きんもくせい50+26号
上三角
目次へ

 

HAT神戸の水際広場

建築家 安藤 忠雄

 神戸は、 海が山に迫り、 帯状の細長い斜面に、 明るい南の光を受けた市街地があり、 六甲山の緑と神戸港の水という類まれな自然環境に恵まれた街である。 その天性のアーバンリゾート都市が、 大震災によって壊滅的な打撃を受けた。 震災の年の夏に、 復興拠点である神戸東部新都心に「住まいを中心とした都市」を提案した(プロジェクト・海の集合住宅「新建築」1995年10月号)。 復興する神戸のシンボルとして海側に水際広場、 その東西にあわせて7000戸の居住区などを計画設計し、 海を望むこの場所に新しい都市、 新しい住環境をつくる提案であった。

 それから6年にしてようやく神戸東部新都心地区(愛称:HAT神戸)の水際広場がその姿を明らかにした。 この5月20日に、 神戸・21世紀復興記念事業の一環のまちづくりイベント「HATフェスティバル」の会場として、 広く市民にはじめて公開された。 大震災からの復興のシンボルプロジェクトである、 HAT神戸の中心に位置するのがこの44000m²の水際広場で、 「なぎさ公園」と名づけられた。

 また、 HAT神戸には震災後、 被災者向けの災害公営住宅等(公団・県営・市営)が約3500戸急遽つくられることになり、 東側が灘の浜、 西側が脇の浜の住宅で、 すべて2000年3月までに入居済みである。 海側にも民間(神鋼・川鉄など)の住宅群約3000戸が建設中で、 港に面したウォーターフロント住宅都市ができつつある。 これらの中央を貫く東西線は幅員40mの4車線道路であるが、 広い歩道と中央分離帯に豊かな街路樹が配されて、 沿道住宅地の植栽もあわせて6列の緑の軸線がほぼ姿を現している。

 JR神戸駅の海側の西部新都心ハーバーランドから、 三宮都心をはさんで東部新都心HAT神戸までの海岸沿いをつなぐ「ハーバーウォーク」が、 次第に明確になってきた。 三宮東南の貨物ヤード跡地と新港第4突堤への神戸震災復興記念公園計画を核にして、 海を取り込んだ眺めを十分に満喫できる都心のウォーターフロント・プロムナードが、 国・県・市による港湾・都市といった事業主体・目的などの境界を越えて、 実現されようとしているところが重要である。 そのHAT神戸における中心が水際広場(なぎさ公園)である。

 水際広場の北側は、 緑濃い楠の樹林であるが、 その大部分は「政令指定都市の森」である。 ひょうごグリーンネットワークの呼びかけに応えて、 神戸の震災復興を願う各政令指定都市から樹高10mのクスを50本づつ寄付してもらってできた森である。 東側の県立新美術館「芸術の館」も来年春には完成予定で、 水際広場と一体となった新たな水際空間が出現する。

 この緑と水の都市空間が震災復興のシンボルとして多くの市民に親しまれ、 また、 21世紀の神戸のウォーターフロント空間の核となることを、 期待している。

 この緑と水の都市空間が震災復興のシンボルとして多くの市民に親しまれ、 また、 21世紀の神戸のウォーターフロント空間の核となることを、 期待している。

私にとっての安藤さんの原風景は、 出来上がった新築の家の食堂の大きな机を前に座り、 湯呑茶碗で番茶をすすりながら、 「どや、 いいウチやろ」と施主の奥さんと話をしている、 というものです。 今から30年ほど前、 1968年秋から1970年春までの1年半、 建築家をめざす安藤さんが一時期都市計画を学ぶために、 故・水谷頴介先生のところへ来られ、 私も一緒に働いたことがあります。 その2年ほど前からTeamURの一員であったので、 もちろん、 私が都市計画では先輩です。 建築設計の経験がありませんので想像するだけですが、 安藤さんの原風景は私の「市民まちづくり」の理想とする姿に重なります。 震災前から私も関与していた水際広場計画が、 安藤さんの手によって質実剛健水緑豊富な場所として完成し、 100年後も神戸の都市構造を支えうるものであると確信しています。 <小林郁雄記>


 

市民ニーズに対応するまちづくりの法的整備

都市基盤整備公団 大橋 千枝子

 2月号から月例「公団まちづくり研究会」での議論の内容をご紹介していますが、 1号あいたため、 今号で3月、 4月の内容を掲載させて頂きます。

 3月は、 「市民ニーズに対応するまちづくりの法的整備」と題して、 山下淳教授(神戸大学)と坂和章平弁護士に講義を頂いた。

 

