Impressions 2005 vol.1






■ * 読書力  齋藤孝 岩波新書
■  ハウルの動く城  監督:宮崎駿
■  カンフー・ハッスル  主演:チャウ・シンチー
■  社会的ひきこもり  斎藤環 PHP新書
■ * 鞍馬温泉〜鞍馬寺
■  Howl's Moving Castle  Diana Wynne Jones, Harper Collins
■ * たそがれ清兵衛  藤沢周平 新潮文庫
■  19時から作るごはん  行正り香 講談社
■  散歩する惑星  監督:ロイ・アンダーソン
■  桂由美の世界展  @美術館「えき」KYOTO
■  きもの365日  群ようこ 集英社文庫
■  カストラート  監督:ジェラール・コルビオ
■  アザーズ  監督:アレハンドロ・アメナーバル
■ * キャラメルの値段  市橋芳則 河出書房新社
■  スプートニクの恋人  村上春樹 講談社文庫
■  パーク・ライフ  吉田修一 文春文庫
■  鱗姫  嶽本野ばら 小学館文庫
■  刺青・秘密  谷崎潤一郎 新調文庫
■  Memoirs of a Geisha  Arthur Golden, Vintage Contemporaries Edition
■  上機嫌の作法  斎藤孝 角川oneテーマ21









*■■■ 読書力 ■■■ 齋藤孝 岩波新書

近年ロクに本を読んでいない。ロクな本も読んでいない。そんな自分の弛んだ「読書魂」に喝を入れるべく、手に取った。色んな意味で迷いを吹き飛ばしてくれる本だった。やっぱり本は捨てなくていいのだ。そして大衆娯楽本と血肉になる質の高い本は違うのだ。歳を取っても本は読み続けるべきなのだ。ただし質の高い大人本を。

著者は、読書力は学習力と仕事力の基本であるとし、本を読まない者に対してまづ文庫(娯楽本でない名作)50冊、新書100冊を読め、と諭す(100冊を四年以内)。知能指数は要らない。基礎トレと同じく継続により自分の力量が上がっていく。客観と主観を分けること、多角的なものの見方、理解の早さが身についていく。

児童書は離乳食。推理小説、歴史小説、SF、エンターテイメントもの、雑誌、ショートショートなどは乳歯レベルの食餌。著者は、ここで「エンターテイメントの溝」に陥ることなく、「自分をつくる」「自分を鍛える」質を伴った幅広い大人の読書へと移行せよと辛く諭す。それ即ち永久歯レベル。出来れば移行は高校生あたりが望ましい。過去の調査では、神秘主義的な団体に入信してくる人間に、世界文学を幅広く読み、具体的な人間理解力を育てようとする傾向は見られなかったそうだ。また施設にいる少年達にはほとんど読書の習慣すらないらしい。人を短絡的・独善的にせず、矛盾を内包したまま多角的に物事を見られるようにするには、永久歯レベルの読書の積み重ねが必要ということか。

巻末の齋藤孝お勧めの100冊は、値打ちありと見た。文庫本が中心で、既読は半分弱だったが、改めて感想を語りたくなるような良書ばかりだ。残る未読の本も、きっと血肉になる質の高い本であるに違いない。私も今日日の出版社の「夏の100冊」はチョイスがヌルイなあと思って見ている。小洒落ていて読みやすいが後に何にも残らないような本が、売らんかなのいい加減な精神で結構混じっている。そういう商売半分の選択に従うより、“精神の緊張を伴う”本を五万と読んできた人間が私利私欲なく勧めてくる本の方が確実だ。

本を読もう。しんどくても質の高い本を読もう。良い本は褒め称え、詰まらない本には文句の一ツを(笑)。

◇ Amazon: 「読書力」








■■■ ハウルの動く城 ■■■ 監督:宮崎駿

概して物語の説明のしすぎは詰まらないものだし、理解は観手の鑑賞力にも大きく左右されるものだけれど、これはどうにも不親切だ。意味深なのは分かる。上手くやれば面白そうだ。雰囲気的に「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」より雰囲気は好きだ。でもこれじゃシナリオも唐突、ストーリィもいびつで、何が何なのかよく分からない。もうちょっとちゃんと作り込んだ物語を是非観たかった、という感じ。或いは、原作を読めば色々と腑に落ちるのかなあ(ってまた楽な本に走るのか?)(今年はリッチでオトナな本を読む予定では?;)。どっちにしても原作を読まないと納得できない作品は、映画としては不完全だし。

