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奥居合の部

 

○霞の事

 奥居合の「霞」とういう業、座っていて、第一刀をやってくる相手の踝の下を狙って斬りつける業ですけれど、この業と非常によく似た業が『曽我物語』の巻第五に出てきます。

 五郎は、太刀おつとつて、すでに屋形をいでんとす。十郎、袖をひかへて「しづまりたへ、昼こそあらめ、夜なれば、一方うちやぶりて、しのばん事いとやすし。たとひ何十人きたるといふもまづ一番をきりふせよ。二番つゞきて、よもいらじ。まして三番しらむべし、たとひのりこえきり入共、裾をなぎふせよ

口語訳

 五郎は太刀をとって屋形を出ようとする。十郎は五郎の袖をとらえて「靜かにせよ、昼間ならば兎も角、夜のことであれば一方をうち破って隠れることも簡単である。例え何十人が斬り込んで来たとしても先ず一番最初の者を斬り伏せよ。二番目が飛び込んでくることはよもやあるまい。まして三番目は怖じ気づいて怯むであろう。たとえ例え乗り越えて斬り込んでくるものがあったとしてもその裾を横さまに斬り払え

 この裾を薙ぎ払うというのは霞と同じ発想ですね。そうすると霞というのは室町時代の古い技法を残した業だと言えるのではないでしょうか。

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○突業について−付−両詰

 お盆で、帰省したときに父がこんな事を話しておりました。「剣道五段で居合も四段の人に、居合の刀を平らにして突く業はおかしい、といわれたのだが・・・・」
 父は段位を取ることが好きで今全剣連の六段錬士です。現在も七段を目指して頑張っているので御稽古は制定居合が中心になり古流は殆どしておりません。ですからこの疑問に答えられなかったからと言って無理はないと思います。
 英信流の山内派にも剣道と同じように刃を下にして突く業もあります。ただ、この突きの時は「突くより早く抜け」と言われます。というのは突かれた痛みから、相手は身をよじって逃れようとするため刀が抜けない、もしくは非常に抜けにくくなるからです。それに対して刃を横にして突く方法で相手を突いたときは、相手が身をよじればよじるほど相手の体は切れ、傷口も広がり、抜くことも容易いので刀の刃を横にして突くという方法を採ります。それに相手が鎧を着ている場合、鎧は小札(小さな鉄板)、威(組み紐、桃山時代には韋威もある)、小札の連続なので刀を縦にして突いたとき、小札と小札の間に引っかかって切っ先が止まる可能性があります。しかし、平にして突くと例え小札に当たっても滑ってその小札の下、もしくは上の威に刺さり、そのまま中へ入って行きます。
 刀を平らにして突くことにはこういう利点があります。ただ、戦国後期に出現した南蛮胴のように一枚の鉄板の胴を貫くには刀が横であろうが縦であろうが関係なく、胴に対して直角に刀を突き出すことの方が肝心です。
 山内派の「両詰」には床と平行に相手を突く場合と、突いた瞬間に切っ先を上に突き上げる場合と二つの型がありますけれど、前者は相手が南蛮胴、仏胴、桶側胴などと言った当世具足の相手を突くのに、後者は小札の胴を付けた武者を突くのに適しています。
 勿論、相手がどのような胴を付けているにせよ、手だけで突くのではなく、後ろ足の蹴りと体の前進とでからだ全体で突くことが大事で、きちんと突いていればそう易々と小札に切っ先を留められることもなければ、仏胴に切っ先をかわされることもないはずです。
 猶、山内派では他派のように両詰で相手を突いた瞬間前のめりになることはせず、あくまでも体は地面に対し直角です。勿論、だからといって他派の突き方を云々しているわけではなく、山内派はそうすると言うだけのことです。
 猶、お年を召されて腰が弱くなられた方で、突くとどうしても前のめりになってしまうという方は以前あったそうです。

            

南蛮胴        仏胴        桶側胴        小札胴

『日本の甲冑・武具事典』−笹間良彦・柏書房−より転載

  

