Impressions 2003 vol.2







■  池袋ウエストゲートパーク  石田衣良 文春文庫
■ * 波の上の魔術師  石田衣良 文春文庫
■  旅でスケッチしませんか  永沢まこと 講談社+α文庫
■  絵を描きたいあなたへ  永沢まこと 講談社+α文庫
■ * MIHO MUSEUM
■  スパイキッズ  監督:ロバート・ロドリゲス
■  千年女優  監督:今 敏
■  ブリジット・ジョーンズの日記  監督:シャロン・マグワイア
■  少林七傑 全五集  主演:ユン・ピョウ
■  チェルシーホテル  監督:イーサン・ホーク
■  童謡の謎  合田道人 祥伝社黄金文庫
■  マトリックス レボリューションズ  監督:ウォシャウスキー兄弟
■ * GO  金城一紀 講談社文庫 
■  地球の限界とつきあう法  三橋規宏 日経ビジネス人文庫 
■  不良番長 猪の鹿のお蝶  監督:野田幸男 出演:梅宮辰夫、宮園純子
■  DISTANCE  監督:是枝裕和
■  美人画報ワンダー  安野モヨコ 講談社
■  精霊流し  さだまさし 幻冬舎文庫
■  ホワイトハウスの記憶速読術  斎藤英治 ふたばらいふ新書 
■ * グレン・グールド エクスタシス
■  まともな人  養老孟司 中公新書








■■■ 池袋ウエストゲートパーク ■■■  石田衣良 文春文庫

ぼちぼち面白かったけどすぐに古くなりそう。読んでいて風俗描写がちょっと恥づかしかった。実際にああいう風俗の中を生きている人間は、これを読んで格好いいと思うのか、やっぱりすこし小っ恥づかしいと感じるのか。・・・主人公の男の子はクラシックを聴かない方がいいと思う。高尚さへの半端なおもねりなら、いっそ無い方がすっきりと格好いい。

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*■■■ 波の上の魔術師 ■■■  石田衣良 文春文庫

TVドラマも本も面白かった。TVドラマでは、憎むべきを銀行組織から抽出して一人の人間の形に顕してあったけど、あれも分かりやすくて良かったな、と。原作では主人公のガールフレンドは出てこないんだろうと思っていたが、半分当たっていて半分はずれ。登場するけれど、すぐに主人公のことを振ってしまうのだ。あのキャラ、確かに邪魔だもんね(岡本綾自体はビオレのお風呂CMをしていた高校生の頃から好きなんだが)。まあ女の子の一人でも出さないと、TV画面ではムサくなるのかもしれない。

◇ Amazon: 「波の上の魔術師」








■■■ 旅でスケッチしませんか ■■■ 永沢まこと 講談社+α文庫
■■■ 絵を描きたいあなたへ ■■■ 永沢まこと 講談社+α文庫

ざくざく粗く描いた絵なのに味がある。色はあっけらかんと澄んでいて、陽気に満たされている。多少デッサンが崩れていても、説得力がある。簡単でむづかしくない。でもここへ辿り着くには暇が掛かるんだろうな。

◇  永沢まこと オフィシャルウェブサイト
◇ Amazon: 「旅でスケッチしませんか」
◇ Amazon: 「絵を描きたいあなたへ」








*■■■ MIHO MUSEUM ■■■

滋賀県湖南アルプスの山中にあるデカい美術館。周囲には何もない。山だけ。どこかの新興宗教団体がやっているらしいが、そのことはあまり前面に出されていない。宗教と聞いただけで嫌悪する人々が居るせいか。

展示物は多いという訳ではないけれど、保存と陳列、説明書きなど、非常に丁寧に感じた。モノはいづれにせよ元居た風景から引き剥がされて並べられる訳だから、これくらい陳列に気を遣っても悪くないんだなあ、と見て思う。それから、建物が良かった。デザインしたのは中国系米国人建築家なのだが、広い空間を潔く残し、目前に広がる大自然に繋げ渡している。・・・関空とか京都駅とか、日本人がスペースを貰うと、つい奇っ怪且つせせこましい意匠や構造で埋め尽くしてしまうから。空間貧乏症とでもいうか。この建物にはそういうセコさのないのがいい。実に気持ちのいい空間だった。