特に分からなかったのが、中盤からのあの城の仕組み。ハウルが「引っ越しだ」と言って城の本体を移した先が、ソフィーの元居た町の元居た帽子屋。とはいえ、元々の帽子屋はその位置にまだ存在している訳だから、引っ越しなんかしたら家の中身が重なってしまう。どうなってるの?(悩) もとい、元あった帽子屋はどこへ消えたんだ?(謎)(中では人も働いていたのに;) とか思っていると更に、ソフィーは荒れ地の靄の中の城を解体して動かしたりして。・・・ハウルはソフィーとソフィーの家(帽子屋)を守りたい→戦火の中へ飛んでいって危険→ソフィーはそれを止めさせたい(「ハウルは情けない弱虫でいいの!」)→荒れ地の城だか町の家だか兎に角全部一旦壊して、取り敢えずハウルの動機を挫く、という処なんだろうか。でもあの城がどうなっているのかさっぱり分からなかったので、見ながらソフィーの行動に理解が追いつかなかった。

他にもよく分からない処は色々ある。ソフィーの姿がぐるぐる変わっても、魔法使いやカルシファーが誰一人驚かないのは、みんな魔法を見抜いていて本来のソフィーの姿が分かっていたということなんだろうか、とか、魔法使いにとって他人の心臓ってどうなの(荒れ地の魔女も食べようとしていた)、とか、なんであんなにあっけなく戦争は終息へ向かうんだろう、とか。まあ、動く城の容貌がハウルの人としての無頓着ぶりを、ソフィーの容姿がソフィーの精神年齢を表していたのだけは何となく分かったんだけれども。最后にソフィーが白髪だったのは、以前のソフィーではなく老人を経て何かを得た別人なのだよ、という印なのかな。

ハウルに関しては前振りほど幼稚でも心なさげでもなく拍子抜けした。あれくらい普通に格好良くて可愛いよ(木村拓哉の声も合ってた)。もっと大袈裟な描写でも良いような。・・・髪の色が変になってしまった時のハウルはツボだ(何もかもイヤになったハウルが緑のデュルデュルを垂れ流す)。悪いけどその気持ちものすごい分かるわー(苦笑)。私も今度ヤなことがあった時は、その辺に転がってヂュルヂュルを垂らしてみよう、とか思ってしまった。

◇ ハウルの動く城 HP
◇ 原作の感想








■■■ カンフー・ハッスル ■■■ 主演:チャウ・シンチー

チャウ・シンチーって“苦労症のゴン中山 in his 30代”、って感じだなあと思っていたが、40代だったらしい。えー。動き若ーい。顔も老けていた筈だわ。

ぼちぼち笑わせて貰った。処々色んなパロディもあり。笑ったのは、家主夫が妻に殴り飛ばされて、豚小屋砦のてっぺんから地面に落ち、どす黒い血が広がる処(笑)。あとナイフと蛇のシーン。火雲邪神のその辺のオッサンっぷりも良かった(あの頭といい便所サンダルといい・・・)。ただ、あの斧頭会の正装シルクハットに手斧という出で立ちは如何なものか(汗)。

メモっておくと、人足は「十二路譚腿」、麺職人は「五郎八卦棍」、仕立屋は「洪家鐵線拳」、琴を奏でる刺客は「古琴波動拳」、家主夫は「太極拳」、家主妻は「獅子の咆吼」、シンは「如来神掌」、火雲邪神は「崑崙派の蛤蟆功(こうばくこう)」なのだそうだよ。観ている時は分からなかったけど、「八卦棍」と言われると、もう一度麺職人の動きを観たい気がする。八卦掌に棍はないらしいけど。もとい一度八卦掌で真剣に闘ってる処を見てみたいんだが。

でも展開は少林サッカーの方が断然面白かったなあ。DVDを買うとしたら少林サッカーの方が。

◇  カンフー・ハッスル HP








■■■ 社会的ひきこもり ■■■ 斎藤環 PHP新書

興味を引いた点が2点。その1、ひきこもりは高学歴の両親が揃った中流以上の家庭の長男が圧倒的に多いらしい。すなわち、父親がサラリーマンで家事育児を殆どせず、専業主婦である妻が一手に引き受けているような、分業制の家庭。ということは、戦後確立された武家並の専業主婦の形態が崩れて北欧社会化していけば、ひきこもりは発生しなくなるのだろうか。しかし、だから何故どのように起こるのか、という点については千差万別で一概には説明できないらしい。その2、ひきこもっていても世帯を分離すれば生活保護が受けられる。これは知らなかった。両親が年金生活に入り経済的な見通しを持ちにくい場合、作者はその方策を勧めている。精神症状を伴う場合は(ひきこもりが長期化すると様々な精神的障害を伴ってくるケースが多い)、障害者年金を受給することもできるらしい。

ちなみにフランスでは成人した子供の面倒を親がみるということはないため、こういうケースの場合は確実にホームレスになるそうだ。インドや韓国ほどではないけれど、日本もセーフティネットはまだかなりのウェイトで親兄弟親戚だからか。

