その4

《うれしいお礼参り》

 犬田が事務所で売上の計算をしていると、 事務所のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」 というと、 ドアがゆっくり開いた。

「よう、こんにちは」 とニコニコと笑いながら事務所に入って来た人物を、 犬田はすぐに思い出せなかったが、 すぐに彼のことを思い出した。 彼は、 ロードサイドを中心に最近出店を繰り返しているブックスローカルの店長、 吉川だった。 業界の酒の席以外では会ったことがなかったから、 ちょっと驚いた。
「きょう、 この先の店に配属されたんだ。 商売敵として、 これからは、 お前の店を潰すつもりでやるからよろしく。」こんな挨拶だった。
 犬田は失礼な奴だと思ったが、 わざわざ挨拶に来てくれたことがうれしくて、 仕事を放りだして近くの喫茶店に誘った。 彼はすでに何回か犬猫堂を偵察済みだったらしく、 あの商品はどこから仕入れたとか、 棚の商品構成を誉めたり、 自分の店との客層の違いとかいくつか指摘した。 それから
「俺が来たからには、 お前の店は潰れるだろうな.。 まあがんばろうじゃないか」
と言って自分の店に帰っていった。
 半年ほど経って、 業界の会合の酒の席で彼に会った。 犬田は、
「この間のお礼参りはうれしかったよ。あの時の話を参考に、 うちの商品構成を強化したからな」と少し強がりを言ってみた。
 すると彼は、 嬉しそうに笑いながら、
「そうかそうか、 お前の店が潰れないのはそのせいか」と言った。

 犬田は思う、
 ライバルの書店人同士で友人を持つことは、 とても大切なことだ。 見えないものが見えてきたり、 販売のヒントを貰ったり、 計り知れない財産を身につけることができる。 近所の書店と親しくなり、 お互いにライバル意識を競い合うことはとてもいいことだと。
そして、犬田は駅前商店街の突き当たりにある西村書店の山口と、 随分長い間飲んでいないなと思うのだった。

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