◇  MIHO MUSEUM








■■■ スパイキッズ ■■■ 監督:ロバート・ロドリゲス

意外や面白くて気に入った。チョロQじみたウソっこいメカや、玩具っぽいグッズの数々(スーパーグッピーなんていう潜水艦のネーミングも可愛い)、何がしたいのかよく分からないキッチュな敵キャラとその手下、子供達が実力ではなくあくまで偶然と他力本願で勝ち抜いていく処、などなど。好き好き大好き、こういうの(笑)。オースティン・パワーズからエロさを抜いたらこんな感じか。うちも姉弟なので、あのヘタレでアホで幼稚臭いジェニ(弟)にはたっぷり笑わせて貰った。大人の目で突き放して観るととっても可愛いんだが(容姿からしてダメそうなのが凄くいい)、あの年齢で実際に姉弟やってると、毎日があの通り小競り合いになるんだなー。

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■■■ 千年女優 ■■■ 監督:今 敏

原節子に捧げるオマージュ with 角田信朗、と思ったら監督的には財津一郎だったらしい。通り一遍でない色使いが素晴らしく職人技。特に60年代の頃。実写を参考にしたとしても、アニメ上であそこまで作り出す色は凝りすぎである。手法は「パーフェクトブルー」にそっくり。ここでは実際の出来事と主人公の出演映画(時代は多岐に渡る)の内容を織り交ぜて話を繋げ、またもや幻想的かつ訳の分からないよう仕上げてあった。しかしながら、美しさと情緒だけで映画という長時間を突っ走るのはちょっと。確かに実写ではお金が掛かりすぎて到底不可能という大義名分はあるんだろうが、また次の作品もこの手合いだったら流石にそろそろ飽きるなあ。思えば「メモリーズ/彼女の想いで」からしてこの傾向はあったんだけど。テーマやラストはいまいちだし、やっぱりずっとこのまま映像だけ凝りに凝って、どんどん幻惑複雑ヲタクになっていくだけなんだろうか。或いは、ここまでくると好みの問題なのか。

そういや主題歌が奇妙にレトロで調子っぱずれな感じ。面白い。なんか王立宇宙軍の軍歌を思い出した。

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■■■ ブリジット・ジョーンズの日記 ■■■ 監督:シャロン・マグワイア

全然ピンと来ない。人々の機微からして理解できない。私にとって米国人は米国人だけれど、英国人は「ガイジン」だ。まさに異文化感覚前提のやりとりで、え?え?え?、とついていけないまま話だけ進んでいく。ヒネりすぎのキツイジョークを耳にしても、瞬時にそれと判断できないし、表情も応対の仕方も日本人と違いすぎる。勿論、米国人のものともかなり違う。こういう現代一般人のジョークにまみれたやりとりって、ダメだなぁ。英国で二年くらい人に揉まれて生活したら、英国感覚に馴染めるのかも、と思いつつ。出演者の過去作品リストなぞを見ていると、文学的指向の強い作品はぽつぽつ観て多少何かと感じてはいるんだが。エンタメは特にダメらしい。

またブリジット本人も私からは遠いキャラクターで、あんまり共感が沸かなかった。本棚は自己啓発本がメインではないし、パズルのおもちゃも置いてない。お酒はがぶ飲みしないし(体壊す;)、煙草は大キライ。・・・んー、やっぱりピンとこない。あんなに世間の求める理想と自分の理想をシンクロさせつつ俗物を生きるなんて、真似できないぞ。ああいうのが「一般的=共感を呼ぶ」のか? なんだかなあ。ブリジット本人はハタから見てると、憎めないというかとっても可愛いんだけども。

◇  ブリジット・ジョーンズの日記 HP
◇ Amazon: 「ブリジット・ジョーンズの日記」








■■■ 少林七傑 全五集 ■■■ 主演:ユン・ピョウ

台湾のTVカンフードラマ。全40話を編集してある。これが西太后のもとを家出してきた姫様以外、豚肉売りのあんちゃんから庄屋のおかみさんまで、皆べらぼうに強いのだった。蹴りひとつで空飛ぶ勢い。これを観た外国人は、やっぱりチャイニーズって誰でもカンフー出来るんだ、と思うに違いない。私もそう思いそうになったもん。