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○惣留

 この業は犬走りとか、あるいは田の畦とか左右に展開することが難しい細い道を一列でやってきた敵を一人一人倒しながら進んでいく業であると教わりました。そこで相手の頭から片手斬りで切り下げつつ進みます。しかし、人によっては是は草むらに潜む相手を斬りながら進む業だと言われることもあります。その場合切り下ろしの位置は非常に低くなります。
 でもわたくしはもし、敵が草むらに潜んでいると知ったとしても、刀で斬りつけるのはいやです。だって、むやみに伏兵に近づくのは怖いですから。伏兵の一人を上手く倒せたところでその間に他の兵に袋叩きにされる公算が高いし、相手が小勢ならまだしも『備前老人物語』に「しげみに陣をとる敵は小勢と見る。また多勢を小勢と見するはかりごとあり」というように、そんな、それと気がつくような数名の伏兵というのは実ははかりごとかもしれませんから、むやみにしかけて不用意に戦端を開くことになれば味方に大損害を与えたり、悪くすればそれが敗因ともなりかねません。それに相手が槍・長刀をもって伏せていたら近づくところを一突きされたらそれまでです。『古今著聞集』の巻第九(武勇第十二)「源頼光鬼同丸を誅する事」に「(鬼同丸)野飼ひ牛のあまたありける中に、ことに大きなるを殺して、路頭に引きふせて、牛の腹をかきやぶりて、其中に入りて、目ばかり見出して侍けり。―略―綱いかゞ思ひけむ、とがり箭をぬきて、死したる牛に向きて弓を引きにけり」(岩波旧日本文学大系)とありますように、伏兵に気がついてこれを討とうと思う時、わたくしならこの故事に習って弓でも鉄砲でもあるいは礫を投げてでもある程度の距離のあるところから攻撃をしかけます。

引用部分口語訳

 放牧されている牛がたくさんいる中で特に大きい牛を殺して道ばたに引き伏せて、牛の腹を割いてその中に入り、目ばかりをだして待ち伏せしていた。―略―綱は何を思ったのがとがり箭を抜き出して死んでいる牛に向かって弓を引いた。  

 又、この業は罪人を並べておいて首をポンポン順番にはねて行く業だという人もあります。罪人の首をはねるなど江戸時代なら牢屋同心の役目であり、いわば「不浄役人」のすることです。英信流の中でも山内派がそう呼ばれるのは英信流が土佐に伝わり、大江正路という人があってこの方が山内子爵に英信流を御伝授申し上げ、その山内家の業を継承する一派ということで「山内派」と呼ばれている訳ですから、御主君に不浄役人の真似、武士に有らざる仕業を御伝授申し上げるということほどの不忠は無いはずで、山内派に限って言えば「首をポンポン」などという残酷なことは致しません。 『東照宮御遺訓』には「天下太平治世長久は、上たる人の慈悲に有ぞ、慈悲とは仁の道ぞ、おごりをたつて、仁を萬の根元と定、天下を治めたまふやうと申べし」(日本教育文庫−家訓篇−)と見えており、士農工商の上に立つ武士の稽古する居合に「罪人の首をポンポン」などという業があったかどうかは大変疑問に思いますが、他の派のことは分かりません。

 余談ですが、刀を収めるとき「パチリ」と音が立つような収め方をしてはいけないと言われます。たしかにそうすると鯉口(鞘の入口)が甘くなったり場合によっては鞘が割れたりしますからやってはいけないことです。しかし、面白いことを言う人が以前いらっしゃいました。闇夜でパチリとやるとその音を目当に鉄砲を撃ちかけられると言うのです。でも、その鉄砲というのが種子島のことなら絶対その心配はないと思います。「闇夜に鉄砲」というのは当たらぬ事の例えに有る位ですし、もしわたくしが鉄砲に火縄をかけて哨戒中、味方が斬られたと分かったら急いで発砲して味方に急を知らせたあとは火縄の火など消してしまいます。何しろ敵は歩哨線を越えて闇夜の中、すぐ其処まで来ているのですから、わざわざ火縄を灯して此方の位置を教えることも有りますまい。まして鉄砲にはそう無闇に火縄をかけるものではありません。わたくしは近くで味方が斬られる物音と鍔なりを聞いて急いで火縄に火を付けて其方を狙撃する腕もなければ、わざわざ自分の位置を敵に知らせる勇気もありません。

