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私にとっての『人と防災未来センター』

京都大学防災研究所・教授/人と防災未来センター長(予定) 河田 恵昭

 

 私が長い間仮称で呼ばれてきた『阪神・淡路大震災メモリアルセンター』と関わり合いを持つようになったのは、 丁度今から3年前であった。 このセンターの開設準備に当たって兵庫県に2つの委員会が設けられた。 1つは展示委員会であり、 もう1つは人材育成委員会であった。 その何れもの委員会の委員に就任要請された私は、 つぎのような考えに立ってお受けした。 すなわち、 このセンターが発足すれば、 私たちの巨大災害研究センターとの連携が重要になるという観点である。 防災研究の学問横断的な内容と、 成果の実務への反映の必要性を考えると、 防災関係組織間の連携なくしては目標達成に至らないことは明らかであった。

 したがって、 新しいセンターの設立に当たっては、 私自身の問題として認識することが原点となった。 その時には、 現在二期工事中の建物が一体何を目指しているのかについてはあまり関心がなかった。 それまでにも紆余曲折があったようであるが、 前者のセンターが国と兵庫県の共同事業であるのに対し、 後者は県単独の事業としてそれぞれ別個に動いていた時期があったようである。 結果的には、 私は二期構想に最初からコミットしていなかったことが幸いして、 これら両者を一体で運営するという最終案は、 私にとっては何ら奇異には映らなかった。

 とくに二期の展示は、 命の尊さや生きることの大切さを伝えるという使命を担っている。 それは森をモチーフとしている。 よく考えてみると、 幼稚園児や小学校低学年の児童に防災や減災の大切さはそのままでは理解できないだろう。 そこには二期の展示が担う使命が深く関わってくることがわかる。 安全で安心な国土づくり、 まちづくりは私たちの大切な願いである。 そして世代間の継続性を考えれば、 これらの施設群の整備に当たっては、 子供たちもしっかりと視野に入れて作らなければならないことは明らかであろう。 大人の視点だけでは不十分なのである。 建物の中の『森』への異論もあるが、 私たちは人工環境の中でたくましく生きて行かねばならない宿命があることを認めれば、 おのずと理解できるだろう。

 『人と防災未来センター』の目指す機能も、 結局はそれに深く関わったひとが実現する。 魅力ある施設は魅力ある人たちによって運営されなければならない。 そのような人材の結集が実現できるかどうかが、 このセンターの大きな課題であると同時に、 魅力となっている。


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河田恵昭氏(000729 松本地区相談所にて)
 河田先生のことは、 この4月にオープンする予定の「人と防災未来センター」(私はカワチャンセンターと呼ぶつもりです)のセンター長になられる“偉い先生”というしか存じません。

 2000年7月にCVV(シビルベテランズボランティア)の勉強会に参加された時の写真を使わせていただきました。 ご覧の通り夏の盛りの暑い日、 神戸の新開地・湊川から松本地区の見学会に「夏休みにどこへも連れて行かれへんから」と、 こんな可愛いお嬢ちゃんとご一緒に参加されました。

 このお嬢ちゃんのような子どもたちが大きくなり、 人防センターをどのように活用されるか、 その頃安全で安心な国土づくりはどのように進んでいるのでしょうか。

(天川佳美・記)



 

社会実験「コミュニティ茶店・新在家南」の
報告(繁盛記)と再オープン

石東・都市環境研究室 石東 直子

 

■はじめに

 「復興住宅・コミュニティ応援団」は、 復興住宅のコミュニティ再生のための社会実験として「コミュニティ茶店・新在家南(3号棟)」を、 昨年の11月半ばから1ヶ月間、 月・水・金の10:30〜15:30まで開店した。 メニューは1杯100円のクッキーつきコーヒーと紅茶だけだったが、 居住者には大歓迎され、 繁盛した。 <復興住宅・コミュニティ応援団の設立とコミュニティ茶店開店等の趣旨については、
「報告きんもくせい NO. 32」に報告している>。

