その42

《戦闘開始》

 犬猫堂は、 朝10時開店、夜は9時に閉店する。 勤務は2シフトで、6時以降はレジ係にパートを雇っている。
4時を過ぎたころ電話が鳴った。
「あのー、 今日熱があって店に出られそうにないんですが。」
パートの杉田からだった。 その後、 吉永と村井からも同様の電話が入った。 電話を受けた蟹江は血相を変えて犬田に伝えた。
「店長、 大変です。 今日のパートが全員休みなんですよ。 どうやら、 今流行のインフルエンザのようで。」
とあわてながら言う蟹江に対して、犬田はやけに落ち着いていた。
「そう、 みんな来ないのか。 それから猿山は出張で丘は休み。 それから寅とヒナちゃんは公休か。 すると残るのは、 林、 鳩山、 鶴田の3人だな。 人が少ない時に限ってこういうことになるんだな。 残ってる連中に最後まで残れるか聞いて来てよ。」
と蟹江に伝えた。
 蟹江は早速3人に残業が出来るかどうか聞いてみた。 悪いことにレジ組の二人がノー、 林だけが出来ると答えたのであった。 そのことを蟹江が犬田に伝えると、
「3人か。 出来ないことはないな。 蟹江くん、 がんばろうじゃないか。 ちょっと、 忙しくなるけど出来ないことはないさ。 事務所を林に任せて、 僕と君の二人でレジをやろうよ。 君がレジを打て、 僕がカウンターに立つから。 心配ないよ。」 と犬田は言うものの、 蟹江は夕方の繁忙を思うと心配でならなかった。
 6時になり、 鳩山と鶴田がすまなさそうに帰っていくと店はとうとう三人になった。 そして戦闘が開始されたのである。
 蟹江はレジからつり銭を出しながら、 犬田の後ろ姿を見ていた。 普段からは想像出来ないくらい、 犬田の動きは機敏だった。 本にカバーを巻き、 つり銭を渡し、 一礼する一連の動きが、 この店の誰一人としてまねできないもののように蟹江には見えた。 そして問い合わせにも、 いつ棚の本を覚えたのだろうと思うくらい適確に案内していた。
 8時を過ぎたあたりでお客の数は減り、 レジで犬田に言葉を交わす余裕が出来た時、 蟹江は犬田に言った。
「店長、 感激しました。 すごいですね。 あれはパートの連中の三人分の働きですよ。 僕なんか、 店長の半分も働けません。」と言うと、 犬田は蟹江の言葉が嬉しかったようで、 「ありがとう。 久し振りだよ、 こうしてカウンターに立つなんて。 でも以前は、 毎日こうしてカウンターに立っていたんだ。 今のようにお客さんの数は多くなかったけど、 『いらっしゃいませ、 ありがとうございました』を何度言ったろう。 まあこんな事がなければ、 またいつカウンターに立つかわからないから結構楽しんだよ」 と満足そうに言った。

 犬田は、 店を閉めてから、 事務所の冷蔵庫からビール出し3人で乾杯した。 「お疲れさま」
 犬田はビールが喉を通った瞬間、 一気に疲れが出たような気がしたが、 それはしばらく忘れていた心地良いものだった。

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