猶、陣中、あるは警戒中であるといえども無闇に火縄に火を灯すものではないということに関しては「種子島」の欄の−(4)火縄の事−をご覧下さい。

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○信夫のこと

 山内派の信夫といっても特にかわっているわけではありませんけれど、刀でコツコツ地面をたたくとき体さばきはちょっと違っているように思います。京都の武道センターでお稽古をしている方を見ると大抵刀を平らにして星明かりを反射させながら自分より前の地面をコツコツとたたいておられますね。
 山内派は何れの場合においても刀の平を見せることを嫌います。それでこちらの間合いを計られてしまいますので。そのせいか信夫の時でも刀を平にして相手の方へ向けると言うことはしません。(別に闇夜なんだからいいようなものですけれど)どうするかというと、鍔と拳で刀を隠しながら抜き、頭上を越えて刀が自分の身体の陰に隠れるようにして、反り返りつつ自分の後ろでコツコツと地面をたたきます。

 余談ですけれど、信夫というと能の「錦木」のせいもあってやはり、古今集の「陸奥のしのぶもぢずり誰故に亂れんと思ふわれならなくに」の歌がすぐ思い出されますけれど、居合の「信夫」の業から考えると同じ「錦木」踏まえている歌でも『伊勢物語』の「信夫山しのびて通ふ道もがな人の心の奥も見るべく−人知れず通う道が欲しいものです、貴女の心の奥までみられるために」の方が良いように思います。

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○袖摺返

 昔、他派の方の袖摺返の想定を聞いてびっくりしたことがあります。なんでもすれ違いざまに相手の袂を斬り、びっくりしたところを斬る、という想定だそうです。わたくしなら袂が斬れるなら、相手を斬りますが・・・・。これもきっと何か訳が有ってのことであろうと思いますので、何故わざわざ袂を斬るのかその時質問しておけば良かったと今になって後悔しています。

 山内派ではこの業は護衛にぐるりと囲まれている敵の大将を、その護衛をかき分けて前進して仕留める為の業となっております。最初に習うのは両拳を肩の方に持ってきて両肘を三角にして楔とし、護衛のAとBの間に差し込んで、両者の二の腕のところを肘の辺りで押し開いてかき分けるという事になっていますが、実はそのかき分け方に口伝があり、先に述べたようなかき分け方をし、前進して正面の相手を撃つことが出来るようになりますと、違うかき分け方を習います。

 実際問題として大の男の護衛二人の間に入った瞬間、向こうも満身の力で押しとどめようとするので突入は難しいと思います。ではどうするか。護衛の一人の力を利用して結果的に二人がかりで一人を押しのけるような状況をつくります。敵の大将は画面の上方向(↑)にいるものとし、自身を●で表現し、図示しますと、突入しようとした瞬間護衛のふたりは(A→●←B)というふうにわたくしを押しとどめようとします。そこでわたくしは押しとどめようとする二人の力が加わった瞬間、右へ力を込めて相手を押しのけようとするのです。すると(A→●→←B)と言うように単純に言うとAの力を借りて、Bの倍の力で彼を押しのけます。このようにして敵の防御線を突破した瞬間、わたくし自身は最初の進行コースを右に外れることになるので、相手の大将を左手に見ることになります。そこで敵の大将に斬りかかるときは左前に前進しつつ斬ることになります。

 この時如何に敵の一人の力を利用するからと言っても相手も死に物狂いで押しとどめに参りますから自分の鎧の袖がまくれ上がって「袖摺(の韋)」が返るほどに力を込めて右の護衛の者を押しのけねばなりません。猶、今では「袖摺の韋」ともうしましても知る人も少ないかも知れませんので『日本の武具・甲冑事典』(笹間良彦−柏書房)より引用しておきたいと思います。