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集会室入口に置かれたメニュー
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コミュニティ茶店入口
 新在家南住宅は阪神電車新在家駅の南、 国道43号を越えた位置にあり、 5棟の高層住宅団地で、 全戸数658戸(神戸市営、 県営、 公団)である。 うち1DK住戸が1/3あり、 ひとり暮らし高齢者が多いがシルバーハウジング制度の対応はない。 団地内には生活利便施設は何もなく、 43号以北に行かなければ食料品店もないという「陸の孤島」である。 また団地全体を対象にした集会所はなく、 3棟の市営住宅には各棟の1階に小さな集会室があり、 2棟の県営・公団住宅(同居棟)には別棟の集会所がある。 コミュニティ茶店は市営3号棟の集会室で開店した。

■来客状況と来客像

 開店2日前に全戸に案内チラシを配布し、 各棟にポスターを貼ってもらい、 バス停にノボリを立て、 とくに3号棟は自治会役員の呼びかけもあり、 順調に開店した。 1日の来客数は開店当初は20名ほどだったが、 日を追うごとに繁盛し、 30名〜50名に達した。
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2時過ぎからは満席がつづく
 一日の客足状況は、 午前中は数名程度で、 2時すぎから3時半の閉店までは、 15席が満席になる日も少なくなく、 4時ぐらいまで粘っておられる人もいた。 学童が放課後、 宿題やゲームを持って来る時があり、 その対応には少々戸惑った(スペースが狭く、 多人数になると走りまわったりするし、 無料でクッキーをせがむ子もいる。 しかし、 子供が他人の大人と接して、 社会のマナーを学ぶ場としての有効性は大きく、 子供と大人の交流の場となり、 双方が楽しんでいる光景が多々あり、 スペースに余裕があれば放課後を過ごす場の提供としても最適であろう)。

 来客は7割が3号棟の住人で、 3割は団地内と隣接市街地からであるが、 時には団地を訪れたセールスの人も入って来られた。3号棟(約220世帯)は40%が顔を見せられた。 3号棟の全戸には誘いの訪問を2度ほどしたし、 自分たちの住棟の集会室ということで来やすかったということもあろう。しかし、 自治会役員は「もっと歳いった人が来てほしい」と言われていた。 なお、 男性客が3割から4割に及び、 予想以上に多かった(一般にこのようなふれあい喫茶等では男性客は少ない)。 毎朝散歩をしておられる人が、 開店を待って来られたり、 外出から帰ってきて自室に戻る前に一休みに来られる人、 茶店がある日には顔を出さないと落ちつかないと言われる人、 茶店に来てから仲よしを呼びに行かれる人、 孫や娘が訪ねて来ると連れもってこられる人、 この集会室には入居して初めて来たという人等々。 また、 誰かと一緒に来る機会がなければ、 きっと自らは顔を見せられることがないだろうと思われるひとり暮らしの男性が、 友愛訪問グループと来られてからしばしば1人で来られるようになった。 かなり症状の重い車椅子の人が家族に介助されて来られたり、 バス停のノボリを見て来たと言う人もいた。

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コミュニティ茶店のスタッフ(エプロン姿)とも話がはずむ 将棋を楽しむグループ 放課後に集まってきた子どもたち 子どもたちと楽しむひと時

■居住者(来客)の声

 来客から寄せられた多くの声は次のようなものである。 (1)日常的に気楽に寄れる場を欲しているという声、 (2)孤独からの脱出を求める声(誰かと話をしたい、 親しく話し合える隣人が欲しい)、 (3)外に出てみようという気力の蘇生のために茶店を評価する声(癒しの場としての評価)、 (4)セミフォーマルな安らぎの空間での心地よさを体験できる場としての評価、 (5)同好の隣人を発見し、 共に時を過ごす楽しみを見つけたという声。

■繁盛した理由のいくつか

 大繁盛した理由は次のようであろう。

■3月6日に新装再オープン

 コミュニティ茶店の実働スタッフは趣旨に賛同した数名が無償ボランティアで当たった。 開店資金は『100名の「復興住宅・コミュニティ応援団」の応援団』を募り、 現金や物品のカンパをいただいた。