1〜2集は面白かったが、3〜4集あたりで停滞、5集でガガッと一気に決着。3〜4巻あたりから話がダレる反面、演出が激化してきて、仮面ライダーの修羅場のように岩場で火薬の火花が散るようになってくる。・・・単に少林金鷹拳の闘いなのに。個人的には飲んだくれの酔拳のオジジがお気に入りだった(でも途中で死んじゃう)。出てくる女子は、皆やたら可愛いく垂涎モノ。特に姫様役の張庭(チャン・ティン)は、何度観てもどの角度から見ても、しみじみ可愛い。あんなにパステルカラーが似合う、エクボのかわゆい女子は、そうそう居ないわ。

その他、悪者のホンクン役の人の頭の形が、むっきりしていてステキだった(弁髪)。顔はフェルトペンで描いたように濃くて、間近で見ると仰け反りそうなんだけど、あの頭蓋骨の形は素晴らしい。この人、最后の方でインチキ日本人と化していたのだが、これがまたダサいハリウッド映画並の凄まじいインチキ振りで、台湾でも日本って“外国”なのねえ、としみじみ思った。

オープニングでユン・ピョウが、独立(ドゥーリー:片足立ち)と少林金鷹拳のかぎ爪の構えで肩だけ回してキメるポーズがあったのだが(やっぱ太極拳でも独立は膝は高々と上げないとなーと思った)、いやー、あれはつい鏡の前で真似してしまったことよ(アホ)。でも台湾のユン・ピョウといい、韓国のハン・ソッキュといい、何故あれらの容姿が国民的ヒーローなのか謎だ。もっと普通に男前では何故いけないのか?

◇ Amazon: 「少林七傑」








■■■ チェルシーホテル ■■■ 監督:イーサン・ホーク

ultra-boring な映画でサイアク。所謂ダメな人々がダラダラ出てくる映画なのだが、作り話でこそ必要な「重み」「説得力」がまるでナシ。得るものがないまま、待っても待っても気を滅入らされるだけだった。“ダメさ・気怠さ・どうしようもなさ”が悪いのではなく(そういうお膳立てというだけで蹴る人もいるけどそうではなく)、映画なんだから、言いたいことは工夫と説得力を添えてプレゼンしてくれないと、単なる“鬱陶しい雰囲気を流したいだけの環境ビデオ”でしかなくなってしまう。ただの“憂鬱・退廃・曇天”くらいなら、生きていれば現実のそこいらで味ってきてるんだし、わざわざお金と時間と神経を削ってまで雰囲気だけを反芻したくもない。という訳で、途中でとっとと観るのを止めた。あんなにしんどい思いをさせときながら(←長編純文学とかにありがち?)、如何にも言いたいことが有りそ気なまま、なーんも訴えてこないんだもんなー(←この辺がカス)。対価(決してカタルシスばかりではない)が支払われないなら、観る価値なしだ。

同じ役者監督でも、昔観たジョディ・フォスター監督の映画なんて良かったんだが("Little Man Tate")。イーサン・ホークは監督しない方がいいな。

◇ Amazon: 「チェルシーホテル」








■■■ 童謡の謎 ■■■ 合田道人 祥伝社黄金文庫

この手の話は好きなので、知っている内容も多かったが読んでみた。結局「かごめかごめ」はここでも諸説入り乱れ、はっきりしないまま。明治以降の作者が分かっているもので事実関係のウラが取れていないものは、全部作者の生い立ちの背景から解釈が為されていた(・・・生い立ちってシャレになんないのねぇ;)。中には、単なる本人の創作物語なのか、古事記や日本書紀などの資料からとった逸話なのか、分からないものが多々あった。その辺の記載がいい加減だと、全体の信用が薄れるんでは。