◇ Amazon: 「社会的ひきこもり」








*■■■ 鞍馬温泉〜鞍馬寺 ■■■

宝ヶ池より岩倉より京産大より更に奥の北の鞍馬。数回しか来たことがないが、温泉は初めてだ。聞いていた露天風呂は意外やすっきり清潔で美しく、シンプルながらも広々として、とても気持ちが良かった。晴れた日を選んで行ったお陰で、豪雪ぼーぼー雪山のサル状態(汗)、なんてこともなく、残り雪がそこかしこに残る程度。寒いのがダイキライな自分としては、これくらいがお出かけ最低ラインである(笑)。

鞍馬は本当に山の中で、余所からの目を全く気にすることなく、露天風呂からどかーんと山が見渡せる。木々は苔生し、鳥がさえずり、雪解け水が静かにポタポタと湯船に落ち。風呂には人っ子一人居ない。時折、北山杉を斜めにぶらさげたヘリが、ばばば、と空高く横切っていく。・・・のどかである。むっっっちゃくつろいだ。気持ちええー・・・(極楽)。眼下には桜の幹が横へ広がっていたので、春にはまた違った風情が見られるのだろう。そのうちぽつりぽつりと人が来たり、出ていったり。

折角はるばる来たので、鞍馬寺へお参りすることにする。夕方で本堂は閉まっていたけれど、これがまた山のてっぺんの見晴らしのいいところで、気持ちのいいことこの上なし。誰も居なかったので、のぼせを静めるべく収功して帰ってきた。今年は大河ドラマが義経だから、人が沢山来るんだろうなあ。帰りの九十九折りでは苔生した岩の合間から清水が流れ落ちていたので、一口飲んでみた。・・・美味しい。空になっていたペットボトルを満たして降りてくる。

そういやここのお寺は開闢の古い(平安時代の筈)密教系なのに、かなりの宇宙コンシャスでちょっと変わっているのだ。御本尊は金星人だし(小学校の頃持ってい た「宇宙人のなぞ」という本に書いてあったw)、お寺附属のケーブル車内でも「宇宙エネルギーをどうたらこうたら」と言ってるし。ついでに紋も天狗の団扇マークである。駅前の看板によると、ここには日本全国に散らばる天狗の大ボス(僧正坊)が居るのだそうだ。天狗に邪なイメージが付いたのは中世以降。元々は精霊で、階級があり、目に見えないものだったとか。・・・なんかその辺、天使とスペックが被る感じがする。ついでに何かで読んだが、この辺は日本有数のパワースポット(0磁場)という話だ。お陰様かこれを書いている翌日は元気だ(笑)。

◇  くらま温泉・・・駅近だけどシャトルあり。
◇  鞍馬山・・・貴船へ抜けたこともあるけど、夏の貴船は許せないくらい涼しいのよねえ。








■■■ Howl's Moving Castle ■■■ Diana Wynne Jones, Harper Collins 

  映画「ハウルの動く城」を観て気になったので、原作を読んでみた。うーむ。ツッコミ処は多々あるが、まだこちらの方が分かりやすいなあ。処々被るシーンはあるが、全くの別ストーリィだった。戦争もないし、登場人物ももっと多い。それにしても宮崎アニメというより、むしろウォシャウスキー兄弟か押井守かというイメージだ。もしやこれも何かのプログラムでは、と勘ぐってしまうような感じ。

なんしか最初からSophieもHowlも怒ってばかりである。原作のSophieは悪い塩梅に育ってしまった老婆そのもので、怒るわヒネるわ詮索してばかりだわ、でかなり鬱陶しい。反対にHowlも相当デタラメな性格で、派手好きだわ金遣いは荒いわmoodyだわで大変だ。よって、二人が顔を合わせると互いに嫌味ばかりになっていた。映画でもよく分からなかったが、原作では更に何故こんな二人が恋に落ちるのか全然分からん(笑)。まるで子離れ出来ていない年老いた口うるさい母親と、“やつし”の放蕩息子のようなんだもんなー・・・。あでもHowlはこれくらいの方が、意図する処が分かりやすくて良いと思う(Sopieに限っては違う性格としか言いようがない)。原作でも私の気に入りの「緑のでろでろ垂れ流し事件」は健在。一回やらかして以来、Sophieに幾度となく恐れられていた(笑)。あの家でまともなのはMichel(映画ではマルクル)くらいだなあ。

そうそう、本を読んでMarket ChippingのSophieの実家へ城が引っ越し出来た訳が分かった。帽子屋は母親Fannyに売りに出されていたのだ。Michelが見つけてHowlが購入。それでちゃんと城の中身が引っ越ししても何ら問題がなかったのだ。・・・これは省かれちゃ訳分かんないですよ、宮崎監督(汗)