 1ヶ月の社会実験では、 協同リビングで過ごす居心地のよさを体験してもらったが、 居住者に事業運営への参画を促すまでにはいかなかった。 来客からの継続を熱望する声が大きいので、 3月6日から隣棟の2号棟集会室で再開をすることにした。 2号棟は元気な住人も多く、 事業参画への意向もあるので、 新在家南住宅1号棟・2号棟・3号棟の連合会支援のもとに、 応援団と居住者の有志とで、 「コミュニティ茶店・新在家南クラブ」を組織し、 3ヶ月継続してみようということになった。

 居住者による自律した「コミュニティ茶店」の運営展開には行政とサポーター(応援団のような中間支援組織)のそれぞれが次のような役割を担うことが必要であると考える。

 行政の役割は、 (1)中間支援組織の設立を支援し、 復興住宅の空住戸等貸与の受け皿組織として信頼と協働をもつ、 (2)モデルとして空住戸や集会所の利用承認、 (3)設備、 備品等の整備、 事業開始のための初期資金の助成、 (4)モデル地区の選定に当たっての情報提供等である。

 中間支援組織の役割は、 (1)モデル地区での人材発掘、 育成、 学習、 (2)事業スタートのサポート(ノウハウと資金提供等)、 (3)アドバイス等の継続などである。

 「コミュニティ茶店・新在家南」が再オープンし3ヵ月後には、 応援団との協働から住人たちの自律した継続運営がなされることを祈り、 そして更に、 多くの復興住宅で、 コミュニティ再生のひとつのきっかけづくりとして、 星の数ほどのコミュニティ茶店が展開されることを願って。

2002.02.26.記

 

行政の「まちづくり、 住まいづくり」あれこれ

都市基盤整備公団 米沢 武久

 

■はじめに

 低迷する経済と少子・高齢化の結果として「都市の縮小」が前提となった現在、 行政・公団を取り巻く環境は大きく変化している。

 まず、 我々公団については「特殊法人改革」であり、 これは公団自ら新規賃貸住宅建設は行わず、 民間の参入を促すような基盤・スキームづくりのみを行うという厳しい内容のものである。 次に「都市再生」であり、 これは大都市の既成市街地の再整備及び大規模遊休地の活用に集中的に取組むということであろう。

 ほんの数年前の国の重点施策が「中心市街地の活性化」や「地域戦略プラン」であったことを思えば、 その状況変化に驚かざるをえない。 しかし、 古くからの市街地を多く抱える関西においては喫緊の課題が山積している。 この流れをチャンスととらえ、 我々は何を求められているのか(組織として、 個人として)を議論したい。

 まず、 各行政において主に市街地整備を担当され、 活躍されている方々から話題提供をうけた。

■難波健氏(兵庫県県土整備部都市計画課)

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難波健氏
 震災後の淡路島の漁村農村集落を対象に、 密集事業を担当。 密集事業は非常に時間と手間のかかる事業ではあるが、 兵庫県においては次の対象地区がない。 つまり、 行政の中では、 せっかくの人材とノウハウを次に活かすことが難しい状況である。

 そこで、 公団のような組織が、 行政を横断的に密集事業を請け負っていくことがよいのではないか。 行政と公団の役割分担を考えては、 という提案をいただいた。


■野口邦彦氏(大阪市住宅局企画部住宅政策課)

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野口邦彦氏
 大阪市生野区南部の密集事業を担当。 大阪市の密集地区における特徴は、 (1)敷地規模が50m²と小さい(東京は75m²)、 (2)戦前長屋をはじめとする老朽住宅が多い、 という2点である。 さらに対象地域は環状線の外周部であり、 まとまった整備・共同化を行うポテンシャルが低いという課題がある。

 100点の目指すことはできないが、 10点のまちを、 せめて50点にもっていく必要があるという言葉が印象的であった。


■浜田有司氏(神戸市住宅局住環境整備部地域支援課)

