であった。 あるいは予想に反した出来事がなんと多かったことか。

 例えば、 (1)震災第1日目のおわり、 殺到した外傷患者さんが減りだして、 ああ、 これで災害医療は一段落だと思ったら、 3日後から内科の患者さんが急増した。 高齢者は怪我をしなくても内科の病気で亡くなる(震災関連死)のが分かった。 これが第一のショックであった。

 (2)震災直後はボランテイアは被災住民に何をしても感謝された。 お互い癒し癒される桃源郷であった。 しかし時間が経つにつれて急速にあの昂揚感は薄れていった。 普通に戻っていった。 物がなければ均一的助け合いのコミュニテイが出来るのは分かったが、 物のない社会には戻れない。

 (3)仮設が出来て避難所の患者さんは郊外の仮設へ移住した。 足の悪い高齢者は病院に通ってこれないと思ったが、 実際は8割以上の人が通院してくれた。 しかし患者さんは地域の友達と話しをしたい、 早く地元に帰りたいから通院していたのだった。

 (4)震災の年の7月、 神戸市会議員選挙があった。 これは得票率が上がるぞと思ったら、 下がった。 え、 なんでや。 日本はおまかせ政治であるのを思い知らされた。

 (5)病院の近くに地域型仮設住宅ができた。 トイレ・風呂・炊事場が共同であり、 アメニテイは悪い。 さぞ入居者は怒っていると思いアンケート調査したら、 1/3の人は「良い」と回答した。 人の繋がりと生活支援員の存在を評価していた。 (実はこの調査がきっかけとなり、 石東さんと知り合えた)。

 (6)仮設の孤独死が報道されるようになった。 高齢者が多いから孤独死の頻発は当然だ、 と思っていたら、 大半は中年男性の孤独死であった。 よく考えてみたら孤独死は震災前からあった。 単に震災で孤独死が顕在化しただけであった。 なんでこんなに男性は弱いの?女性は強いの。

 (7)仮設自治会とボランテイアが協力してコミュニテイを作った所では仮設孤独死は激減した。 しかし自治会がうまく機能したのは一部でしかなかった。 コミュニテイ形成にはリーダーと時間が必要である。 簡単ではない。

 (8)21世紀の高齢者住宅の雛形だとコレクテイブ住宅の募集支援に取り組んだが、 応募率は非常に低かった。 人は確かにふれあいを求めている、 しかしタイトなつきあいには辟易している。 人は孤独とふれあいの両方を求めているということ。 ややこしい存在である。

 (9)Aさんは不安神経症の患者さんであるが、 郊外の市住に入居できた。 不安になると深夜ならタクシーに乗って受診した。 約100万円の自立支援金が出たが、 あっという間にタクシー代に使ってしまった。 自立に使われていないケース。

 (10)震災後たくさんのボランテイア組織ができたが、 ボランテイア組織同士は協力・助け合いが下手であった。

 この5年間、 本当にたくさんの事を勉強させてもらった。 そのまとめが拙著「地域福祉と住まい・まちづくり/ケア付き住宅とコミュニテイケア」である。 福祉と住宅とコミュニテイの被災地での先駆的経験を中心に記述した。

 この本の特徴であるが、 まず(1)抽象的な概念では人に伝えられない。 患者さん・住民が語る、 あるいはまちで語られた「うわさ話し」が分かりやすく、 説得力を持つ。 そこで耳を拡げ「うわさ話し」の収集に努めた。

 次に(2)震災は「自立」と「助け合い」を教えてくれた。 しかし自立にせよ、 助け合いにせよ、 一体それは何なのか?時間が経てば経つほど疑問になってきた。 「助け合い」は人間を形成する必須条件であるが、 大きくは国家レベル→社会保障である。 小さくはコミュニテイである。 もっともっと小さくは人のこころの問題である。 それらを展開してみた。

(2000.8.10.)