最后は一体どうなるのかと思いきや、残り40頁くらいで一気にドタバタと片が付く(しかもSophieの家族総出で、アナログにホウキでびしばし闘ってみたり)。終わって呆然とした。あの人が Witch of the Waste の fire demon だったとは。そういえば、Calciferが「オレはdevilじゃなくてdemonなのだよ」と偉ぶっていた箇所があった。読後にふと気になって辞書を引いてみたが彼が何を言わんとしていたかよく分からない。

◇  映画の感想
◇ Amazon: "Howl's Moving Castle"
◇ Amazon: 「魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉」








*■■■ たそがれ清兵衛 ■■■ 藤沢周平 新潮文庫 

今更ながら藤沢周平を読むのは初めてなのだが、設定や背景を細かく積み上げていく、力量のある人だなあと思った。こちらには検証力も何もないのだけれど、その描写には、実際に主人公の身の周りをつぶさに目で見て追っているような気にさせられる。

現代と勝手の違う処がひとつひとつ面白い。隠密裏に人を殺すにも「名を名乗れ」と言われたら答えなきゃなんないのか(失敗したらヤだなー;)、とか、出額で目口が大きいのはこの時代醜男にあたるのか、とか、玄人女は構わないのに武家の奥方に手を出すのは物凄い大事なんだな、とか。閉門や遠慮といった謹慎処分の各種もめづらしい。役職名やしきたり以外にたまに知らない言葉が出てくるのも、おおって感じ。膂力なんていう言葉、初めて知った。

実際、お侍、ってどうだったんだろうなあ、と考える。勿論ベースには論語や史記が染み込んではいるんだろうが、こんな風にスタイルやポリシーに対する意気込みを常に前面に出すでもなく、普段は楚々と「普通の人」していたんだろうか。かと言って、人に傷を負わせ後に死の知らせを聞いても、ベトナム帰りのヴェテラン兵のようにトラウマを抱える風もない。・・・それはその、子供の頃から、高髷を結った気丈な母君に「武士たるもの生死の覚悟は常に出来ているもの、しっかりなさいませ!」とか尻を叩かれつつ育つとそうなるんだろうか。或いは道場や塾で折々聞かされる何気ない逸話や説教で徐々に形成されていくものなんだろうか。・・・人斬り仕事が発生する可能性有りの、公務員。TVの時代劇ではデフォルメが効きすぎているような気がしてピンと来ない。どんなのが普通の素の姿だ?

◇ Amazon: 「たそがれ清兵衛」








■■■ 19時から作るごはん ■■■ 行正り香 講談社

カフェ飯っぽいレシピ集。独身暮らしや若い核家族にはいい感じ。定番の和食外では箸の進みが遅いような年配と同居の場合は厳しいかな。個人的には野菜がもっと欲しい気がする。調理法としては、ラップと電子レンジを使う方法が参考になった(トマトソースをチンして作るなんて目からウロコ;)。自分はどうも鍋とフライパンしか使わないので。ああでも4〜5人分だとどっちが合理的なんだろう。オーブンもあまり使ったことがないや。慣れればラクと聞く。

・・・家族が少ない日に、ポークソテー(酢+ハチミツ+ナンプラーに暫し漬け込む)をアレンジし、短冊切りにした豚肉をオレンジ色のパプリカとブロッコリと一緒にして炒めてみた(+ニンニクの微塵切り)。パプリカの甘酸っぱさと合う。なかなか美味しい。これはバジルよりミントの葉が合うなあ、とか思ってみたり。豆カレーは独自の定番が既にあるのだけれど、半熟茹でたまごを載せる、というのをマネしてみる。・・・半熟茹でたまご、めんどくさい。これは一回の試みで終わったな(ぼそっ)。

この数品分は30分では作れまい、と思うようなものも多かったのだけれど、巻末を見て気が付いた。段取りと台所の整頓が違う! 問題は料理外も大きい。冷蔵庫やストックに無駄がない。キッチンは狭く調理器具は少ない。宅配利用で時間と労力を節約。ミニマルかつ合理的な暮らしをしているのだ、この人は。これ、始めるのは簡単だけど続けるのは大変だろうなあ。マンネリ化してくると色々手を広げたくなると思うし。誘惑や怠慢をどう対処しているんだろう。一人暮らししていた時の感触からするとまだやや可能な気もするが、家族規模だとかなりむづかしそうだ。

それにしてもだよ。人様から微妙に多く戴いて食べ切れていない何時のか分からないイカの冷凍とか、昔ながらの製法で加工したと言われ旅先で買ったけど固くて誰も食べたがらない乾燥わかめとか、お弁当の手抜き用に買ってみたけど美味しくなかったのでそのまま冷凍睡眠中のミートボールとか、この人にはそういうのはないんだろうか。ていうか、そういうのはどうしたらいいんだろうか(汗)。・・・料理より台所内容のスペックについて多く考えさせられる。