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浜田有司氏
 神戸市都心部での面的な整備事業を担当。 同地域では経済的にも自力復興できない人々が多く、 公共の取組みがかかせない(公営階層が半数以上)。 国の補助金行政も統合補助・メニュー方式という流れであり(つまりその地域での運用の裁量が大きい)、 事業系+ルール系の重ねあわせによるまちづくりが必要との意見であった。



■友田研也氏(大阪府建築都市部都市整備推進課)

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友田研也氏
 大阪府下インナーエリアでの密集事業を担当。 今まで各市町村単位であり、 広域都市計画をしてこなかったが、 大阪府は今後10年間で50万人の人口が減少する恐れがあり、 広域的な取組みが必要。

 成熟した先進国においては労働力は企業や産業の成長に伴い移動するのではなく、 良質な住宅とアメニティ、 労働に対するモチベーションが得られる地域の企業・産業が成長する、 という認識は非常に重要なものだと思われる。

 各々の話題提供を受けて、 議論にうつると…

■密集事業について

○「防災、 不燃化?」
 密集地区では人口が減少し、 高齢化が進んでいる。 中堅層が住めないまちでは行政の税収にも関わる。 防災よりも若い元気な人が住める街にしたい、 というのも一方の本音である。

○「残したいエリアVS改善すべきエリア?」
 神戸の密集地は古い街と重なるエリアが多く、 歴史的な町割や情緒が残るところもある。 それに反して、 戦後の急激なスプロールによるひどいところも当然ある。 データではなくその街の実態を見ることが必要。 悪いことばかり言っても元気が出ないので、 反面の魅力も考えるべき。

○「密集はもうかるか?」
 密集事業と区画整理の合併などではコストがもたない。 駅前、 拠点などに集中投資して地域イメージを改変し民間投資を呼び込むというスキーム。 密集はもうかるというノウハウをいかに作るか?

■まちの安楽死?

 「団地再生」がキーワードとなっているが、 今ある団地の半分くらいを捨てるつもりでやらないと全体がダメになる。 人口・住宅供給が縮小する世界では、 公共ももたない。 つまり、 まちのターミナルケアが必要。

■そもそもそんな市街地整備は余計なお世話?

 密集市街地といえど良好なコミュニティのもと、 機嫌良く暮らしている高齢者が多いわけで、 それを整備しようという考え方自体がおかしいのでは。 という意見に対しては、 「神戸と同規模の震災が起これば大阪では3倍の被害がでると想定されている。 それをすててはおけないという思いは強い」

■マイノリティと周縁

 事業とは離れるが神戸新聞に掲載された記事の紹介があった。

 ホワイトカラーを赤色、 ブルーカラーを青色に塗り分けた地図を作ると、 東京は山の手線内から西に広がるホワイトカラーの分厚い堆積がある。 それに対し、 大阪は阪神間、 北摂、 生駒の一部を除いて全体的に青っぽい。 歴然とした違いがある。

 その要因として、 在日コリアンが集住する生野地区、 日雇い労働者のあいりん地区、 沖縄からの移住者が多い大正、 都心外延部の同和地区などのマイノリティが大阪のインナーリングに並ぶためである。 これは否定的な視点ではなく、 むしろ逆で貧困や差別が生れた反面、 社会政策や社会事業の揺籃の地となった事実がある。 確かに、 現在もマイノリティとの境界上に摩擦が生じるが、 そこで昇華されたものが、 映画や文学の表現となっている。

 かつて山口昌男は「周縁」という概念で表現した。 これからのまちづくりにおいて、 非常に重要な視点だと思う。

■おわりに

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2001年の公団まち研の記録
 震災を体験し、 都市の縮小が現実となったいま、 まちづくりの転換点を皆が感じている。 本日の議論であがった「密集整備は必要か」「団地の安楽死」などの言葉に象徴されるように、 まちづくりにおいて、 生き方そのものを選択するような時期が迫っているようにも思われた。

 ※2001年の公団まち研は今回報告の第12回で終了しました。 2002年は2月20日、 みくら5で浦野正樹氏(早稲田大学文学部教授)による「防災まちづくり、 安全安心をめざすまちづくり−防災まちづくり大賞の6年−」で始まりました。


 