画像26s01 画像26s02
山下淳氏(神戸大学法学部教授) 坂和章平氏(坂和総合法律事務所)
 
 法律、 というと身近にとらえられず問題意識を抱きにくかったり、 特定専門分野に偏り過ぎたりしがちなため、 あまり細かい議論には立ち入らず、 法律屋の思考回路を通して昨今のまちづくりをどう見るか、 を語って頂いた。 以下、 話の内容を消化する過程で主観がかなり入っているが、 特に印象に残った部分を重点的に紹介したい。


 山下教授の話は、 まず、 都市計画と法制度がどのような関係にあるか、 について、 次にそれを踏まえた上で、 住民参加のまちづくりをどうとらえるか、 である。

 まちづくりに関する決定や利害調整のレベルは3つあり、 1つは法律・許可基準のレベルである。 これは機械的に定められているとおりに処理されていくものであり、 利害調整は済んでいる(逆に言えばもう調整の余地はない)と言える。 建築確認申請などが代表例であろう。 2つ目は計画レベルであり、 弾力性があるが、 利害調整過程が不公平、 不透明になることがあり、 法治主義に反する側面をもっている。 3つ目は行政指導や許可基準の上乗せ、 横出しである。 これはいわゆる窓口対応であるが、 このようなレベルが発生するのは、 1、 2のレベルで調整がついていないと実感されるからである。 地方分権とは、 積み残されている利害調整を条例、 要綱で対応できるようにすることである。

 ただ一方で、 条例や要綱は住民だけをみてつくると排他性があり、 客観的にフェアでなくなることがある。 明確に意図していなくとも、 「良好な居住環境をつくる」が、 結果として「迷惑施設の排除」「貧乏人の住めないまち」につながる、 というやや極端な例をあげると理解されやすいだろう。

 住民参加のための法制度が整っていないと言われるが、 制度(メニュー)や手法(ツール)が足りないのではなく、 ツールが使いにくい(例えば全国一律の基準、 制度になっている等)ことが問題である。

 また、 利害関係の異なるそれぞれの人に対し、 同じ手続では利害調整を済ませられない。 財産や権利を取り上げる、 制限する、 といった強権的な措置(例えば都市計画決定)に対する参加は、 個々人の権利を保護するための参加だが、 住みやすくする、 といった財産的価値以外の価値を求めるような、 みんなで決めるタイプの参加はまるで性格の異なるものである。

 「みんなで決める」タイプの参加は制度にしにくいものであるが、 これを考える場合にも、 「住民参加」というときに「住民」とは何なのか、 自分をどういう立場であると認識して参加している人なのか、 もう少し議論しておく必要がある。 自分につながりや利害関係があるからこそ、 積極的に参加して、 真剣な発言ができる。 いい意味で、 「住民」をもっとドライにとらえて、 幻想をもたない方がよい。 逆に、 利害関係者である、 と住民に認識してもらい、 興味関心をもってもらえるように行政は工夫、 努力すべきである。

 以上のような内容を受け、 坂和弁護士からの話は、 まちづくりと法制度に関して最近問題と感じている事柄についてである。

 都市計画法の改正内容が分からない、 法体系も複雑すぎて分かりにくい、 震災復興まちづくりの総括を今のうちにしておくべきである、 再開発事業の今後、 公団改革について等、 話題はいくつかあったが、 公団改革はさておき、 今後特に大きな問題になってきそうな再開発について以下にまとめる。

 震災復興まちづくりには、 法定事業である区画整理、 再開発、 任意の建替え事業など様々あり、 それぞれに今後の課題を抱えているが、 再開発については、 これからの商業環境や社会経済状況を考えて、 規模縮小について真剣に考えていくべきであろう。 また、 復興事業に限らず、 バブル崩壊後、 再開発事業は保留床の売れ残りやキーテナントの撤退といった問題を抱え、 軒並み苦戦している。 保留床が売れ残っているために再開発組合が解散できない、 という事態に直面し、 今後、 再開発組合の破産能力について考えていかざるを得ない状況になりつつある。 一般的に、 国には破産、 という手続は用意されておらず、 破産能力はない。 第三セクターなら破産能力がある。 では、 再開発組合はどうなのか。 再開発を認可した認可権者にも責任があるのではないか。 こう考えるとそもそも、 認可、 とは誰が何を認可したのか、 ということが問題になってくる。 責任とは、 何を決めたか、 ということの裏返しなのである。