◇ Amazon: 「19時から作るごはん」








■■■ 散歩する惑星 ■■■ 監督:ロイ・アンダーソン

稀にみる大ハズレ。どんより鬱々ダラダラ意味ナシ系(東欧映画っぽいな)。決してシュールには思えません。監督はCMを作っている人らしい(スウェーデン人)。フライヤのデザインは好きなんだけどなあ。途中で観るのをやめた。

こういうとき「うわーんバカー!(涙)」と思うより、「映画館まで行っていなくて良かった。何故なら労力も時間も被害が最小限で済んだからだ」と考えるのが生き方上手(・・・よし、歳取った)。

◇  散歩する惑星HP・・・BBSの意見が両極端。
◇ Amazon: 「散歩する惑星」








■■■ 桂由美の世界展 ■■■ @美術館「えき」KYOTO

オートクチュールウェディングドレスの展覧会。古いものから順に展示してあり、マリエの他にソワレも併せて展示されている。芸能人を使ったショーの録画も流されていた。

間近で見ると、息の詰まるような繊細な職人技が一面に施してあったりして、ひゃー・・・(汗)、という感じである。全身に真珠がびっしりと散りばめられているのなんて、きっと物凄く重い上に、きっと腰掛けられなさそうだ(心情的に;)。美しい。美しいけど、これはもう花嫁を飾りたい、という感じではなくて、高価な素材をガンガン使って無茶苦茶凝りまくって作ったものを、選びに選んだ見目麗しい女体を利用して世間に見せ知らしめたい、(その道楽実現の為に一般人用ので商売してんのよ)、という感じである。逆である。でも、それでいいと思う。高貴で美しいドレスには高貴で美しい女を。

中には、コレ着てヨメに行く人が本当に居るのか?、みたいな奇抜なデザインのものも沢山あった(ホログラフィックな透明マリエとか;)。2004年秋冬コレクションのショーなんて、もはやウェディングという感じではない。白塗りかつモノクロなホラー感が漂っていて怖カッコ良い。プリンセス・アミダラが着ていそうな着崩し花魁風ドレスなぞもあり。皆、半分呪われた花嫁って感じだ。面白いけどこれまたどれもヨメには着て行かれなさそう(汗)。ああでもこういう妖しい雰囲気の世界、好きだなあ。








■■■ きもの365日 ■■■ 群ようこ 集英社文庫

筆者が一年間なるべく着物を着て過ごしてみた記録。表紙の絵は本人らしいが、写真を見た限り実物の方がずっと可愛らしい。巻末に簡単な着物用語集が付いている。でもそれでも分からない処が多々あったので、後から「市田ひろみの着付けのすべて」なんてのまで買ってきて併せて読んだ(百聞は一見に如かず)。着ない人間には本当に何の事やら分からないことばかりなのだ。

やっぱり着物生活って過酷やーん(悲)、というのが感想。寒さ暑さの調節が大変みたい。冬でも特急の中ではコートを脱いで体温調節をしないと気持ち悪くなったり立ちくらみをしたりするような人間にとっては、冬に電車で汗だく、程度では済まされない。死活問題だ。況や真夏をや(汗)。かと思えば、真冬の外出では冷えるみたいだし(だって道行きだってコートと違って薄いものね;)。あと思ったのは、半襟の付け替えなど、意外に縫い物仕事が多くなりそうな処。これはイタイ。邪魔臭がりは着物の大敵だ。

でもこの人の来ている着物、とても好みだ。私の今の年齢で着ると地味すぎるのだろうが、幾何学模様の紬や銘仙の方が気持ち的にしっくり来る(だって普段から派手派手しい格好して暮らしてないんだもん)。こういうのを、ちょこっとお出かけ用に着られたら素敵だろうなあと思う。まづは紺〜濃紫〜鼠のよろけ縞なぞから始めたい。帯も名古屋帯のお太鼓でいいんで(金銀の入ってない明るい目の奴)。その辺から人知れずお稽古事あたりで慣れてみたいよ。ああでもお茶を始めようと思って始めるのに五年掛かったから、これも先は長いだろうな(汗)。

◇ Amazon: 「きもの365日」
◇ Amazon: 「市田ひろみの着付けのすべて」








■■■ カストラート ■■■ 監督:ジェラール・コルビオ

大して期待していなかったのに結構面白かった。作曲家の兄と、カストラートの弟の物語。兄は才の無さ故、美声の弟に自曲だけを歌わせ寄生する。弟は阿片中毒と去勢コンプレックス故、兄の束縛とプロデュースに甘んじる。兄弟はどうしようもない共依存関係のまま、女も富も名声も二人で不自然に分け合い続ける。しかし、そこへ作曲の才あるヘンデルが現れ、弟に兄の駄作以外の歌を歌いたくないのかと持ちかける。兄弟の危うい関係が崩れていく。