おそるべし アルファグリーンネット

兵庫県立姫路工業大学/淡路景観園芸学校 林 まゆみ

 

■淡路景観園芸学校の設立

 去る2000年に開催された国際花と緑の博覧会「ジャパンフローラ2000」が幕を閉じてから早、 1年以上の月日が経った。 これは本来、 1998年に開催される予定のものだったが、 あの未曾有の阪神・淡路大震災の影響を受けて、 2年間の延期をみたものである。 もともと県立淡路景観園芸学校はこの「ジャパンフローラ2000」の継承事業の一つとして設立されるというストーリーだったのだが、 大震災は予定を大きく狂わせて、 学校の方が一足先の1999年の春に発足する事態となってしまった。

 しかし、 この変則的な始まりは学校にとってはかえって幸いしたともいえる。 「ジャパンフローラ2000」に、 学校としてさまざまな形で積極的にかかわることができたからだ。 それはこの花博への学校としての出展であったり、 さまざまなシンポジウムへの積極的な参加であったり、 花博の植物展示に深く関与したことなどである。 ここで、 少し淡路景観園芸学校について紹介しておこう。

■教育の内容

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淡路園芸学校の庭園
 そもそもこの学校は文部省管轄下の教育機関では全くない。 その是非はさておいて、 教育内容は大変ユニークなものである。 大きく分けて3つのコースが設定されているが一つ目の専門課程と呼ばれている定員20名のコースは4年生大学の卒業生を対象にした2年間の全寮制のものである。 1期生から3期生までの実績をみると新卒者と既卒者の割合はほぼ拮抗し、 年齢も20代と30代以上が同じくらいの人数を占めている。 この3月には2期生が卒業する。 ちなみに1期生の最高齢者は50代、 卒業時には成績も最高位だった。 2期生も最高齢者は50代の大手機械メーカーの中途退職者である。 この人物も1年生のうちに造園関係の会社を立ち上げてしまった。 さまざまな経歴や専門性を持つ人材が全国から集まっている。

 花と緑、 環境共生、 そしてまちづくり・・・などなど、 多くの若者(精神的若者?)が夢を膨らませて入学してくる。 全寮制ではあるが、 2年間で学ぶには広く深い内容が目いっぱい詰め込まれている。 学生は植物の実習に汗を流したり、 各自にデスクやパソコンの配備されたスタジオにこもりながら、 日々多くの課題をこなしていく。

 専門課程以外には短期(最長で1年)の研修のためのコースがあるが、 この学校の教育における特徴を形づくっているもう一つの大きな柱が生涯学習コースである。

■まちづくりガーデナーコース

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まちづくりガーデナーコースの授業風景
 この生涯学習コースは全国でも例のないほど内容、 期間ともに充実している。 コースは「本科編」、 「体験編」、 「テーマ編」と3つに分かれ、 もっとも長い「本科編」は一年間の前後期とも、 3日連続する講座が5回づつ続いて編成されている。 前期は「花と緑のまちづくりリーダー養成講座」、 後期はもう少し中山間部や農村にまで視点を広げた「花と緑の地域づくりリーダー養成講座」と名づけている。 つまり、 トータルすると年間30日もの講座を受けることとなる。 この30日の日程を一定の割合以上の出席をこなした受講生は修了時に「まちづくりガーデナー」として兵庫県から認定される。 これらの受講生は兵庫県内はもちろん、 奈良県や大阪府あるいは香川県など他府県からの参加者もいる。

 淡路景観園芸学校はその英語名である"Awaji Landscape and Planning Horticulture Academy" の頭文字をとって"Alpha"(アルファ)とも呼ばれている。

 おそるべしはこの生涯学習講座の修了生を中心として作られているネットワークの「アルファグリーンネット」である。

■アルファグリーンネットの活動

 現在、 アルファグリーンネットの会員は兵庫県内を中心に300余名に達している。 2000年の10月には特定非営利法人格も取得した。 会員資格は非営利法人格を取得して以降は淡路景観園芸学校の修了生には限っていないが、 主たるメンバーは修了生で構成されている。 さまざまな実践活動を挙げてみよう。