◇ Amazon: 「童謡の謎」








■■■ マトリックス レボリューションズ ■■■ 監督:ウォシャウスキー兄弟

これで三部作を全部観たことになる。結局よく分からなかった。既に二作目のリローデッドでのアーキテクトの説明からしてよく分からなかったし。あれ、内容も一般人にはむづかしいと思うけど、理解に必要な絶対情報量がそもそも足りてないと思うなあ。と言いつつ、自分の脳味噌レベルで分かったことを整理してみる。
ネオは、
1.「マトリックス長寿命化に於ける人間導入計画」のせいで否応なく発生してしまった、変な動きをする要素だ。
2.しかし肉体を持つ人間でもある。
3.(ソースへ行けば)マトリックスを初期化できる力がある。

エージェントスミスは、
1.マトリックスの秩序を守る為の要素だった。
2.同時にプログラムを喰うウィルスでもある。増殖する。
3.次第にマトリックス・機械の両方にとって制御が効かない存在になる。

ネオとスミスは
1.正反対かつ同等の力を持つ。
2.闘いでは決着はつかない。
3.合わさるとゼロになる。両方消える。
こう書くと分かった風だが、違っているのかもしれず、更に分からないことはゴマンとある。たとえばアーキテクトは、何故ザイオンを根絶やしにせず代々キープするのか。そもそもマトリックスに不適合な電池人間(或いはバグ?)なら、捨てればいいだけの話だ。また、何故機械がザイオンに対する攻撃を止めたのかも分からない。ネオと口取引した処で、機械の方が圧倒的に情勢は有利なのだ。ネオとスミスが死んでから攻めればいい。強くなったスミスでなし、機械の方がアーキテクトより上位にある筈。

・・・変なこじつけではない、辻褄の合った解釈が読みたい。或いは、元々制作者の世界構築が緩く出来ていて、辻褄のあった解釈というのは無理なのか。

◇ Amazon: マトリックス レボリューションズ








*■■■ GO ■■■ 金城一紀 講談社文庫

とても面白かった。ウンチクを織り交ぜながらも、楽しめるエンターテイメントになっていた。読んだ限りでは、「月はどっちにでている(催洋一監督、1993年)」の頃より砕けてきたのでは、という気がした(こういうものが出る背景とかが)。日本人も日系だの他のオリエンタルだのが居るような外国へ放り出されて十把一絡げに扱われると、めでたく初めてアイデンティティクライシスを迎える訳だが、日本に居る限りそんな機会すらない。必要もない。主人公は相当な屁理屈コネだが、更に過酷な状況下で育っているので論理武装が要って当たり前なんだろうな、と思った。

主人公の愛する少女は、心が通い合った末に主人公から在日コリアンであることを告げられ、「・・・お父さんは、韓国や中国の人は、血が汚いんだって言ってた」と呟く。言うと、破滅であれ再構築であれ、確かに話は進むんだけども。でも現実の流れでは言わないわな。純文学でも言わせないだろう。バカヤロウとか殴り合いとか、なにがしかすぐにアクションの積み重ねがあるのがエンターテイメント。全部が表沙汰にされながら話が進んでいくのはスッキリするが、でもやっぱりエンターテイメントだよなあ、と思ってしまった。エンタメは分かりやすい上に楽しいんだけどね。でも、エンターテイメントじゃないのが読んでみたい、とも思った。ありえるかも、と思えるような展開の奴。

◇ Amazon: 「GO」








■■■ 地球の限界とつきあう法 ■■■ 三橋規宏 日経ビジネス人文庫

環境問題に関して、省庁や住民が動くのは分かる。廃棄場が足りない。処理コストは増大する一方。自分の土地が汚染されれば生活に支障が出る。そこには不都合や被害が、明確にある。けれど、企業は違う。IT化による在庫管理・縮小や経費削減は、損害や支出を最大限抑える為だ。環境ISOを取得するのは、取引先がゼロエミッションを掲げており、追従しないといづれ切られるからだ。現時点では、大半の中小企業は、環境の為に環境対策を立てている訳ではない。では、大元のトップ企業は何故、環境問題に取り組み始めたのか。キッカケはどの辺なのか。そのあたりが知りたかった。