 鎌倉時代初期頃までの大鎧の右袖裏は、箙の矢束が格段に当たって引っかかるのを防ぐために、右袖裏後方に上から菱縫上部にかけて細長い韋を留めて矢束の引っかかるのを防いだ。これを「矢摺韋」という。この韋が鎌倉時代から袖裏中央に移り、矢束だけでなく腕の引っかかるのを防ぐ術とした。そして「袖摺の韋」の名目を生じた。

左−矢摺韋  右−袖摺の韋

    

大袖を盾にして進む武士(『日本武器概説』末永雅雄・社会思想社−より転載)

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○受流の−かえわざ−について

 山内派には奥居合の「受流」のかえわざが幾つか伝えられています。そのうちでわたくしが好きなのは正面から打ってくる敵に対し、自分は右足を真横に開いてかわすと同時に刀を抜き、頭を越えて物打ちを肩先に載せ、右手の臂と手首は直角にして万一敵刃をかわし損ねたときも肩を防御するようにし、打ち損ねた敵が今一度と刀を振りかぶるところを具足の透間−脇の下を狙って斬りつけるという業です。
 このとき肩に担いだ刀に敵が斬りつけ、はっとしたらそれがすきですから、敵が振りかぶろうとするより先に敵の両拳、即ち柄を握っている手を払いながら首筋へ斬りつける場合もあるとなっており、「いずれにせよ、甲冑剣法やなぁ」と思ってお稽古しています。

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○「うけながし」−付−岩浪

    山内派にも正座の部の「請流」と奥居合の「受流」があります。両方に共通して言えることは敵の刀をうけながし、ついで敵の方を向き、左足を上げたときは刀を振りかぶっており、左・右と足をトントンと踏みつつ相手を片手斬りに斬ると言うことです。
 このとき、左足を上げて一本足で立つのは相手の変化に応じるためです。例えば相手が下がれば左足を大きく踏み出して斬りますし、相手が覆い被さるように前進してくれば左足をすぐ下に下ろし右足を引きつつ斬ります。一本足で立つと、体は不安定になりますが、相手がどの方向に動こうとも相手の方へ顔を向ければ体も其方へ向きますので、素早く相手の動きに対応出来るという利点があります。
 岩浪の時も抜いた刀を右膝横に押しつけて右足を上げ、左足一本で立ちますけれど、それはやはり、片足で立つと相手の動きに素早く対応できるからで相手が右へ動けば右へ、左へ動けば左へ顔を動かしてしっかり相手を見ていれば自然に体は其方へ動くので、あとは相手の動きに応じて、逃げれば大きく踏み込みつつ突きますし、覆い被さってくれば後ろへ引き、突くのに十分な距離を保ちます。
 ようするに「うけながし」にしろ、岩浪しにろ片足で立つのは相手の変化に応じる為であると山内派では教えます。ですから、大きな足音をたてて相手を脅かすとか、相手の注意を引くとか言った意味合いは山内派にはありません。これは例えば前を抜いたときも同じで、後ろ足で体を前方に蹴り出し、そのままでは体が崩れるので右足でつっかい棒をします。このとき大きな足音がしますけれど、それは結果的に音が鳴ったというだけで音を立てることが目的ではありません。又、前にしろ、右・左、或いは後にしろそれはおなじことであり、前足を浮かさず、滑らして前へ進めてつっかい棒とするやり方もあり、是ですと大きな足とはしません。

 又、余談になりますが、「うけながし」はどちらも刀で敵の刀を防ぎ、それから素早く敵を攻撃するというのは同じです。ところが例えば「軍場の剣」のように敵の刀をよけると同時に相手を攻撃する業もあり、このポイントとなる動きを、一振の刀を防御と攻撃につかう−即ち、刀二振分に使うことから「二刀」と言っています。ですから、刀と脇差を抜いて二振の刀を右左にもって戦う「二刀流」とは違います。
 実際に習った事がないので分かりませんけれど、刀を左右に持って戦うなどということは余程運動神経の勝れた人でないと無理ではないかと思うのですが、英信流の二刀はわたくしのような「どんくさい」人間でもできるの、でわたくしは「英信流で良かったなぁ」と思います。