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宝塚市のオープンガーデンで作成した地域マップ
 例えば昨年には県内のいくつかのまちでオープンガーデンが開催された。 神戸市須磨区や北区の北の町、 鹿の子台、 宝塚市山本地区、 三田市などなど・・・。 このすべてのオープンガーデンの開催にアルファグリーンネットのメンバーが中心的な役割を果たしている。 最初は数軒ではじめた活動もその輪を少しづつ広げて行き、 結果的に大きな花や緑の輪となって広がっていく。 もちろん、 各地域ごとにそのまちの行政や一般県民のガーデニング愛好者との連携や協働は欠かせない。 しかしである。 アルファグリーンネットのメンバーのこの確たる自信とパワーはどこから来るのだろうか。

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蘇った芦屋市の街区公園
 他にも、 芦屋市にある、 荒れ果てた小さな街区公園を花園パラダイスに変身させた女性会員もいる。 彼女は最初、 市に公園の再生を提案したが、 個人での活動に難色を示され、 改めて自治会を動かした。 地域で花づくりの会を立ち上げ12人のメンバーが毎月順番に公園の花や緑の世話をしている。 そこはあたかも"My Garden"さながらのコミュニティガーデンである。 しかし彼女は言う。 「好きな花はいくつもあります。 それでも新しく花や木々を植えるときは必ず会のメンバー皆さんの了解を得るようにしています。 なぜならここは皆の公園だから。 自分一人の思い入れだけでこの公園を作ってしまってはいけないと考えるのです。 」・・・まさに「パブリック」という概念をこの高齢の女性は自らの心の声として表現している。 彼女の話はそれを聞いている大勢の後輩の受講生の心に響いた。 このように地域でさまざまな活動を実践している会員のところに受講生は見学という形でも出かけている。

 活動の例は枚挙のいとまがないほどだ。 ケナフの栽培を通じてその利活用を考えながら、 少量の材を扱える炭焼き釜を開発した男性、 地域での福祉活動と花や緑を用いた活動をリンクさせ、 大勢の高齢者や子供たちに緑の恵みを提案したり実践したりしている張りきり女性、 地域緑化をさまざまな形で実践している人、 などなど。

 また、 会員の多くは県内各市町の花や緑にかかわる支援機関と連携している。 神戸市では「花緑市民ネットワーク」に属する諸団体のメンバーも数多くいる。 尼崎市や西宮市などの花や緑のまちづくりに積極的に取り組んでいる市町との協働もまたしかりである。

■ガーデニングはまちづくりの最高のツール

 ガーデニングブームといわれてから久しい。 なぜ、 ガーデニングがこんなに現代人の心や体まで(実際にガーデニングを行うとなるとこれが結構な重労働であるからだ。 )捉えてしまったのだろう。 一つには潤いのある暮らしを求める現代的世相もあるだろう。 他にも、 健康促進や花や実の収穫といった実利的な理由もある。 しかし、 日本古来の園芸といわれるものとガーデニングとの違いはとりもなおさず、 ガーデニングには人と人の交流を生む力があるというこどだ。 ガーデニングをすることによって、 まちなみを美しくすることもできれば、 人と人や人と自然をつなぐ役割が果たされることもある。 これが、 園芸からガーデニングへと現代人が歩みを進めてきた理由ではないだろうか。

 ガーデニングはまちづくりの最高で最強のツール。 ツール(道具)などとのたまうと、 自然を愛好する心やさしき人々から怒られてしまうかもしれない。 でもガーデニングや花緑がこれほどまちづくりの中で役割を果たしている時代もなかったことだし、 今こそその大切さを認めて花や緑豊かなまちづくりを実践していこうではないか。

 おそるべしはアルファグリーンネット!である。 ぜひ、 この人材バンクを活用していただきたい。 そしてあなたも入りませんか、 アルファグリーンネットに・・・。


 

その9・助っ人森崎輝行/震災復興の孤独な戦い

まちづくり会社コー・プラン 小林 郁雄

 


