《本は触らないと売れない》
「本ってね、毎日毎日触ってあげないと売れないんだよ。」
と教えられた店員が、棚を毎日きちんと整理するようになって本が売れ出した。彼女は上司に言った。
「言われたとおりでした。本は毎日触らないとダメなんですね。」
彼女はそれから売れ行きの悪い本を触るようにした。するとその本が売れた。そうすることで本当に売れるのだと彼女は信じた。彼女が触った本のすべてが売れたのなら彼女は魔法使いだ。だからそんなことはあり得ない。もちろん売れない本の方が多かったのだ。だが、彼女は思った、
「私がちゃんと触ってあげなかったから売れなかったんだ。」と。
彼女は本を触ると本が売れるという楽しみを見付けた。そして気が付いた。自分の触っている本は自分が好きな本だということ、そして売れればいいなと思っている本だということにだ。売れればいいな、と思う本が売れて行く。この満足感が本を売る楽しさの原点であり、ドーラク的快楽のひとつである。彼女は、本は触らないと売れない、という上司の言葉から彼女は、本を売る楽しさを身に付けてしまった。嘘のような話だが、本当の話だ。
《本を売るのはゲームだ》
本を売るというのはゲームに似ている。初めから売れると確信できる本もあるが、ほとんどの場合、売れるかどうか分からない。だから仕掛けや勘が重要なポイントになるのだ。本を売る楽しみは、この仕掛けや勘が当たった時に生まれる。これを教える。10点積んである平台にある新刊を乗せたい場合、何か1点外す必要がある。このとき最も売れていないものを外すのが常套手段であるが、あえてこれをやらない。担当者を呼んで、
「この新刊を積みたいのだけど、なにか1点外してほしい。」と告げる。もちろんこの時担当者は、売れていないものを外そうとするのだが、あえてそうさせない。新しく平積する本と外そうとする本が同じテーマのものであれば、それを外してはいけない。たとえ売れ行きが芳しくなくてもだ。類書が多いものほど売れ筋である。本は単独で存在しているのではなく有機的なつながりを持っている。売れそうもないものを出版社は作らない。類書が多いということはそこに読者ニーズがあると出版社は考えているからだ。関連書が数多く出版される状況は、そこにニーズが発生しているということだ。だから平台からはずさない。類書はないかと探し注文する。これが仕掛けである。しかしそうすることで売れるかどうかはわからない。つまりゲームである。売れたら当たり、ダメならハズレである。売れたら売れたで大喜びすればいい。そして売れた場合でも、売れない場合でもなぜそうなったのかを必ず考える。新刊が出ました、売れないものを外しました、これでは本を売る楽しみは生まれない。仕掛けとゲーム感覚を教えてあげれば、いきいきと本と向き合うようになる。ゲームを店中みんなで楽しむ、これもドーラク的快楽のひとつなのだ。
どんなに店が綺麗で大きくなっても、流通が改善されても、出版社が売れる本を作っても書店の現場で働く人が、本という商品を売ることに喜びや誇りを感じなければ、やはりこの先、何も変わらないと思う。人が人に本を売る。その喜びを手に入れた書店員が、もっともっとたくさん出て来て欲しいと願っている。売れる書店の条件はそうした書店人を育てられることだ。ドーラク的快楽を教えられない管理者は失格である、と僕は正直に言ってしまいたい。