結局は、風潮と経済効果らしい。風潮の雛形は日経の連載記事から。しかし風潮を具現化出来るのはやはりトップ企業しかない。思った通り最初は難航したらしい。中で、「自動車批判の人とは会いたくない」と言っていたトヨタの会長が、某要人からのプッシュで筆者に会うことになった、というくだりがあった。実益もなく投資の赤字だけで終わるかもしれないような前例のない対策に、誰も手を出したがらないのは当たり前だ。環境対策の第一歩はコスト削減への確信より、「○○さんが仰るのならちょっと調べてみようか」とか「××社と△△社がやるなら、うちも考えてみないと」といった感じで打診が始まったのかもしれない。もとい、現段階でコストが見合わない部分はどうやって変えていってるんだろう。こういうのって、「であるべき」を唱える側の記述より、実際四苦八苦している側のレポートの方が面白そうなんだが。

他、米国が何故環境問題に積極的でないか、という具体的な説明が分かりやすかった。ついでに触れられていた「勿体ない」の英訳が目に留まる。It's a pitty that this should be thrown away. I feel sorry for throwing away. 勿体ない、という表現がなくて、私も困ったことがある。あと、「甘える」という言い方もないので、これも上手く言えない。

◇ Amazon: 「地球の限界とつきあう法」








■■■ 不良番長 猪の鹿のお蝶 ■■■ 監督:野田幸男 出演:梅宮辰夫、宮園純子

「不良番長シリーズ」二作目。なにやらイカすタイトルに釣られて観てみる。流石1969年封切りである。語彙が違う。ハクいぜ、スケコマシ、このガキゃあ、あたい、カツアゲ、へへっ、ズベ公め、ざまぁ見やがれ、そうは行くかってんだ、兄貴ィ、何言ってやがんだぃ、俺とレツ組まねぇか、あばよ。・・・そういや矢吹ジョーもこの手の喋り方だった。どこへ行ってしまったんだろう、こういうべらんめぇ調ベースの語彙群は。私は関西の人間なので、こういう言葉群を耳にするのはとても新鮮だ。

内容は低俗極まりなく、さりとてそこにアートな感性がある訳でもなんでもない。やっていることは、イキがった集団レイプ、人身売買、ゆすり、殺し合い。騒ぐ時は上機嫌の摺り手手拍子で演歌調の棟歌をがなるし、同じ年少出身者というだけですぐ仲間意識を持つし、根底はオヤジ丸出しである(←この“オヤジ根性”はこの時代プラス評価だったと思われる)。でも、段々バカ映画化しつつ四年間で16本も作られたということは、こういうものに対する大きなニーズが当時ちゃんとあったということだ。日本もたかだか三十年やそこらで、“知的”で“上品”になったものである。

ちなみにヒロインお蝶は、「猪の鹿のお蝶さんの目潰しはお前で27人目だよ。ニシチのカブで縁起がいいやぃ」とか言いながら花札を投げつけて相手の目を刺す。・・・オイオイ(汗)、と思って観ていたら、後でその掌にドスを突き立てられていた。うぎゃー!

◇ Amazon: 「不良番長シリーズ」








■■■ DISTANCE ■■■ 監督:是枝裕和

カルト教団の加害者遺族の物語。加害者との過去を交えつつ、手持ちカメラでドキュメント風に撮られていく。台本のあるような無いような訥々とした会話で、役者同士によるエチュードのようにも見える。平均的日本人の実際のように、もどかしく控えめに進んでいくやりとり。面と向かって言い出せない事柄は、多分その場でも脳裏に思い浮かんでいない・・・。そんな様を追っていると、現実の場に居合わせつつ、ただ黙って見ているような不思議な気持ちになってきた。夢中になって虚構に感情移入しているのとは違う感覚だ。