* * *
 
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 上田耕蔵さんは、 医者と言っても神戸協同病院長です。 最も知的で忙しい職業と長をこなしながら、 小さなコミュニティの中の人の心の問題に行きつかれた上田先生に私は敬意を表します。 この度、 学芸出版社より上記の本(四六版、 191頁、 1700円+税)を刊行されました。 是非皆様御一読下さい。

天川佳美:


 

堅実なコレクティブ居住をすすめている
県営宝塚福井ふれあい住宅

居住者が語るコレクティブハウジングの課題等

石東・都市環境研究室 石東 直子

若い世代が引っぱる多世代共住型ふれあい住宅

 福井ふれあい住宅は阪急今津線の小林駅からつづく明るい雰囲気の下町にあり、 3階建、 30戸の建物は周辺の環境にとけこんでいます。 ここは多世代共住のコレクティブハウジングで、 30戸のうち14戸が単身高齢者用、 9戸が高齢者家族用で、 ともにシルバーハウジングプロジェクトですが、 7戸は一般世帯用です。

 98年の春の入居開始時はわずか16戸の入居でしたが、 7戸の一般世帯は全戸入居になりました。 その後五月雨的に入居があり、 転居もあって、 現在は27戸(45人)の協同居住です。 一般世帯の家族構成(1世帯転居で6世帯)は60歳前後の夫婦、 老親と50代の子供、 18歳未満の子供をもつ母子の世帯がそれぞれ2世帯づつで、 比較的若い人たちも住んでいます。 また、 シルバーハウジングでは60歳代が少し多いですが、 70歳代、 80歳代の人もほぼ同数で、 合わせて28人です。

 入居から半年ぐらいは自治会長の選出について入居者間に混乱を巻き起こしていた人がいて、 自治会結成ができずつらい状況にありましたが、 その後若い役員構成によって自治会が結成され、 今日にいたるまで堅実なコレクティブ居住の運営がなされています。 自治会役員は60歳過ぎの男1名(会長)の他はすべて女で、 50歳代2人、 40歳代3人です。

 多世代共住ならではの知的で、 ゆるやかな協同居住が運営されているようです。

協同居住を継続するためのいくつかの課題

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98年のクリスマスパーティーの記念撮影
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98年の敬老の日/沖縄出身の居住者が琉球踊りを披露
 居住者がまとめてくださった福井ふれあい住宅の状況と課題を紹介します(石東が少し加筆しました)。

 ・協同居住を充実させるために自治会が行っている定例活動は、 毎週月曜日のふれあい喫茶のお弁当づくり、 鏡開き、 焼き肉パーティ、 敬老会、 クリスマス会、 日帰り温泉旅行などです。 協同スペースの清掃などの維持管理にも多くの時間を費やしていますが、 40代、 50代は仕事をもっていますので、 自治会役員にどうしても大きな負担がかかってきます。 役員以外の人たちの中にも自分のできることを見つけてコツコツとやっている人も少なくないですが、 高齢者の中には若い人たちに対する感謝の気持ちをもっている人と、 若いんだから動くのが当然だという考えをもっている人がいます。

 このような多様な行事や日々の協同生活の運営のために、 数少ない若い層による現在のような協力体制がいつまで継続できるのかどうかが課題です。

 〈協同居住を維持していくにはエネルギーが必要で、 高齢者だけのふれあい住宅の居住者から既にしばしばこの点についての不安が指摘されています〉。

 ・共益費については、 県の入居前説明会で13000円/月程必要となるだろうと説明があり、 了解済みで入居したはずなのに、 入居直後からこれに対して不満を言う人が出て、 自治会結成が半年近くできませんでした。 他のふれあい住宅と同様に、 入居後しばらくして自治会の努力による協同スペースの維持管理の実情に合わせて、 8000円(うち1000円は自治会費)に下げることができました。

 しかし、 復興公営住宅の家賃減額期間が過ぎると、 この共益費も大きな負担になって、 全員が払うことができるのかどうかが不安です。 共益費が少額になりますと、 協同居住の活動が続けられなくなります。 引き続き家賃の減額制度をお願いしたいです。

 〈現在、 ほとんどの県営ふれあい住宅の共益費は、 自治会が検討して5000円〜7000円にしています〉。

 ・30戸のうち23戸はシルバーハウジングで生活援助員(LSA)さんが毎日巡回していますが、 1階にLSA常駐のための事務室があるのに全く使われていません。 設計段階では常駐型を予定していたのだと思いますが、 宝塚市の方針は巡回型です。 県住なので何かある時はすべて県へ申し出るようにと市は言っていますが、 LSAに関しては市の管轄というのは居住者にとって理解しがたいです。 コレクティブハウジングは必ずLSAを常駐させて、 居住者の心のケアーや協同居住のコーディネーターの役を担当してもらわないと、 先例のない協同居住は戸惑いが多く、 一部の居住者への負担が大きくなります。