この兄弟のヤラしい癒着振りが良い。たいがい憎み合っているのに、互いにすがりついて離れられないでいる。兄は自分に作曲の才能が無いのを重々自覚した上で名声を欲しているし、弟は本当は他人の良い曲を歌いたいのに精神的にボロボロで身動きが取れない。

この兄の粘着束縛キャラvs.弟の自立できないダメキャラというのは普通、教育ママvs.言いなり息子とか、世話焼き彼女vs.繊細アーティスト彼氏とか、何しか女に振り当てられることの方が多いキャラクターのような気がする。ラテン系だと情念濃さそうなので、男でもアリだなあと観ていて思ったけれど、最后の結末の在りようはどうなんだろう。この手の「対象人物が自己実現の手段」になってるタイプって、十中八九憑き物は落ちないと思うんだけど(この兄に至っては狂言未遂までしてるしさー;)。てっきりまた元のドロドロの木阿弥なんだわ、とか思っていたのに。

男女の声をコンピュータで合成したというカストラートの声は、一部の低音との組み合わせを除けば豊かで安心して聞ける声だった。本当のカストラートは少年の声のままファルセットは使わないらしい。だとすれば、高音域も女性の声とは多分違うのだろう。どちらかといえばよりまろやかなソプラニスタに近い声を想像する。

◇ Amazon: 「カストラート」








■■■ アザーズ ■■■ 監督:アレハンドロ・アメナーバル

ニコール・キッドマン主演、トム・クルーズ制作。TVでやっていたのを観た。

前半は辛気くさいけど、雰囲気はいいし良く出来ていると思った。でも「シックス・センス」と同様、途中で「これは死んでるよなー;」、と気付くタイプの話。だってパパは折角帰ってきたのに戦場に戻っちゃうし。この人も死んだ場所で自縛霊してるんだろうな、とそこはかとなく気付く。

しかしながら、娘が目にする少年ヴィクターや、次第に母親までもが知覚するようになる気配に対する読みは違っていた。私の予想では、別次元に暮らしていて見えていなかった別時代の死人達の姿が、段々誰の目にも見えるようになって、気付けば家中幽霊でひしめき合っており、ニコール・キッドマンが「ウキャー!(悲鳴)」と叫ぶ(笑)、というようなものだったんだけれど。そうだとしたら、あの使用人達(これも最初からおかしい処があるので、死んでそうだわい、とマユツバで見ている)に対する別時代・別次元説はどうなるんだと、その辺の穴埋めに悩む。そしたら、死んだ人間はみんなまとめて別の一次元で暮らしている、というオチなのだった。・・・ハズレ〜(笑)。写真で見た限り、その家で死んだ人は他にも沢山居たようだけれど、居なかったってことは納得して天国か地獄へ行ったんだろうな、と思うことにする。

厳格で神経質な母親を演じていたニコール・キッドマンがキリリと美しい。華奢ながらバランスの取れた身体をピッタリ被う、前時代の厚手の地味な誂え服が、中身の美しさを引き立てている。その他、小さな弟が怖がっている時のヘタレ顔がツボ(私はチビっ子のヘタレ顔・愛好家である)。無気力な旦那役の人は、浦沢直樹の漫画に出てきそうな風貌だな、と思った。

◇ Amazon: 「アザーズ」








*■■■ キャラメルの値段 ■■■ 市橋芳則 河出書房新社

昭和三十年代の生活用品、その値段、暮らしぶりを、写真と文で紹介した本。懐古趣味のみのファンシーさに走らず、かなり具体的で興味深かった。つい衝動買いしてしまうのは、実にこういう本だ。ヤバイ。出会ったら買ってしまう(笑)。

様々なモノが雑然と入り混じった様は、やはりダサい。しかし客目を気にしてすっきり片づいた店先は、商品は貧しくともセンスを感じる。要するにいつの時代でも、整理しろってことなんだろう。趣向を揃え、きちんと整理されていれば、どの時代であれ持ち味が出る。原節子の背景や松嶋奈々子の背景になる。されていなければ、どの時代もじじむさい。・・・がんばってね(>自分の家)。

うちにも残る無駄なグッズが色々見つかったり。その代表が「ながもち」と「フランス人形」。「ながもち」は母が嫁に来る時、要らないと主張したのに親戚に猛反対され、イヤイヤ持たされたそうだ。そしてやはり全然必要なくて、物凄くヘンな処に置いてある。今日では「鏡台」あたりがその位置付けか。「フランス人形」は、誰のか知らないが蔵の中にある。子供の頃お仕置きで閉じこめられる度、闇に奥にソレがあると思うと怖さ倍増だった。表に出され飾られている処は一度も見たことがない。