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森崎輝行氏(990410 鷹取カトリック教会にて)

 1)野田北部まちづくり協議会では先生と呼ばれる助っ人森崎輝行にとって、 震災復興は「まちづくり建築家」としての孤独な戦いであった。

 第1の孤独は、 西神戸の孤独である。 震災直後、 建物被災度調査を都市計画学会・建築学会で行なおうとした時、 東神戸六甲にある神戸大学より西に建築・環境系学科のある大学は神戸芸術工科大学のみで、 かろうじて明石高専、 姫路女子短大(当時)くらい(それに比べ、 東神戸から阪神間・大阪・京都に至るまで、 たくさんの大学があるなあ)。 未成年や女性に被災直後の現地調査を強要するわけにもいかず、 芸工大がなかったら兵庫・長田・須磨の激甚焼失被災地の現地調査は不可能であった。 建築・都市計画の事務所も、 三宮・元町から西には数えるほどしかない。 多くの震災復興再生地区を抱えた西神戸に、 地域の建築・都市計画専門家集団が決定的に不足していた。

 森崎さんは須磨・長田で育ち、 今も月見山本町のマンションに妻律子さん(徳之島出身)と長男鋭光さん(としき、 25才)、 次男洸貴くん(ひろき、 12才)と住み、 震災前から現在も須磨区南町で事務所をやっている。 千歳小−太田中−須磨高−神戸大と根っからの西神戸人として、 震災前から鷹取など多くの地域とのかかわりは深く、 被災地域に根ざした数少ない西神戸の「まちづくり」建築家にならざるを得なかった。

 2)第2の孤独は、 建築家の孤独である。 これだけ大量に家々が焼失倒壊し、 10万戸近い住宅再建とその他にも無数の建築が必要とされていたにもかかわらず、 建設業者の姿は被災地を飛び回っていたが、 建築家・計画設計業者の姿が見えない。 多くの建築設計家がいかに社会的に希薄な存在であるのかを、 改めて知った(「全住宅建築家に告ぐ」小林郁雄『新建築 住宅特集』1995年5月号参照)。 震災というのに営業に走っておる、 などと陰口を叩かれた安藤忠雄さんが数少ない例外であった。 住宅や建築を失って呆然としている人々に、 どのような働きかけを建築家はすべきなのか。 それを「営業」という、 芸術家・技術者がなすべきではないことという非社会性が、 この大震災時にさえ、 建築設計界の常識であった。 さすがに世界のANDOの最初の弟子・森崎さんもまた、 そうした常識をものともせずに、 だから、 まちづくり「建築家」として孤独な震災復興の戦いであった。

 3)第3の孤独は、 母親綾子さんの震災死である。 多くの人々が亡くなり、 怪我病気になったが、 親兄弟、 家族や仕事の同僚などが被災すると、 当然のことながら、 本業に従事しているわけにはいかない。 被災地ですぐに活動を始めるには、 身内に不幸がなかったり、 仕事場が被災せず確保できるという条件がなければ、 無理である。 森崎さんの両親は、 須磨区大池町の四軒長屋の端の全壊家屋に埋まって、 なんとか父親の勇さんだけが助け出された。 全焼したそこは、 震災復興土地区画整理事業鷹取東第2地区に指定され、 やっと7年後の2001年11月末に再建された家で、 父がひとり住んでいる。

 弔い合戦という言葉がある。 震災復興はある意味で戦争の一種かもしれない(911のブッシュさんを、 そこんところは少しだけ理解できる)。 戦争を直接知らない世代なので「戦友」という感じを知る由もないが、 震災直後の2年間ほどの復旧復興活動を共にした仲間は、 業種・年齢・身分を越えた「戦友」という気分である、 戦いというほどのことではないかもしれないが。 森崎さんが、 母の弔い合戦だ、 と叫んでいるということではない。 その逆に、 その不幸にもかかわらず、 何事もなかったかのように被災地での復興活動を続けてきている。 長年のつきあいからわかる気がするのだが、 ひとり静かに母を思った「まちづくり建築家」としての孤独な戦いなのだろう。