 ・年月を経ると自立して生活ができない健康状態の人もでてきます。 とくに一人暮らし高齢者が自立生活ができるのかどうかの判断は誰がするのでしょうか。 自立生活が困難になった場合、 身内の元や特養などに移らざるをえませんが、 そのコーディネト制度が必要です。 コレクティブハウジングの需要は今後さらに高まると思われますが、 協同居住ができなくなった時の受け皿のことも考えた事業化が必要だと思います。

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「ふれあい住宅居住者交流会・ふれあいネットレター9号(2000.5.15。 発行)より転載」
 なお、 居住者の身内にはコレクティブハウジングを老人ホームと大きな勘違いをしている人たちがいます。 老親をふれあい住宅に住まわせておけば、 誰かが面倒を見てくれているのだろうと思っているようです。

 新しい居住形態の立派な住宅を建てても居住者間の人間関係を育む支援や身内の方々との理解や協力がなければ、 快適な協同居住を営むことはできません。


 

トアロード地区のまちづくり活動の概要

トアロード地区まちづくり協議会事務局 広瀬 今日子

トアロード地区の特徴

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まちづくり協議会のエリア図
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景観形成市民協定によるまちなみイメージ
 トアロード地区は神戸市の中心部である三宮と元町のほぼ中間に位置し、 神戸都心部を南北方向(山と海)でつなぐ約1.2kmの細長い坂道である。 現在沿道には南からトアロード商店街東亜会協同組合、 トアロード中央商店街振興組合、 トアロード山手会の三つの商店街があり、 通りに面しては1階だけで約110軒の店舗や業務施設が立地している。 さらにまちづくり協議会が範囲とする沿道一街区を含む面としてみると1階だけで約220軒の店舗がある。 居留地時代からの信用を今に伝える老舗や若者向けの新しい感覚のブティックやカフェが同居し、 神戸を代表するエキゾチックなまちなみを形成している。 また商店以外に外国倶楽部、 聖ミカエル国際学校、 中華会館や神戸ムスリムモスクなどの文化的な施設も点在している。

まちづくり協議会の設立(1996年1月)

 かつて北野界隈に住む外国人が職場である居留地への通勤路としてトアロードを利用したことから、 トアロード沿道には外国人向けの食料・衣料品などのショップが多数登場し、 神戸文明開化の都市軸として発展してきた。 「神戸のハイカラ文化発祥の地」とまで言われるようになったトアロードだったが、 時代を経て三宮・元町や北野・旧居留地など周辺の開発が進む中、 バブル崩壊の頃から徐々に沈滞ムードが広がり始めた。 以前からトアロードにまたがる三つの商店街組織が各々活動していたが、 特に連携する体制にはなく、 次第に時代の移り変わりに取り残されていく危機感が募りつつあった。 さらに1995年の震災で沿道の約7割が全・半壊の被害を受けたことをきっかけに、 一体となってトアロードらしい復興・活性化策をさぐろうではないかという動きが出てきた。 シンポジウムを経て、 トアロードをストリートという「線」だけではなく地区という「面」で捉えたまちづくりを進めるにはトアロード地区共通のビジョンとガイドラインが必要であることから、 三つの商店街組織が中心となり震災翌年1996年1月17日に「トアロード地区まちづくり協議会」が設立された。 5年目に入ったまちづくり活動は2000年3月に「兵庫県人間サイズのまちづくり賞」の表彰を受けた。

まちづくり協議会の活動内容

 1997年4月に「まちづくり計画1997」、 「景観形成市民協定」を策定し、 トアロード地区が単に震災からの現状復帰をするだけの復興ではなく、 より快適で活気溢れる安全なまちの実現と、 明確な理念と計画性をもつまちづくりを目指している。 景観形成市民協定は1998年に神戸市都市景観条例により条例認定第1号に決定された。 また地域の文化的活性化を図るために協議会と3商店街が主催となってトアロード・クラフトアートフェア実行委員会を結成し、 トアロード沿道にクラフトマン達のブースを出店する「トアロード・クラフトアートフェア」を1997年から毎年10月に開催している。 さらには神戸市の後援をうけた「アーバンデザインコンペ」を1998年3月、 神戸市まちづくりスポット創生事業制度を活用した「トアガーデン」のオープンを1999年4月、 神戸市の助成金を受けた「トアロードストリートガーデンプロジェクト」を2000年3月に実施している。