 その後、 議論は神戸空港や仕事における社会的使命感など多岐に及んだが、 本日の議論から得たことを主観的に述べてみたい。

 まず、 普段よく接する「まちづくり」の話題とはやや毛色の異なる内容だった、 と感じた。 それはまず、 住民参加を疑いもなくよし、 とする姿勢に疑問を呈されたこと、 それから、 「責任」の所在をはっきりさせる、 という思考回路によるものだろう。 「まちづくり」の世界と、 「都市計画」「不動産」の世界とのギャップに違和感を覚える人は少なからずいると思う。 「支え合い、 つながり合えるコミュニティを」「美しい街並みを」という価値観と、 「誰が何の権限に基づいてこの計画を決めたのか」「財産的価値が損なわれないように」「事業の採算がとれなかったら誰が責任をとるのか」を問題にする価値観とは、 相容れない、 あるいは次元が異なるものではなかろうか。

 住民参加をめぐる議論において、 ソフト、 ハードの話がごちゃまぜにされていることがあるが、 時にはこれをきっちり分けて考えることが必要であろう。 「よりよいまちづくりを」という際に、 誰かが責任を問われるようなことはほとんどないし、 責任追及は自発的な活動の芽をつむことになりかねない。 一方で、 「応分の負担」「権利制限」が発生する場合、 つまり、 ものやおカネが動いたり、 個人の財産権が制限されたりする場合、 誰がどのようにして何を決めたのか、 責任はどこにあるのか、 が常に意識されることになる。

 どちらがよりつっこんだ議論か、 どちらがよいのか、 ということではなく、 まちづくりに取り組む対象エリアで何が求められているのか、 まちづくりの内容や手段は何か、 によって、 住民参加のありようも変わってくるということであろう。 より具体的に例をあげていうならば、 地域福祉は相互の信頼関係なくては成り立たない。 最終的には強権を行使する権限を与えられている区画整理や再開発事業組合、 あるいは決議を行うマンション再建組合が、 支え合えるコミュニティの創造を担うのにふさわしい団体か、 というとそうではない場合の方が多いだろう。 復興まちづくりの過程において各地で誕生したまちづくり協議会も然り。 ハードのまちづくりから出発して一段落したまちづくり協議会が、 ソフトのまちづくりに活動内容を発展させていけるか、 というと必ずしもそうではない。 また、 ソフトのまちづくりから出発して信頼関係を築き上げてきた団体が、 具体的な利害調整を伴う事業を担うのは荷が重い、 というケースもあろう。

 法律は、 白黒はっきりさせる性格のものなので、 責任追及型の固い話になりがちである。 が、 摩擦を覚悟の上で利害を調整して進めていかなければ改善されない、 耳障りのいい話だけでは本質にふれない事柄は多い。 一方で、 何かと責任追及をし、 誰が悪いのかはっきりさせないと気が済まない社会の息苦しさ、 というものもあるのではとも思う。 これより先は、 なぜまちづくりをするのか、 という根本にふれる話なので、 それぞれに考えて頂くこととしたい。


 

ハードから迫るまちづくり〜密集地区のまちづくり

都市基盤整備公団 楠本 博

■はじめに

画像26s11
手前:三輪康一氏、 奥:柳川賢次氏
 公団職員を中心とした放課後の勉強会である「第4回公団まちづくり研究会」を、 4月25日(水)の18時から公団関西支社で開催しました。 この研究会の3回目までは「市民参加のまちづくり」という統一テーマの中で、 色々な切り口で議論してきましたが、 今回からは少し違うテーマで攻めてみようということになりました。

 その第1弾として「『ハードから迫るまちづくり』〜密集地区のまちづくり」というテーマで、 三輪康一氏(神戸大学工学部建設学科助教授)と、 柳川賢次氏(柳川賢次建築設計事務所所長)をお招きし、 講演と意見交換を行いました。

 お二人とも公団の震災復興共同建替事業にかかわっておられ、 三輪氏には「カルチェ・ドゥ・ミロワ」(神戸市灘区都通)の初期計画段階で、 柳川氏には「ピースコートI・II」(神戸市兵庫区湊川)の設計で、 それぞれご協力をいただいております。

