京都の老舗の数珠屋さん 中野伊助


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2015.01.18 サイトをリニューアルいたしました

 弊社のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
 平成26年(2014年)で創業250年の節目を向かえるにあたりHPをリニューアルいたしました。
 21世紀の今、時代は移り変わり急激にライフスタイルも変化いたしております。
弊社の取り扱う伝統工芸品・宗教用具は、今や時代の波に取り残され淘汰されつつあるかの様相を見せています。
 その一方、平成23年に起こった東日本大震災(注)により数多くの人命を失い、未だ解決が見えずまだまだ尾を引き大きな問題になっている放射能汚染被害と
社会的に大きな影響を受けた中で、若い人たちのあいだで「古いもの」「ルーツ」を見直し大切にしていく傾向も見受けられるようになりつつもあります。
(注:弊社の所属する京都珠数製造卸協同組合では少しでも被災された方々の心の拠り所になれるよう腕輪念珠30000連を寄贈させていただきました)
 珠数は今から約2500年前、現代と何も変わらず飢饉・戦争などで国民が困窮し疲弊した暗黒の時代にお釈迦様により人々の心を救済するために生まれました。
数珠を持つことで心は癒され争いごとは鎮まり平和になり、それに伴い五穀豊穣にもつながっていきました。念珠はいわば「お守り」となったのです。
 このことから現代の拭いきれない社会不安の中で、人々の心を癒し救うための一助に京念珠はなり得るのではないかと弊社は考えています。
下記に弊社の「想い」を図にいたしました。どうかご覧頂いてその「想い」をイメージしご理解賜ればと節に願う次第であります。 合掌

平成26年吉日
十代目店主敬白

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 当店がございます京極町(寺町通松原上ル)は、平安京の五条大路東 京極大路にあたり、平安時代末には歌人・藤原俊成(高名な元公家 冷泉家の祖先にあたる『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者で、この歌集で歌われている「来ぬ人を 松帆の浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ」の作者で著名な藤原定家の父君である。)の邸宅がありました。『平家物語』や謡曲『俊成忠度』には平家が都落ちするとき、引き返して来た平忠度が俊成の家を訪ね、自作の歌「楽浪や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を託し、俊成はこの歌を詠み人知らずとして『千載和歌集』に入集したことが語られています。

この京極町に当店が珠数屋を営みましたのが、明和元年(1764)。仏教が日本に伝来して以来、法具である珠数は専門職として寺院の中だけでその技法が受け継がれていたため、珠数屋が職業として成立したのは当店が創業を始めた18世紀の事でした。各宗派の大本山が集まる京都に寺院から独立した珠数屋が誕生したのは、当然の成り行きと言えましょう。

珠数は素材から形式・製造法に至るまで、経典に詳しく定められている法具です。現存する珠数の中では東大寺の正倉院に収められているものが一番古く、その形態は変わる事なく受け継がれ、機械が発達した現代でもすべて手作業で作られます。

一玉一玉が人間の煩悩をあらわし、持つ人の身を守る珠数。当店が心をこめて手作り致しました珠数を、どうぞ大切にお使い下さい。

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Kyogoku-cho (teramachi-dori matsubara agaru) where my shop is located means that Gojo-dori Higashi, kyogoku-ogi in Heiankyo. At the end of Heian period, there was the residence of a poet, Fujiwara Toshinari who is a selector of "Shinkokinwakashu", "Ogurahyakunin isshu" and came from ancestors of The Reizen, famous ex-court noble and he was Fujiwara Sadaie's father. Fujiwara Sadaie is famous author of "konuhitowo Matsuhonouranoyunagini Yakuyamojionomimokogaretsutsu."

In "Heikemonogatari" and "Noh" song "Shunzeitadanori" when Heike retired into the country Tairano Tadanori came back and visited Fujiwara Toshinari left his own song "Rakuroya Shiganomiyakowaarenishiwo Mukashinagarano Yamazakurakana." It is said that Toshinari read this song and added in "Senzaiwakashu" secretly.

I run "Juzu" beads shop in kyogoku-cho in 1764, Meiwa 1,After Buddhism was introduced into Japan,"Juzu" beads shop came into existence as a occupation in 18th century when I started business. Because we took over the technical skill of "Juzu" beads as a professional occupation in Buddhist temples. It was natural that "Juzu" beads shop became independent of Buddhist temples in Kyoto which assembled the chief temple of each sect.

"Juzu" beads of shosoin, Todaiji is the oldest among existing "Juzu" beads, "Juzu" Beads inherited the shape invariably, Even the present day that the machine developed "Juzu" beads were made handmade entirely.

Each bowl indicates wordly desires and "Juzu" beads protect from the body of holders. Please take good care of "Juzu" beads that are handmade from the bottom of my shop's heart.

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〒600-8035
京都市下京区寺町通高辻下ル
京極町505
株式会社中野伊助
TEL 075-(351)-0155
FAX 075-(351)-7438
E-Mail info@kyoto-isuke.com

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