トアロードまちづくりコーポレーションの設立

 まちづくり協議会で作成した「まちづくり計画1997」を推進するにあたり、 実際的にまちづくり事業(ハード面では土地・建物の取得・借り上げ・管理・共同事業コーディネート、 ソフト面ではイベント・文化事業など)を実施する、 しっかりした当事者能力を持つ法人組織が必要であることから、 まちづくり協議会の総会で「まちづくり会社」方式を取り入れることを決定。 協議会役員を中心に、 地元商店・企業・金融機関あわせて38者が出資し、 資本金2千万円で1997年7月に株式会社トアロードまちづくりコーポレーションが設立された。 コミュニティに根ざし、 密着してまちづくり事業を掘り起こし、 企画、 推進、 経営、 管理、 総合コーディネートといった機能を一貫して果たすことで、 その存在意義を確立することを目的としている。 また、 固定収益を確保できる事業活動を展開しつつ、 収益は地域活性化に還元する事業に投資することで、 地域が常に発展し続ける仕組みづくりの構築を目指しており、 「株式会社」組織という形態をとっているもののきわめて公益性の高い位置づけのもと、 同時に自立経営できる組織とすべきであると考えている。

まちづくりコーポレーションの事業内容

 まずコーポレーションのPRとトアロード地区への還元の一環として、 1998年1月にエリアマップを作成した。 トアロード地区を一つのエリアとして捉えたマップはこれまでになく、 トアロード地区の魅力を再発見・再認識し、 広く発信していくためのツールとして、 現在までに修正を加えながら35,000部が無料配布されている。 また収益事業としてglass art shop TOR DECO(1998年7月)、 cafe TOR GARDEN(1999年5月)を経営し、 トアロード地区の個性と魅力を発揮するために、 その具体的なモデルとなるものを分かりやすい形で提案し、 美しいまちなみに寄与する店舗を実現している。 他にはまちづくり協議会事務局として実務の代行、 『TOR ROAD STYLE BOOK』の制作、 アートマネージメント事業等を行っている。

TOR ROAD VISION 2000・トアロード周辺地区整備計画の策定(2000年4月)

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エリア別機能整備イメージ図
 これまで公民のパートナーシップ型で精力的に景観形成に取り組み、 また多くの民間商業活動をも誘発し、 神戸らしいまちなみの創出と集客・交流機能の向上に一定の成果をあげてきた。 しかしトアロード沿道とその周辺地区にはまだ多くの未利用地、 低密度利用地が残されており、 これまでに地区内で検討してきた再開発や共同再建についても、 時代や状況の変化を受けて見直しが求められる。 そこで神戸市の都市機能上重要な役割を果たしうるトアロード周辺地区の将来性を探り、 適切な都市機能導入、 地区整備事業のあり方を明らかにすることを目的とした調査が行われ、 ビジョンが策定された。 まちづくりコンセプトを・世代を越えて楽しめるまち、 ・明るく知的でエキゾチックな独自カラーをもつまち、 ・花と緑あふれる美しくうるおいのあるまちとし、 以上を要約したまちづくりスローガンとして「TOR ROAD インターナショナル アートタウン」を掲げている。 今後はトアロード地区内のエリアごとの特性・機能を明確にし、 共通目標としての整備イメージを想定してその具体化を図ることで、 より効果のあるまちづくり活動を目指していく。


 

その6・女将高木邦子

今日も元気に街を行く

まちづくり会社コー・プラン 小林郁雄

 

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 1) 野田北部のまちづくりを本当に支えているのは、 女性のパワーである。 大正生まれの久米きみ枝さん、 昭和一桁の久米茂子さん、 昭和二桁の高木邦子さんと各世代を代表する3人が、 中心人物と踏んでいる。

 しかしもちろん、 浅山文江さん、 林澄子さん、 焼山範子さん、 福田美智代さん、 河合美恵子さんと、 今までこの連載に登場してきた総帥、 智将、 代貸、 校長、 若頭といった連中の奥さんたちの力とそのネットワークの緊密さなど、 欠かすことはできない。

 さらに、 ここに記述できていないが、 多くの勇士とその家族たちが複雑に絡み合い人間模様を綾なして、 野田北部のまちを愛し、 日々の営み豊かに、 将来を思っている。