 サブテーマに「密集地区のまちづくり」と付しましたが、 密集地区というとすぐに防災上危険であり、 何らかの形で整備改善が望まれるという話になります。 もちろん防災性の向上が最も望まれていることは事実ですが、 しかしながら、 だからといって単純なスクラップ・アンド・ビルドだけによるまちづくりにすると、 密集地区独特の良い雰囲気を壊してしまうという議論も一方ではあります。 それは単にノスタルジーから生じている場合だけではなく、 中途半端な整備をしたために地域性が喪失されたり、 通過交通が増えて居住環境としては悪化したりといった弊害が起きたりすることも事実です。

 では、 このように難しい密集地区のまちづくりを行うために、 ハードの側からの視点で何かヒントになるようなことはないでしょうか? それを探るべく、 経験豊かなお二人にご登壇いただいたというわけです。 なお、 当日はOHPやスライドなどで、 実例を具体的に多数紹介していただきました。

■新たな住まいづくりの提案【柳川氏】

画像26s12
図1 ピースコートI・II(神戸市兵庫区湊川) 全体配置図
画像26s13
図2 U邸(神戸市兵庫区湊川)
 ピースコート(図1)は湊川の密集地で2期に分けて事業化し、 計41戸の共同住宅を建設したものです。 ミニ区画整理により幅員5mの道路を整備し、 容積率は200%をほぼ使い切っています。 こうして書くと劣悪なミニ開発のようにも見えますが、 実際には周辺の建物にあわせて開口部の位置を微妙にずらしたり、 斜線制限にかからないように工夫した庇などが景観や空間に変化を与えたりしており、 今でも見学者が絶えないと聞いています。

画像26s14
写真1 U邸外観(神戸市兵庫区湊川)
画像26s15
図3 3LDKから2LDK+1へ
 一方、 柳川氏はピースコートに近接する区域内で戸建住宅の再建にも取り組まれました。 この戸建住宅(図2、 写真1)も当然のことながら狭小宅地で、 間口は2間ほどしかありませんが、 玄関のかわりに前庭を配し、 スリットの入った塀を作ることによって、 外部と内部を遮断しつつもお互いの雰囲気が感じられるという穏やかな空間が形成されました。 柳川氏はピースコートでも、 この戸建住宅のような要素を取り入れられたのではないかということを今も考えておられます。

 そこから「戸建感覚の集合住宅」という発想が生じました。 集合住宅というと壁で完全に区画され、 共用廊下を歩いていても生活感が感じにくいものになっていますが、 住宅の共用部分にも(時としては他の専用部分にまで)住宅内の雰囲気がうっすらと醸し出そうという試みです。 その例として、 これはまだ計画中ですが、 通常の片廊下形式の3LDKではなく、 廊下を挟んで「離れ」がある2LDK+1というプランを提唱されています(図3)。 そして「母屋」の公室部分が廊下を挟んで「離れ」に面するようにして、 それぞれの住宅の雰囲気がともすれば無機質になるマンションの廊下にも滲み出すような工夫がなされています。 ちょうど小道を挟んで両側の家のにおいがあふれている路地空間のような仕組みです。

 また、 集合住宅というと公団では築後おおむね40年以上が経ち老朽化した団地を順次建て替えていますが、 昔ながらの階段室型住宅の利点(通風・採光など)を残したままバリアフリー対応とするプランも提案していただいております。 そして公団に対しては、 「今後もさまざまな形で世の中に提案する住宅を作ってほしい、 LDKがそうだったように公団が作ったものを見て他がついてくるのだから」というエールをいただきました。

■神戸における密集市街地のまちづくり【三輪氏】

 三輪氏の講演は、 路地とニュータウンという2つの写真を見比べるところからはじまりました。 といっても、 それを見てどちらが景観的に優れているかということを論じるのではなく、 景観とは今まではいわば「きれいなもの」を対象に論じてきていたが、 最近は「地域らしさや生活が素直に表現されているほうが景観として価値がある」という考え方も広まっているということです。 そういう意味でも「作られたまち」に住むのではなく、 住み手が地域に対して積極的にかかわり、 まちを大切にする心を芽生えさせることが重要です。