昭和三十年代半ばまで、実に冷蔵庫がない。本気で毎日、しかも昼間の内に、ちまちまと買い物に行かなくてはならないなんて、考えただけでも疲れる。生活マニアみたいな暮らしになりそう。勿論、専業主婦の有無は死活問題。・・・今日びスーパーや冷蔵庫があるからこそ、わざわざ京野菜ボックスをお取り寄せ、なんて優雅なことをやってられる訳なのね(汗)。なんかこう、アメリカ如きに憧れるのも無理はない、って感じ。こりゃー、高度経済成長目指して頑張っちゃうよ。そんな生活のせいか、写真の人々は大人も子供も皆、今時分よりかなり老けて見えた。熱海へ新婚旅行中の夫婦なんて、既に大学受験を控えた息子でも居そうな風貌だし、雨の日にランドセルを背負った小学生の女の子も、妙に老成した顔つきをしている。

詳細な仮想タイムトリップを経て、いくらエマールが45円とか言われても、今の時代の方が私には随分助かる、と思った。やはり時代は然るべくして進化しているのだわ。

◇ Amazon: 「キャラメルの値段」








■■■ スプートニクの恋人 ■■■ 村上春樹 講談社文庫

「ぼく」が心を寄せるすみれは、14歳年上のミュウという女に恋をする。小説家になるべく大学をやめ、身なりも構わず文学一筋だったすみれは、ミュウの仕事を手伝い、まともな生活をするようになるにつれ、文章が書けなくなる。すみれはミュウと欧州へ出た先で失踪する。「ぼく」は突如ミュウからギリシャへ来るよう呼び出される。・・・相変わらず浮世離れした会話とキャラクターと話運び。お伽感が薄い方の村上春樹という感じ。

仕事を始めて小説が書けなくなるすみれ。「撃たれたら血は流されなくてはならない」と文を残すすみれ。意欲性欲を携えたあちら側と、白髪でピアノの弾けなくなったこちら側に分かれてしまったミュウ。万引きをした教え子に「ぼく」が語る孤独感とその認識。喪失感や違和感、離人感。そんなに改めて目新しい感覚でもない。上手にオブラートにくるんで語られていたという感じでもない。いくつかのことが書かれていたけれど、いまひとつだった。

ピアノの弾けなくなったミュウは、マドンナと離婚して一時ダメになったと評されていた時期のショーン・ペンを思い出させた。普通は有り難いことに、余生と思っていたこちら側も、割合高い確率で生気が戻ってくるものだと思う。壊死した脳細胞の復活はないかわりに、別の細胞が活性化され、神経は強く鈍感になる。・・・でもミュウのケースは、脊椎損傷みたいなものなのだろうか。

一つ前の「国境の南、太陽の西」の方が良かった。あれはなかなかよく出来た話だった。・・・またのんびりと次に期待。

◇ Amazon: 「スプートニクの恋人」








■■■ パーク・ライフ ■■■ 吉田修一 文春文庫

「パーク・ライフ」「flowers」の二編収録。

「パーク・ライフ」は公園ぶらぶら観察を含む東京ライフの話。きれいで希薄で深入りしない。その様はよく描けていると思うけれど、だから何?、という感じ。それ以上のものが感じられなかった。今時(2002年発行)「スタバの味の分かる女云々」という表現が出てくるくだりもベタベタしたものを感じる。・・・こんな話に賞を出さなくてもなー。騙された。「flowers」はなかなかに不快な男の話だったけれど、こちらの方が良かった。こういう、道徳観念というよりむしろ感覚機能が普通の人間と異なる人って、ここまで酷くはないにせよ、たまに見掛ける。そういう非人間的なものに対する衝動的憤りは、暴力であれ、ある意味真っ当な訳ですよ、みたいな話。

◇ Amazon: 「パーク・ライフ」








■■■ 鱗姫 ■■■ 嶽本野ばら 小学館文庫

美を愛する孤高の美少女が、代々女性だけ鱗の生えてくる奇病に犯されていることを、或る日知る。

耽美で核心を突いてくるけれど、その一方で人を喰った処を散りばめてあるのが好きだ。分かっててやってんのよね、と分かるサインがちゃんと残してあって笑える。いきなり高笑いとかするしさ(黒笑)。作者はさりげなくお兄さまに扮して紛れ込んでいるし。舞台は京都で、伏見のお屋敷と東山の叔母様の家が交互する処も感情移入できるポイントだった。でもこれ、普通に京都弁喋りだったらダメなんだろうな。

私はね、現代という時代、自分が生きる二十世紀から二十一世紀という時代が好きではないの。特権を認めようとしない心の狭い時代だわ。民主主義、共産主義という平等への疫病が蔓延した時代。そんな時代に美しさなんて存在しない。美しさとは極論をいってしまうなら、ある意味において、差別の果てにあるものなのよ。
パンクだわ。国民は美を捨てて万人の生ぬるい幸せを取ったのね。でも残念ながら少数の美のために捨てる訳にはいかないわ(笑)。 ◇ Amazon: 「鱗姫」