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○「うけながし」の替え業

 「うけながし」の替え業で刀を抜いた状態から行う業というのもあります。その中で「一番変わっているのと言えば、これかなぁ、やっぱり」、という業についてお話したいと思います。
 この業は「刀を抜いたままの状態からうけながす」、「受け流した瞬間通例であれば敵を左にみるがこれは右に見る」、「突きで相手を仕留める」という点に於いて変わっていると思います。  

 さて、実際の動きですが刀を抜いて右手でだらりと提げる。別に構えは何でもいいのですけれどこれが一番楽ですし、相手が「しめたっ」と思って打ちかかって来てくれるのにはこういう隙だらけの格好の方がよいでしょう。
 で、相手が打ち込んで来てくれたら通常の受流のように刃を上にすることなくそのままの形で切先から刀を持ち上げ物打ち辺りの刀の平に左手を添え、差裏の鎬で相手の刀を受けます。
その瞬間右足を引いて軸回転して半身になると相手の刀は自分の右外へそれますので、左足が前のまま、すかさず後ろ足を蹴ってその力で前進し相手の顔面(本当は別に咽でも、鳩尾でも急所ならどこでも良いのですけれど)を突きます。顔面は甲冑を付けていてもあいている場所ですし、仮に相手が面頬を付けていても目から脳へ刺し通すことは可能ですから。

 余談ですけれど、「受流」と言えばこんな江戸時代の狂歌がありました。  

  貧すれば 質に置く手の 太刀刀 流石は武士の 受け流しつつ   

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○「行連」の替え業

 二人に挟まれて連行されるとき、ふと立ち止まると相手は惰性で先へ進んでいるので一歩前にいるからV字に右・左と斬っていくというのが通常稽古する形です。
 でも、相手もこちらに注意しながら歩いているわけですから、そう上手く行かない場合だってあるでしょう。こちらが急に立ち止まって刀の柄に手をかけようとしたとき、その刀を抜かせまいと二人が真横から私を挟み込むようにし、両手を押さえられたら何もできません。そういうときはまず右の相手の左の二の腕の肱の辺りのつぼを押し返してやる、もしくはその左腕ごしに相手の胴を斬るつもりで相手の腕に斬りつけるというのがあります。
 そこから後の作業は同じですけれど、先日無外流の方にこの業の質問を受けたのであるいはこんな話も面白いかなと思い、書いてみました。本当は相手を突き飛ばしながら斬る話の方が面白いと思うのですけれど。

換え業をもう一つ

 行連の換え業にはこういうのもあります。
 二人に挟まれて連行されているとき、不意に立ち止まります。左右の二人とは打ち合わせをしているわけではありませんので、惰性で二人は一歩、あるいはそれ以上前に出てしまいます。その瞬間左に寄り、さっきまで左にいた人の後ろにつきます。そして即座に右の相手を斬り、そして前の相手(つまり先ほどまで左にいた人)を斬ります。
 勿論、相手二人の反応の遅速によって先に前を斬って、すかさず右を斬るということもあると思いますし、右の相手を斬っている間に前にいる相手が素早く向きを変え刀を抜こうとしたとき、その人が右回りをすることもあれば回りをすることもありますので、その途中に斬りつけるのか、回りきってこちらに正対している相手を斬るのかによって斬る角度は変わるというのは当然の事ですので、二刀目は必ずしも真正面となる必要はありませんが、形としては、二時方向に斬り、次いで十二時方向を斬るという形になります。

○「両詰」の替え業

   山内派では常に前のめりになることを嫌います。従って両詰の時も身体の中心軸は地面に対して直角であり、突いた瞬間に前のめりになるということは有りません。
 普通突くときは刀は床と平行ですが、右手を支点にして左手で柄頭を押し下げるようにし、結果的に相手を突き上げるという替え業もあります。
 この時支点とする右手の位置は割合低いものです。というのは狙っているのが相手の鎧の胴と草摺をつないでいる揺糸の部分ですから。
 防御のない此処から刀を突き刺し、と同時に下腹部から脳天に向かって真上に相手を突き上げるのがこの替え業です。

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