 2) さてそこで女将高木邦子である。 多くの女性勢力の代表として、 高木さんに語ってもらった。

 四国は高松市のお寺の娘に生まれ(8月22日が誕生日というから、 今日だ。 HappyBirthday!)、 1963年舞子ゴルフ場受付に就職して神戸にやってきた。 4年後良行さんと結婚し、 長楽町4丁目の現在住んでいるところにやってきた。

 あの震災の前に、 家を建て替えていたが、 電気工事店(学校や病院などの配線工事が中心)を営んでいることもあり、 1階を車庫にして2・3階に住居、 地中13mまで杭を打ってたから、 被害は一部損壊ですんだ。 それでも、 01/17は鷹中へ避難したが満員、 婦人相談センターも一杯なので、 結局トークホームセンターの駐車場で車中避難、 あすこは空いてた。 01/19復興対策本部が集会所に設けられてからは、 みんなの食事の用意やお茶の接待など、 ほとんど毎日行ってた。

 3) 2世代前の先輩久米きみ枝さんは、 駅前の長楽町2丁目で息子の満さんがやってる久米歯科医院の裏の家に住んでるが、 戦前三宮の貿易商勤務10年の英語堪能モダンガールであった。 久米清さんと大恋愛の末1943年結婚して、 浪松町2丁目から長楽町3丁目の久米家にやってきた。 清さんの弟の久米三男さん(どちらももう亡くなられているが)の奥さんが、 婦人会長の久米茂子さんである。 だから、 長楽町の2・3・4丁目の自治会常任理事は久米きみ枝さん・茂子さん・高木邦子さんと、 こういう事になっている。

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銭太鼓の練習/老人憩いの家 000724
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夏まつり/大黒公園 000805
 4) 野田北部まちづくり協議会の構成は自治会が中核であるが、 自治会には会長(99年度から荒川博之さん)、 副会長3人、 会計、 総務福祉環境防犯青年などの各部長がいる。 そして、 各町の常任理事が実質的には町内会長であるが、 その常任理事すべてが女性である。

 もちろん商店街や婦人会なども、 まち協と密接な関係の中でいろいろなまちづくり活動が進んでいるが、 それらをうまく潤滑させ、 ひいては都市計画など行政との地元集会などでの対決構図を和らげるのは、 女性の力が大きい。

 5) 久米きみ枝さんは今も三味線をひき、 日本舞踊の高木さんとはカラオケ好き、 歌舞音曲仲間である。 インタビューに行った日(000724)も、 浪松老人憩いの家で9月の敬老の日披露を目指して、 銭太鼓の特訓中であった。

 高木さんのひとり息子英行さんが今年の12月にご結婚とのこと、 肝っ玉お母さんが、 おばあさんになる日はそんなに遠くなさそうだ。 ずっと続いてきたまちの女性のパワーを受け継いでいくかのように、 高木邦子さんは今日も颯爽と、 野田北部の街を元気に歩いている。


 

「すまい・まちづくりに携わる人材の育成のための研修(CA2000)」開講される

いきいき下町推進協議会 CA2000委員会

 NO. 11(00年2月号)の情報コーナーでお知らせしました、 「すまい・まちづくりに携わる人材の育成のための研修(CA2000)」が5月にスタートしました。

 そこで、 今月号と次号の2回に渡り、 その模様を報告します。

 この研修は、 いきいき下町推進協議会(※1)が「緊急地域雇用特別交付金事業」として神戸市からの委託を受け、 CA2000委員会(※2)を設置し、 平成12年度から2年間行われます。

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まちづくり会館での講義風景 岡本の現地見学会の様子 岡本好文園での講義風景
 

 研修は基礎コース(5〜10月、 全6回)、 理論コース(5〜3月、 全20回)、 実践コース(9月開講)の3つのコースからなります。

 基礎コースは、 月1回、 主にこうべまちづくり会館で、 すまい・まちづくりについての基礎的な内容を、 実際の事例を交えながら講師2名による各1時間の講義形式で行う研修です。

 基礎コースは定員50名を上回る116名の応募がありましたが、 会場がこうべまちづくり会館2階ホールなので、 全員受講していただくことになりました。

 5月1日の第1回は、 89名の出席者と関係者を合わせて100名を超えるという大盛況のもと開催されました。 開講に先立ち、 西川靖一(神戸市住宅局長)、 小林郁雄(いきいき下町推進協CA2000委員長)両氏の挨拶がなされ、 その後、 「住民参加のまちづくりと進め方」(後藤祐介)、 「真野まちづくり提案の実際」(宮西悠司)の講義が行われました。