隔絶された美しい湖畔や森 vs. せせこましい実生活の場といった映像対比と、さきに述べた手法は、同じ二次元の映画とは思えないような素晴らしい現実味を生み出していたと思う。が反面、流れが散漫になる為、メッセージ性はかなり希薄になってしまっていた。退屈でもある。それから、敦がどういった人間なのか、本人の言う姉や父との関係性は本当だったのか、結局分からずじまいだったのがもどかしい。この辺り、作り手側に明確な設定がなかったそうだ(HPに書いてあった)。最大の謎の決着を“視聴者の想像に任せる”なんて、そんな無責任な(汗)。辻褄の合う設定ならいくらでも思いつく。作者に決めて貰わないと。

この監督はCMや音楽のビデオクリップも制作しているらしい(日産車の“モノより想い出”シリーズなど)。物語性より短時間で雰囲気が重要視されるジャンルの映像制作の方が、クオリティが高く出そうに思った。

◇  DISTANCE HP
◇ Amazon: 「DISTANCE」








■■■ 美人画報ワンダー ■■■ 安野モヨコ 講談社

カラフルなイラスト一杯で楽しい、女の子グッズのお話。美人画報、結局三冊とも買っている。終わっちゃって残念だ。しかしエライねえ。私ダメだ。外見に関して社会(TPO)が要求していない限り、そこまで頑張れない。というか、自分が毎日技術力の90%くらいで女装に励み続けるのって、きっと精神的に参るわ。・・・色々ないと(くたくたの棉シャツが好き〜フリースが好き〜)。・・・まあ、外に出る時はそうも言ってられないんだけど。

しかしながらこの本を読んで、中身(健康・精神)の維持にはストイックな愚直さが必要だけれど、見た目に関してはゲンキンさが大事なんだろうな、と思った。要領の良さというか。たとえば、本物の和モノをあまり知らずに育っていても、果敢に着物にチャレンジして、適当に今風に着こなしてしまうとか。そういう互いにアンビバレントな要素を内包していてこそ、真の美人を維持できるのかもしれない(・・・お、上手くまとまった)。

目に留まったのが、“掃除用洗剤のパッケージは「ニオイもヨゴレもこれ一本!」とかデカデカと書いてあって、美しくなくてイヤだ、掃除する気が萎える!”という意見。洗剤のみならず、大抵の消耗品は、売る瞬間の効果しか考えていないデザインだものね。私も、ハンドクリームやドレッシングなんていうのはついパッケージを剥がしてしまう(文字とかデザインうるさすぎ;)。化粧水でも気に入らないボトルは、シンプルなスプレー瓶を購入して移し替えるし。・・・流石にカビハイターとかになると、パッケージを剥がすのは危険だと思うがな(汗)。カビハイターがアユーラの香水ボトルのデザインだったりしたら、どんなんだろ。時折スピリットオブアユーラを纏う身としては複雑な気持ちだ。

◇ Amazon: 「美人画報ワンダー」








■■■ 精霊流し ■■■ さだまさし 幻冬舎文庫

悪人が出てこない物語群。幾分淡泊な小話が連綿と連なり、最后のクライマックスへと導かれる。おじとおばの船を出すくだりでは、少し涙が滲んだ。間引いて映画化したら頃合の濃度に収まりそう。

昔からライナーノーツやエッセイ、短編集など数多く出してきている人だが、この人に陽が当たるのは悪くないと思う。もとい、恋愛に限らず幅広い内容の歌を歌い、受け入れられてきた人だ。そのうち濃い一本が出るかもしれない。

◇  さだまさし HP
◇ Amazon: 「精霊流し」








■■■ ホワイトハウスの記憶速読術 ■■■ 斎藤英治 ふたばらいふ新書

当たり前のことが書いてあった。やっぱり、馴染みのない難解な内容を、速読理解・記憶するのは不可能なのかー。立花隆の方法では、まづ最初に基幹となる一冊を熟読してから、十数冊ほど、知らない箇所だけピックアップして読んでいくのだそうだ(って前に立花隆本人の本でも読んだな)。・・・そこまでして学習しないといけない確固たる目的がある場合は、良い方法かもしれない。趣味で読む分には、それ確実に飽きるって。