■■■ 刺青・秘密 ■■■ 谷崎潤一郎 新調文庫

再読本。「刺青」が高完成度。しかし表題二作もさることながら、「少年」の目の付け処が凄いと思った。子供世界の力関係の移り変わりを描いたものなのだけれど、肉体関係はなくとも濃厚なサドマゾだ。まさしく大人はこういうのから目を背けておきたい訳で。しかし作者はネタ的に放っておかない。うひー。いぢわる。

「異端者の悲しみ」はある意味自伝らしい。家族も本人もダメ全開。でも出口のないやるせなさには、在りし日を過ぎて大人になってしまった誰しもがちょっぴり共感。・・・こういう環境に居た人だったとは知らなかった。エエシの暇なボンボンであるが故にズレていった人なのだろうと思っていた。関西三都に居を構えて金持ち話を書いたりしているものだから。

「二人の稚児」はツッコミ処満載。比叡山の上人様は、煩悩に満ちた下界を一切知らず最初からお山に育ったお前達はこの上なく幸せ、なんて説くわ(オイオイ;)、「血は争えない」でばっさり切るわ、前世で瑠璃光を拐かしてきた女は鳥にされて目の前で死ぬわ。・・・あかん。私がフツーに俗人すぎて笑えてしまう。悪い新興宗教と何処が違うの?

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■■■ Memoirs of a Geisha ■■■ Arthur Golden, Vintage Contemporaries

邦題「さゆり」。祇園を舞台にした、舞妓〜芸妓の話である。NHKドラマ「おしん」のような物語だった。売れっ子で可愛くて悪魔のように狡猾ないじめっ子(Hatsumomo)、その下に付くぼんくらで不器量な同僚(Kabocha)、物静かで分別のある後見人のお姐さん(Mameha)、守銭奴で日和見主義な置屋のおかあさん(Mrs. Nitta)、Sayuriに惚れている片腕で顔に痣を負った電器会社の社長(Nobu-san)、いつも遠くで見守っている会長(the Chairman)。これらに取り巻かれ、貧しい漁村から買われてきたSayuriは華やかで厳しいゲイシャの道を登っていく(・・・出来ればgeikoと書いて欲しかった。京都では「芸妓(ゲイコ)」「舞妓(マイコ)」だ)。英語では書かれているが、遠回しに話を進める様、聞かれても話を逸らして黙っている様などは日本だなあという感じがした。ものの喩えや表現が日本風でもなければ英語圏風でもなく、ちょっとawkwardな感じはしたけれど。

惜しむらくはChairmanの魅力が今ひとつ乏しく、何故そこまでSayuriが彼に固執するのか説得性に欠けていた処。Nobu-sanは気性の激しい処もあるけれど、心からSayuriを好いており、紳士的でまっとうな男である。だのにSayuriは滅多に会えないChairmanのことをひたすら想い続けており、Chairmanの傍らでNobu-sanに世話になるくらいなら、と水揚げも旦那も別の男を選ぶ。Chairmanにしてみたら、Yoshikazu Nobuは仕事上の恩義があったり大事なツレだったりして、なかなかSayuriには手を出せない、という内情があったようなのだけれど、それにしてもChairmanがどんな男なのか最后の方まで今ひとつはっきりしないままだった。

紆余曲折を経て渡辺謙(the Chairman)とチャン・ツィーイー(Sayuri)で映画化されるそうだが、全うできるんだろうか。Mamehaの役はミッシェル・ヨーらしい。もっと若いのかと思ってはいたけれど、これはピッタリだ。Kabocha(Okabo)が工藤夕貴というのは可愛いすぎるかも。むしろ意地悪なHatsumomoの方がはまり役だと思う。

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■■■ 上機嫌の作法 ■■■ 斎藤孝 角川oneテーマ21

この人、いっつも作り笑顔のハイテンションでちょっとキモいぞ、と思っていたらわざとだったらしい。

上機嫌と頭がいい状態は両立します。
今は「バカで不機嫌」が増大中です。
うはは〜(笑)。いつもむづかしい顔で仕事しているので笑ってしまった。勿論、人と喋る時まで深刻な顔だったら流石に感じ悪いと思って、素に戻してるんだけど。 大人になると身体が固くなる。笑わなくなる。機嫌が悪くなる。そうするとテンションが下がり、クイックレスポンスが効かなくなる。知的生産を営みたい日本人の大人なら、気分をコントロールし、テンションを上げ、他人に気を遣え。そんなもんは筋トレと同じで、身につけられるものだ、という話だった。身体論などは高岡英夫とお友達?、と思わざるを得ないような箇所が多い。実感で分かる部分は特に面白い。太極拳の練習していると、機嫌いいもんなあ私。

機嫌のいいのは良いことだ。文句があっても機嫌良く。ただし、端からみて気色悪くない程度にね(笑)。

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