 そこで密集地区におけるまちづくりですが、 住み手側からまちを変えていく手法の一つに「共同化」があります。 たしかに共同化によって空間にゆとりができることにより、 使い勝手のよい居住空間が確保できたり、 防災上の問題点が解決したり、 新たなコミュニティの場が形成されたりすることがあるでしょう。 震災後の戸建住宅再建の事例を見ても、 狭い敷地に建物を目いっぱい建ててしまって戸建住宅地の街並みとしては疑問のある地区も数多くあります(以前の路地空間はセミプライベートな空間だったので建物がすぐに接していても違和感がないが、 道路が拡幅されてパブリックな空間になってしまったところにもろにプライベートな住宅が接しているという違和感。 )

 しかしながら共同化はある意味で個人の犠牲の上に立つものであり、 またその地域の特性が共同化になじまない場合もあります。

画像26s16
図4 隣どおしの敷地の連携的外部空間形成
画像26s17
写真2 泉通6丁目の整備後の様子
 そこで三輪氏が提唱されたことは、 すべてを共同化するということだけを最終の目標にするのではなく、 「(建物が無理なら)外構部分の共同化」、 さらにはもう少し軽い「協調化(所有区分は分かれていても見た目として一体的になっている場合など)」を目指すという視点です。 (図4)

 具体的な事例として神戸市近隣住環境計画制度の「うるおいのある路地づくりタイプ」で計画された灘区泉通り6丁目地区の例(写真2)を紹介されました。 これは4m道路の両側65cmづつを「うるおい空間」としてそこに接する住宅の花壇などとして使うことができる(扱い上は道路占用)という制度です。 舗装のされた車道としては2.7mですが、 緊急車が通る場合は幅員4mをフルに使うことになります。 これにより敷地が狭小な密集市街地においても外部空間が協調化されることにより、 うるおいのある空間を生じさせることができます。

 これは私の感想ですが、 住み手の側で「まちをつくる」余地を残すこと(協調化や共同化によって空間的な余地は生まれやすいですが)、 それによって自分たちのまちを育む意識が高まり、 そのまちのルールが形成されます。 それが住み手にも来訪者にもアメニティが高いまちになるのではと思いました。

■最後に

 いくらハードの側で考慮して作っても、 それを生かし、 または新たな使い方を提唱するのは結局は住民です。 したがって、 ハードの面を重視すればするほど、 それを生かすための仕組み(ソフト)の重要性が高まってくるということが改めて認識されました。


 

その8・公僕小川直樹/街なみの環境整備をめざす

まちづくり会社コー・プラン 小林 郁雄

 

画像26s21
 
 1)野田十勇士には、 野田北部まちづくりに当たって、 あまたの助っ人が馳せ参じている。 その最初は震災ボランティアであるが、 今に至るまでずーうっと継続しているのは、 何をおいても神戸市役人、 なかんずく長田区役所担当で、 まさに「公僕」と呼ぶに相応しい役割を果たしてきている。 震災時から長田区の谷口まちづくり推進課長・井谷係長、 住宅局の石井建築部主幹、 都市計画局の新村区画整理課長・芋田係長など、 また最近にいたるまでの川野係長、 狩野主査、 相羽ネーチャン、 マイケル太田など数えればきりがない。 ここは、 神戸市を代表して震災時の長田区まちづくり推進課担当の公僕・小川直樹に登場願った。

 2)青池監督野田北部VTR記録の初期1〜2年における地元会合の場面に最も多く顔を見せている神戸市関係者は、 小川さんだと思う。 実際、 震災直後の2週間ほどは、 区役所で救援物資を整理し各避難所に届け、 被害調査・移動調査や1月末からはガレキ撤去に従事し、 その間夜の地元の会合にはほとんど出席していたと、 本人も語っていた。 区画整理の説明が、 初期には主にその事業の仕組みや土木的な基盤整備に終始し、 建物や家がどないなるのかという多くの被災住民の疑問に、 小川さんは数少ない建築職としてそれらに対応していた。

 3)1965年明石市大窪に生まれ、 明石市立山手小・大久保中・明石高専(建築)を卒業して1985年神戸市に就職したという。 なんともはや平凡といったら失礼だが、 波乱万丈の地元住民十勇士の経歴に比べ、 書くことがない。 あるいは、 この20年間にあまたの青春賛歌・恋愛悲話などがあったやも知れぬが、 まあ、 ここでは関係ないので、 聞いていません。 ちなみに、 1993年結婚、 現在るり子奥さん及び1女1男の4人家族。 市役所ではまず開発局計画課に6年、 建築部指導課に3年、 1994年に長田区に来て、 戦前長屋の空家対策、 不法駐車、 ゴミ投棄など地元(まち協連絡協など)とつきあい始めたところで、 大震災を迎えた。