要は一冊を三回読め、ということだった。それぞれ方法は違う。一回目はスキミング。目次といった、何処に何が分布しているのかを把握する。二回目は理解。理解出来る早さで読み、重要箇所を抜き出す。三回目は重要箇所の復習。ポイントを学習し記憶する。自分の場合はスキミングが抜けている。普通に、理解できる最速スピードで耳を折りながら読んで、後で折った頁の目に留まった箇所を読み返す。折った頁数は、内容の濃さに比例する。ちなみにこの本は、前出の一カ所だけだった(笑)。

他、知っていることは読まなくてよいとか、読書量をこなせばイメージ力が脹らみ理解力・記憶力を上げるとか。知ってることでも、買った本だと読んでしまうなあ。貧乏性だから(笑)。後者は必要条件だけど十分条件ではない、と思った。そんなの、内容の種類と質、如何にアウトプットしてきたかで全然違うもの。学びて思わざればすなわち暗し。あと元の頭の良さ。こればかりは自分ではどうしようもないけど。どうしようもないから、こういう本につい手を伸ばすという。

◇ Amazon: 「ホワイトハウスの記憶速読術」








*■■■ グレン・グールド エクスタシス ■■■

仏語のドキュメンタリー(日本語の字幕がついていた)。この人の音が好きだ。グールドのコツコツとよく底に当たった音を聴いていると、脳が活性化されていくのが分かる。なんてクリアで分かりやすい音なんだろう。なんて説得力のある解釈なんだろう。そう思う。ぶっちゃけた話、あまり評判の宜しくないこの人のモーツァルトでさえ私は好きだ。やたら歯切れのいい、聡明さだけが際だったモーツァルト。

死ぬ前のグールドの弾き方は、若い頃とは打って変わっていた。姿勢が、だ。猫背の怒り肩で、手首の位置は鍵盤の底より低い。あんな姿勢でよく、際だった音が正確に出せたものだな、と思う。肩が凝らないんだろうか。あの人の異常な手の冷えは、どうみても自律神経失調症だ。性格はともかく、姿勢くらいは変えられそうなものなのに。

若くして人前から姿を消し、完璧さを求めるが故にレコーディングされたものしか世に出さなくなったグールドはまた、人との接触もあまり好まなかった。生まれつき音に対する神経が異様に研ぎ澄まされていたんだろう。一日中練習する辛さより、ピッタリくる音楽を具現化出来ない方が100倍苦しい、理想の音楽の為だけに生きている、といった感じだ。まさに、取り憑かれている状態。多分、一生独人きりで居たい人というのは、別に孤独でもなんでもないんだと思う。人が煩わしいだけ。いつだったか、耳の聞こえない人が、次に生まれてくる時も耳が聞こえなくていい、と言っていた話を思い出す。それがその人の知る世界で、居心地がいいからだ。自分の物差しというのは、自分の属する世界の価値基準からみた物差しでしかない。常に他人を必要とする人間が、他人を必要としないグールドを哀れんだり蔑んだりするのは、多分間違っている。今更音が聞こえても仕方がない。今更他人が大勢割り込んできても仕方がない。今更私に足が三本あっても仕方がないように。それより代価として得ているもの(と当人は気付いていないものなのだろうが)を失う方が、よほど困るのが普通だ。支障なら、どこに属していても、ある。問題なのは、支障の種類と大きさな訳で。

ゴルトベルク(ゴールドバーグ)変奏曲はちなみに、若い頃のバージョンの方が好き。

◇ Amazon: 「グレン・グールド エクスタシス」








■■■ まともな人 ■■■ 養老孟司 中公新書

文藝春秋等に載せていた近年のエッセイ。ひとつ前の 「バカの壁」の方がまだこの人の持ち味が活きていて面白かった。別にこの人が語らなくても、と思われるような時事問題に関する話題が多い。ちょっと「ワシが若かった頃は」節が掛かっている箇所もあり。教科書に墨を塗りながら授業を受けた経験なぞは、著者に多大なるインパクトを残しているらしい。教科書なんか信じるなと最初から疑い考え求めさせる授業と、上から演繹的に基礎を叩き込む授業。前者がまかり通っていたならば、今頃日本人は日本人に育ってない。文化も違っていただろう。面白そう且つ邪魔くさそうである。

◇ Amazon: 「まともな人」







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