開発圧力に対抗し緑地を守る市民たちの鎌倉

買収を巡る論争

 しかし、巨額の公的資金を投入せざるを得なかった点で、手放しで喜べない側面がある。事実、この緑地買収を巡って鎌倉市は市議会可決直前まで揺れた。
  2003年8月26日付で鎌倉市議会議長宛に1通の陳情書が提出された。鎌倉市民87名が「広町緑地買い取りの再考を求めることについての陳情」を行ったのである。そこには、2003年10月に合意が報じられた広町緑地の「115億円を上限とする」市の買取価格について再考を促す内容だった。
  8月末から9月初めにかけて、この陳情書を含め立て続けに6通もの陳情書が議長宛に提出された。いずれも買取価格にまつわるものであったが、このうち9月8日に池田尚弘さん外69名によって提出された3通の陳情書は特に入念なものであった。それらは「取得手続きを中断し、慎重審議」(陳情31号)「買取公有地化に至った経緯を精査、審議」(陳情32号)「交渉相手を精査、審議」(陳情33号)することを求めたもので、「陳情の理由」は3通とも同文である。その末尾には、「契約を進めれば、担当部局、市長の背任行為はもとより、議会もまたは委任幇助を問われる」と警告していた。
  広町緑地の保存は、地元腰越の住民だけでなく、鎌倉市民全体が念願していた懸案である。25年もの長い間、デベロッパーの宅地開発圧力に抵抗して、開発着手に踏み切らせない運動を行ってきた。それがなぜ、緑地保全の実現直前なって、「再考」を求めねばならないのか。
  そのきっかけとなったのは、2003年7月、土地の半分を所有する山一土地が東京地裁に特別清算を申し立て、倒産した事件である。これによって、同社は東京地裁の厳格な監督下におかれることになった。前年10月の「基本合意」は、企業存続の危機に直面していた山一土地の打開策であった。この事態が明らかになって、合意から半年間、何も知らされていなかった市民の間に不信感が噴出したものである。
  これらの陳情は行政当局や市民間に大きな反響を巻き起こした。賛同者が出る一方で、官民間に論争が起きる。議会にも影響し、本議会前の総務常任委員会での審議は賛否同数の末、委員長採決で可決されるきわどいものになった。



左上の写真は緑地を縦横に走る赤道だ。赤道とは、公図に赤色で記された法定外道路をいう。その形態により、里道、農道、けもの道、間道、路地、脇道と区別される。広町は里山だから、そこに通る赤道は、里道だったと考えられる。
 「広町の森を愛する会」など、市民団体は、この里道を手入れすることにより、緑地の保全を図ってきた。広町の開発予定地(38・9ha)は、デベロッパーの所有する土地である。そこに自由に出入りするには赤道(里道)を利用するしかない。「愛する会」代表の池田さんは、赤道を「もののふの道」と呼んで、グランドワーク・トラスト運動を行ってきた。これはフィールドワークと環境保護運動を組み合わせたユニークな手法である。
 真中・上の写真の路標には「鎌倉もののふの道ここから始まる」と書かれている。道沿いには、所々に手製の案内が立てられており、手弁当の活動らしく親しみがもてる。左下は業者が立てた公開標識だが、早くも打ち倒されている。下は草刈り鎌など、グランドワークの七つ道具を入れた池田さんのリュックサックと障害保険付き加入証。
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