 第2回(6月5日)は「阪神・淡路大震災のまちづくり課題」(後藤祐介)、 「ソフト面のまちづくり」(野崎隆一)、 第3回(7月3日)は「重点地区のまちづくり」(後藤祐介)、 「長田南部の復興まちづくり」(森崎輝行)のテーマで行われ、 それぞれ受講者は62名、 52名が出席しました。

 第4回(8月7日)は、 いつものまちづくり会館を出て、 現地研修もかねて、 岡本地区の好文園コミュニティホールで行われました。

 講義に先立ち、 16: 30から1時間ほど、 岡本地区のコンサルタントである後藤さんと地元の「美しい街岡本協議会」事務局長の田中さんの案内で現地見学会が実施され、 15人の受講生とともに、 岡本地区のまちづくりの成果を見て回りました。

 今回は時期的に夏休みということもあり、 また折からの激しい夕立も影響してか受講者は37名といつもに比べると若干少なかったですが、 講義の前に、 田中事務局長から、 20年に及ぶまちづくり協議会の活動についての報告と今回の会場のオーナーである戸澤さんから震災後自宅の再建とともにコミュニティホールができるまでの経緯についてお話がされました。

 その後、 後藤さんから「ルールづくりによるまちづくり」というテーマで、 住民参加のまちづくりの進め方とルールづくりによるまちづくりの推進事例として、 岡本、 新在家南、 安井の3地区の話がされました。 林英雄氏からは「街区計画と共同建替」というテーマで、 都市高速道路2号線の地下路線工事に伴なう道路拡幅と、 それに伴なうコミュニティの分断や高齢化、 商店街の再生など様々な問題や、 共同建替による再建など、 持続するまちづくりを展開している長田区大道通地区についての講義がなされました。 (吉川健一郎)


情報コーナー

 

神戸市民まちづくり支援ネットワーク/第5回フォーラム記録

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フォーラムでの陳先生(2000年7/20、 こうべまちづくり会館)
 震災後、 5回目を数えるフォーラムが7月20日、 こうべまちづくり会館で行われました(これまでの4回は、 東部白地まちづくり支援ネットワーク主催)。 前半は「神戸市民まちづくりルーツを語る」というテーマで行われました(コーディネータ/小林郁雄さん(コー・プラン))、 まず最初に松本誠さん(神戸新聞情報科学研究所)から、 神戸のまちづくりの課題として、 既存組織への依存しすぎ、 縦割りの行政、 対等な住民と行政の関係の3つが提起されました。 引き続いて、 小森星児さん(神戸山手大学学長)より、 ご自身が神戸市域で取り組んでこられたコミュニティカルテについて、 垂水英司さん(前神戸市住宅局長)からは、 環境カルテや真野まちづくり、 さらに先進的とされる神戸市まちづくり条例誕生にあたってのエピソードなどを話されました。 コメンテータは、 小浦久子さん(大阪大学)、 後藤祐介さん(GU計画研究所)、 若手ネットの松原永季さん(いるか設計集団)、 中尾嘉孝さん(港まち神戸を愛する会)。

 後半は、 「今後の市民まちづくりを探る」というテーマで行われました(コーディネータ/野崎隆一さん(遊空間工房))。 中山久憲さん(神戸市アーバンデザイン室)からは、 復興区画整理やまちづくり協議会の成果について、 中村順子さん(CS神戸)からは、 震災後の神戸市東灘区を中心とした多様なNPO活動−行政からの委託調査、 商店街活性化、 地域通貨の取り組み、 等々−と課題について、 森崎輝行さん(森崎建築設計事務所)からは、 ご自身の震災復興まちづくりの経験からこれからのまちづくりに対する教訓について語られました。 コメンテータは、 石東直子さん(石東・都市環境研究室)、 宮西悠司さん(神戸・地域問題研究所)、 若手ネットの田中正人さん(都市調査計画事務所)、 中川啓子さん(GU計画研究所)。

 最後に、 台湾の陳先生(台湾大学)から台湾での震災復興まちづくりの取り組みの紹介がありました。


■イベント

●「(仮称)ふれあい住宅連絡会」第2回準備会/設立について話し合う会

●ひょうごまちづくりセンター「第5回まちづくりコンサルタント会議」

●こうべ市民安全まちづくり大学

<入門講座>
<まちづくり講座>
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このページへのご意見は前田裕資
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