どげざまえって?
どんな街でもポピュラーな待ち合わせ場所があるものだ。たとえば、東京渋谷の「忠犬ハチ公」前などは、日本で最も知られている待ち合わせ場所だろうか。
待ち合わせ場所というのは、その後の行動で自ずと決まってくるもので、飲みに行こうと待ち合わせをするのなら、繁華街の近くで交通の便が良いとこ、ということになるのだろう。
では、京都の待ち合わせ場所として有名なのはどこだろう。ランク付けをするなら、四条河原町の阪急デパート前などは1,2を争う場所だろう。年末や年度始めなど、飲み会が多い時分には、相手を探すのさえ大変なほど、多くの人でごったがえしてる。
もう一つあげるとすると三条京阪だろうか。三条から四条の河原町通あたりが京都の繁華街だとすると、四条河原町はその南側。それに対して三条京阪は北側にあたる。
で、三条京阪の場合、実際に待ち合わせをすると、非常にわかりやすい。なぜなら誰にでも分かる目標物があるからである。
その目標物とは、三条京阪に北西を向き土下座をしている(実際は土下座ではない)石像である。いうまでもなく「高山彦九郎」像だが、その石像、最近どうやら、高山彦九郎像とは呼ばれていないらしい。
先日大学の時の同窓会があり、私の所へもその案内が届いた。その案内状には「どげざぞうまえ」とあった。一瞬「なんじゃこりゃ?」と思ったが、場所が三条京阪だったので、すぐに「あぁ高山彦九郎のことか」と気づいた。でもなんか不思議な感覚を覚えたので、同窓会の時、幹事を担当していた現役の大学生に聞いてみた。すると彼は高山彦九郎の名前を知らないどころか、京都に来てこの場所のことを聞いて以来、ずっと「どげざぞうまえ」と言っていたという。
彼が特別なのだと思っていると、廻りにいた大学生はいずれも「どげざぞうまえ」だと言う。こうなると今度はこっちが不安になる。
念のため、全く違うときに、くだんの大学生とは違う学生に聞いてみたところ、やっぱり「どげざまえ」と言うという。
・・・・・「どげざまえ」ねぇ・・・
まあ石像を見たままを形容したものとして納得もいかないではないが、ちょっと違う気がするなぁ。
確かに渋谷の「忠犬ハチ公」前を「ハチ公」前と省略はするだろうが、それなら像の趣旨そのものは余り違わない。でも高山彦九郎像をどげざ像とは・・・せめて「彦九郎像」くらいにしといてやってほしいなぁ〜っ。
そもそもあの石像の主高山彦九郎さんは、土下座をしているのではない。
幕末、諸国を遍歴していた彦九郎は京都にやって来た。しかしそこには自分の想像していた京都とはあまりにも違う京都があった。戦乱の中、御所は荒れるに任されていたという。彦九郎は、塀が崩れ屋根は落ちかけた御所を見て、その姿に、悲しみ、哀れみ、よよと泣き崩れるしかなかったのだ。悪いことをして「ゴメン」と謝る土下座とは、全く違うのである。
京の入り口三条大橋のたもとの問題の石像、どのくらいの人が「どげざまえ」と呼んでるんだろう?
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