「書店経営」99年1月号掲載

《書店人のドーラク的快楽》

《書店の風景と書店人》
僕は、この業界で20年ほど書店を見続けてきたが、思えば「書店の風景」が急速に変化したのはこの2、3年のことであると思う。現代風の店舗レイアウトや意匠が、書店を暗いイメージから、明るく立ち寄り易い場所へと変えた。また、なんと言ってもその規模が格段に大きくなった。そして以前は150坪あれば総合書店のカンバンをあげていたのだが、近ごろでは150坪の書店で、専門書を置いているような店はめったにお目にかかれない。基幹道路を走れば必ず書店のカンバンが目につくようになり、それぞれが賑わいをみせているが、逆に商店街の書店はひっそりとしている。こんな風に表向きの書店の風景は変わったのだが、本はきちんと読みたい人に届けられているのだろうか。書店は、以前にも増してアメニティの高い場所として読者から喜ばれているのだろうか。そして流通システムが急速に変化して行く中、書店はそれにどう対応しているのだろう。客注品の取り寄せに対して「2、3週間お待ち下さい」と案内しているのは20年前と変わらないし、「書店人は本を知らない」とぼやかれるのもそうだし、「欲しい本が手に入らない」とも言われ続けている。確かにコンピュータは流通のスピードや書店店頭でのお客に対するサービスを向上させたが、読者が唯一、本と直接接する書店現場の人達が、「本という商品」を売るという行為をどれだけ理解し、どれだけ喜びを感じているのかということを考えた時、POSレジやコンピュータの端末が支配するレジカウンターの風景と、何か面白い本はないかと探しに来るお客の気持ちとの間にギャップを感じてしまうのである。
 そうしたことより、僕が気がかりなのは、表向きのことやシステムのことではなく、うつろな目をした書店人が増えたことだ。それが社員なのかアルバイトなのかはわからない。それはどちらでもいいのだ。書店で本を売るという仕事をしている以上、社員とアルバイトに区別はないのだから。
「本が入荷して、整理して、陳列して、レジに入って、それを売る。ただそれの繰り返し。なーんだ、書店の仕事って面白そうだからやってみたけど本は重いし、手は荒れるし、私が何もしなくても本はドンドン入ってくるし、ダルイよね、書店の仕事って。」
目がそう言っている。お客から問い合わされた本の在庫がないとき素直に悔しがる目、何か売れるものがないかと必死に情報を得ようとする目、本が売れた時、心からありがとうと言っている目を持った書店人はいったいどこへ行ってしまったんだろう。
本を売るってことは、ドーラク的快楽を伴う楽しいものなのに、それに気がつかないまま一日中店頭でただ時間を過ごしているなんて、いったいどうしたんだろう。でも書店の仕事は遊びじゃないわけだから、だれかが仕事としてのドーラク的快楽を教えなきゃいけないのだけど、最近の労働事情を考えればそんな余裕もないのかもしれない。だってこんな声が聞こえそうだ。
「取次店から入荷する本を陳列して客に売ればそれで十分、それだけで一日の仕事が終わっちゃうんだから。本を売る楽しみ?それは儲かることでしょ。」
 僕は薄々感じている。本という商品を売る楽しさや面白さを教えないのではなく、教える人が店にいないということをだ。だからそれを教えられない人にこっそり教えてあげます。

《本は触らないと売れない》
「本ってね、毎日毎日触ってあげないと売れないんだよ。」
と教えられた店員が、棚を毎日きちんと整理するようになって本が売れ出した。彼女は上司に言った。
「言われたとおりでした。本は毎日触らないとダメなんですね。」
彼女はそれから売れ行きの悪い本を触るようにした。するとその本が売れた。そうすることで本当に売れるのだと彼女は信じた。彼女が触った本のすべてが売れたのなら彼女は魔法使いだ。だからそんなことはあり得ない。もちろん売れない本の方が多かったのだ。だが、彼女は思った、
「私がちゃんと触ってあげなかったから売れなかったんだ。」と。
彼女は本を触ると本が売れるという楽しみを見付けた。そして気が付いた。自分の触っている本は自分が好きな本だということ、そして売れればいいなと思っている本だということにだ。売れればいいな、と思う本が売れて行く。この満足感が本を売る楽しさの原点であり、ドーラク的快楽のひとつである。彼女は、本は触らないと売れない、という上司の言葉から彼女は、本を売る楽しさを身に付けてしまった。嘘のような話だが、本当の話だ。

《本を売るのはゲームだ》
 本を売るというのはゲームに似ている。初めから売れると確信できる本もあるが、ほとんどの場合、売れるかどうか分からない。だから仕掛けや勘が重要なポイントになるのだ。本を売る楽しみは、この仕掛けや勘が当たった時に生まれる。これを教える。10点積んである平台にある新刊を乗せたい場合、何か1点外す必要がある。このとき最も売れていないものを外すのが常套手段であるが、あえてこれをやらない。担当者を呼んで、
「この新刊を積みたいのだけど、なにか1点外してほしい。」と告げる。もちろんこの時担当者は、売れていないものを外そうとするのだが、あえてそうさせない。新しく平積する本と外そうとする本が同じテーマのものであれば、それを外してはいけない。たとえ売れ行きが芳しくなくてもだ。類書が多いものほど売れ筋である。本は単独で存在しているのではなく有機的なつながりを持っている。売れそうもないものを出版社は作らない。類書が多いということはそこに読者ニーズがあると出版社は考えているからだ。関連書が数多く出版される状況は、そこにニーズが発生しているということだ。だから平台からはずさない。類書はないかと探し注文する。これが仕掛けである。しかしそうすることで売れるかどうかはわからない。つまりゲームである。売れたら当たり、ダメならハズレである。売れたら売れたで大喜びすればいい。そして売れた場合でも、売れない場合でもなぜそうなったのかを必ず考える。新刊が出ました、売れないものを外しました、これでは本を売る楽しみは生まれない。仕掛けとゲーム感覚を教えてあげれば、いきいきと本と向き合うようになる。ゲームを店中みんなで楽しむ、これもドーラク的快楽のひとつなのだ。

 どんなに店が綺麗で大きくなっても、流通が改善されても、出版社が売れる本を作っても書店の現場で働く人が、本という商品を売ることに喜びや誇りを感じなければ、やはりこの先、何も変わらないと思う。人が人に本を売る。その喜びを手に入れた書店員が、もっともっとたくさん出て来て欲しいと願っている。売れる書店の条件はそうした書店人を育てられることだ。ドーラク的快楽を教えられない管理者は失格である、と僕は正直に言ってしまいたい。

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