画像26s22
日吉町6丁目の花と緑のひろば(まち協による保留地の暫定緑花)
 4)区画整理事業の円滑促進と同時に、 大国公園西側の街の再建・将来の街なみ形成に備えて、 制度ができたばっかりの「街なみ誘導型地区計画」と合わせて「街なみ環境整備事業」の導入が、 小川さんの主な仕事であった。 他の地区の多くで、 都市計画決定は唐突すぎる区画整理はけしからん、 といっている時期に、 野田北部ではすでに地区計画の話を始めていたのである。 また、 建築部指導課時代その要項化(1993年)に従事していたインナー長屋改善制度(建蔽率10%アップ)の適用も進めた。 これは、 当時担当していた池口さんの記憶によれば「神戸市インナーシティ長屋街区改善誘導制度」という名前だったという(彼も1999年から小川さんと同じ「すまいるネット/神戸市すまいの安心支援センター」で働いておられます)。

画像26s23
生まれかわった鷹取商店街の新しい街灯
 5)この連載のためにインタビューする時、 いつも聞くことに「震災後にやってこられてどうでしたか、 面白かったですか?」ということがある。 被災住民や行政担当官に「面白い」は、 不躾で無神経とは思うが、 他に言いようもないので、 あえて聞いている。 ほとんどの方が「面白かった」という。 小川さんは「人生で一番面白かった」といっていた。 「区役所は一番住民に近いけれど、 事業を抱えているわけではないので、 その点では無責任でいい」、 「人員も少ないので、 担当から区長まで近く直接話ながら仕事ができた」と、 これからの市民自律活動社会の行政の姿を先取りした感想を、 普通の口調で話してくれた。


情報コーナー

 

神戸市民まちづくり支援ネットワーク
第38回連絡会記録

 第38回連絡会が、 平成13年5月11日(金)に神戸駅前の県立神戸生活創造センターにおいて「まち住区・コンパクトタウンの展開・実践の検証―まちなかのサスティナブル・コミュニティの形成―」をテーマとして開催されました。

 森崎輝行さん(森崎建築設計事務所)の発表「まち住区論と野田北部のまちづくり」は、 水谷穎介氏の「まち住区論」を野田北部でのまちづくりに照らし合わせ、 個から全体へ重要性の認識とその実践、 住民参加から行政参加へという今後の方向を報告されました。

 久保光弘さん(久保都市計画事務所)の発表「新長田北地区からみたコンパクトタウン」は、 持論である条里制とまちづくりをテーマに条里の坪(1町歩)を最小限の単位としてこれがあつまり、 コンパクトタウンを形成していくのではないか、 という論旨で報告がありました。

 筆者(細野彰(コー・プラン))は、 「コンパクトタウンとしての浜山のまちづくり」と題して、 兵庫区まちづくり会議の提案した兵庫区南部地域でのコンパクトシティ構想とこれを受けた浜山地区コンパクトタウンとしての今後の展開と住民参加のまちづくりの進捗状況を報告しました。

 森崎さんの発表では、 まちづくり協議会がいろいろなイベントを開催しこれが水谷氏のいう遊芸空間に相当するのではというおもしろい指摘がありました。 そして、 地域社会の中で密接にそのコミュニティと関わり、 地域社会の大切さを見直し、 個から社会を形成させうる法制度を含めた「しくみ」が求められていると結ばれました。

 久保さんの発表の条里地割りが現在まで踏襲され、 それがまちの構成の基礎になっているという認識には異を唱えるものではありませんが、 条里の方位線が信仰と結びついた葛城山と高取山を結ぶ線を基軸に定められているという説は、 条里制が古代の「耕地整理」であったこと、 条里の方位は郡ごとに異なり、 おおむね灌漑用水の流下のために地形の傾斜の方向に定められていることが多いと考えられるため、 今後、 さらに議論を深める必要を感じました。

 報告者の発表では、 行政主導的な浜山地区の「コンパクトタウンづくり」が今後、 地域に定着し、 どのように浜山のまちの資源を生かした住民主体のコンパクトタウンづくりとして進められていくかが課題であると思われます。 (コー・プラン/細野 彰)


イベント案内

阪神白地まちづくり支援ネットワーク/第20回連絡会

世界震災復興映像キャラバン

上三角
目次へ

このページへのご意見は前田裕資
(C) by 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク

阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク・ホームページへ
学芸出版社ホームページへ