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野田北部・鷹取東地区将来構想イメージ模型(森崎輝行)
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被災地での建築家としての復興支援活動(森崎輝行/造景 no.15)
 4)森崎さんの野田十勇士としての活躍は、 多くを挙げる必要はないだろう。 参考に挙げた森崎さんが書かれた資料を読んでいただいたほうが詳しいし、 青池監督のVTR「野田北部・鷹取の人びと」全14巻に、 どれだけ登場するかを見ていただいたほうが早い。

 森崎さんが自らまとめた「復興支援活動」のリストを見ても、 震災復興において「まちづくり建築家」が何をしなければならないのか、 おわかりいただけよう。 建物修繕システム、 事業者参画システム、 コムスティシステムなど、 詳細を説明する余裕がないが、 普通の建築計画・設計業務の以前にしなければならないシステムづくりが、 あまりに多くあることがわかる。

 「まちづくり建築家」として震災復興で孤独な戦いを続けざるを得なかったが、 多くの「戦友」たちと野田十勇士をはじめとする新たなまちの仲間たちとのネットワークが生まれたことが、 この震災復興のひとつの結論であろう。


参考1)「震災地野田北部地区のまちと建築」『建築と社会』Vol.79,No.911/1998年2月号
参考2) 「まちづくりにおける復興計画とその実践−野田北部地区」『造景』no.15/98-6
参考3) 「被災地での専門家」『建築雑誌』Vol.114,No.1432/1999年1月号
参考4)「第6章復興状況」『野田北部の記憶(震災後3年の歩み)』野田北部まちづくり協議会/1999年3月刊


情報コーナー

 

阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第24回連絡会記録


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報告する小島さん(020208 於:県立神戸学習プラザ)
 今回のテーマは「参画と協働のまちづくり」で、 2月8日(金)兵庫県立神戸学習プラザにおいて行われました。

 3つの報告のテーマ/報告者は以下の通り。 (1)「生野町まちづくり基本条例について」/小島公明さん(生野町まちづくり政策課)、 (2)「神戸市市民参画の推進について」/古川正幸さん(神戸市市民局市民参画推進担当)、 (3)「県民の参画と協働を進める条例について」小林郁雄さん/(県民の参画と協働に関する条例化等検討委員会委員)。

 小島さんからは、 生野町でこれまで実践してきた約8年間の協働のまちづくり(住民参加による総合計画の策定、 公募住民と町職員で総合計画を具体化する「地域づくり生野塾」の実践、 まちづくり推進懇話会でのまちづくりのあり方の検討、 など)についての詳細な説明が行われ、 これらをふまえて「まちづくり基本条例」が検討されていることが報告されました。

 古川さんからは、 神戸市でこれから検討を始める「市民参画条例(仮称)」について、 市民公募のワークショップ(下記「情報コーナー」参照)やフォーラム等を開催しながら検討していく予定であること、 「市民参画推進プロジェクト」として市役所24階に「プラットフォーム」という場を設置することなどが報告されました。

 小林さんからは、 ご自身が検討委員として関わっている「県民の参画と協働を進める条例(仮称)」について、 最近議論になっているポイント(NPO団体など担い手の認証の問題や、 県議会議員からの“間接民主主義の根本問題”という意見)を中心に報告がありました。

 3報告の後のフロアー討議で出された主要な論点は、 これまで神戸市など各地でまちづくり協議会による活動が盛んに取り組まれてきた根拠となっているまちづくり条例と、 今回策定予定の条例との違いやこれとの関係に関することであったように思います。 ある囲まれた地域を単位とした「まちづくり」とともに、 これからは市民の参画と協働によって自治体そのものをつくっていくという「まちづくり」を検討して行かねばならないという動きが、 大きく胎動してきているという印象を受けました。 (中井都市研究室/中井 豊)


イベント案内

●条例づくりワークショップ参加者募集/神戸市

●NPO・ボランティアグループによる子供たちの体験活動促進事業報告会

●六甲グリーンベルト森づくりフェア

●「日本におけるイタリア2001年」記念広場 日伊国際デザインコンペティション

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