謎解き考−暗号論−
目次
1 言葉と文字
2 古典・史料の「謎解き」
3 暗号
4 謎解きの鍵
5 謎解きの実際
6 行基の謎
7 『続日本紀』の信憑性
はじめに
暗号を解くといっても言葉遊びの類である。暗号を解くには法則がある。暗号の所在は、錠前
と解く鍵が必要であり、そして、両者を合わせることが大事である。つまり、錠前に鍵を差し込
み、回すという行為(解法)がいる。難しいのは、回すという行為である解法である。
暗号を解く鍵は何故そうなっているかを考えることである。人が考えたことなら、よほど捻った
ものでない限り、その考えを再現することが可能であると考える。
分からないものでも答えを見れば、納得できるものである。
通常、ものの命名の理由は忘れ去られて不明である場合が多いが、いつまでも残る山、川、
湖沼、人為的な境界の国・郡・町・村・郷、天皇の尊号や神の名、神社・仏閣の名、人名など
多くの名前には付けられた理由があろう。それを追いかけるのと同様に行基の謎を探りたい。
1 言葉と文字
万葉集13-3254に
「しきしまのやまとの国は言霊の助くる国ぞ ま幸きくありこそ」 とある。
日本とは、元来言霊の幸う国、言霊の助くる国であり、大古よりの学問は天語り、事語言とし
て、親から子へ、子から孫へと累々と口承により伝えられてきた。初めに言葉ありき、その後、
朝鮮半島より漢字が伝わり、また、中国からも伝わった。そして、やまと言葉に外来の漢字が
当てられた。(註1)
従って、大和言葉に無理に漢字を充てたところもあって、少し無理があるところがある。
そのため、使われなくなったのか、万葉集などでは読み切れない文字列がでてくる。
例えば、万葉集16-3889「人魂の佐青なる君がただひとり逢へりし雨夜の葉非左し念ほゆ」
の「葉非左」である。(註2)
『日本霊異記』を開けば分かるように、同じ言葉に異なる文字を当てるところが目立つ。(註3)
漢文体が先であれば、そうならないと思われるが、やはり、言葉が先になり、多様な漢字を
当てている。
特に仲間内などの場合は、符丁を使ったり、「宀一山」のように分かればいいと簡略化した文字
を用いるのである。(註4)
万葉集にも遊びの要素が織り込まれており、万葉集を読み解くことは「謎解き」に近いところ
がある。(註5)
2 古典・史料の「謎解き」
古典・史料の言葉、文字は人によって多様に解釈される。言葉は、歴史学では扱わないようで
あるが、言葉は歴史そのものである。
古典、史料には、時代の真実だけが記載されているのではない。もちろん、虚偽も記載される
ことや過誤もあろう。
書かれた文字史料には、著者の考えが反映される。
特に正史である『続日本紀』には、為政者の意向が反映される。その中で、編集者の判断で属
する組織、立場の違いや意にそぐわない記述を強制されたならば、為政者や責任者に分からない
形で、一定の意図を潜り込ませることがあったかも知れない。正史でなくとも、書や歌の中に比喩
の形で言いたいことを託す方法もあったであろう。
『続日本紀』は、現実に起こりえない架空の出来事が記述される。(註6)
これは、正史に書かれたことがすべて事実ではなく、隠されて伝えようとすることが存在する
ものと思われる。
古典・史料を恣意的に正しく書き直す、伝説や説話は真実性、信憑性がないものと学問に取り
上げず、偽書は返り見ない。これでは、暗号は解けないのである。
伝説や説話がなぜ伝えられ、偽書がなぜ作られたのか、その背景を探ることが肝要であろう。
3 暗号
暗号とは、「秘密を保つために、当事者間にのみ了解されるように取り決めた特殊な記号・こと
ば。あいことば(『広辞苑』)」とある。
暗号を解くといっても、古典・史料の「謎解き」は、軍事用の秘密を解読するのではなく、江戸
時代の判じ絵と同様に言葉遊びの類である。
暗号を解くこと(謎解き)の課題は、文章の解釈もそうであるが、個人によって大きく異なる。
それ以上に、暗号であれば、鍵の所在が分からず、解読する個人の主観に大きく左右される。
独りよがりの考えや思い込み、無理読みなどがある中でどこまで客観性を担保出来るかが問わ
れるので、思い込みを排除し、過剰反応しないよう心掛ける。
多くの人は古典・史料を読んでも、真面目すぎて、書かれたことをそのまま信じ、書かれてな
いことはなかったとするような傾向があり、暗号の存在には関心を持たない。
しかし、その時代の権力者に意にそぐわないことを強制される場合は、対抗手段としての暗号
化はあり得ることではないか。隠喩(註7)や比喩などが駆使されたものと思われる。
現に、時代に対する風刺や権力者に対する批判、抵抗は、落書き、落とし文などで行う事例が
多々ある。(註8)
ただし、暗号の正解を証左するものはほとんど存在しない。強いて言えば、読者の共感、同意
が正解となる。
4 謎解きの鍵
暗号はどうして見つけるか。
一つでは分からないが、対になって分かることがある。言葉の揺らぎの中に隠されたことを見
つけることができる。
文字の多義性、一つの言葉が幾つもの意味を持ち、時には正反対の意味を持つ場合もあろう。
あるいは文字の分解(竹木目は箱の解字)、掛詞(「秋の野に人まつ虫の声すなり」一語に待つと
松を掛ける。)、掛け言葉(語呂合わせ)、序詞(足引きの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜をひと
りかもねむ。) 、枕詞「とぶとりのあすか」「むらぎものこころ(註9)」「みもろつくかせやま(註10)」
「いすくはしくぢら障る(註11)」。
暗号を解く鍵となる案内標識として、誤字、脱字を挙げる。矢印は、方向(江、戸、部、マ、重、
拝)誘導する先を示す。指示(施、見、比、興)、符丁(鶴、亀、桜、菊)、
数字の文字化、万葉集では、四(し)、二(に)、八(や)、十六(しし)、数字の羅列は偶然もあるが、
作為もあろう。
文字の二重(二度)読み。
和歌に六義あり。(註12)
「詩経」の詩の六つの分類法。 風(民謡)・雅(宮廷詩)・頌(祭祀の歌)・賦(ありのままに述べる)・
比(他の事がらになぞらえて述べる)・興(関連のある事がらに託して述べる) 風・雅・頌は詩の
内容上の区別であり、賦・比・興は、表現上の区別[詩・大序](『角川新字源』)。
比のなかには、対を考える。一つでは、分からないことが対になって初めて比較できる。
『行基年譜』の重複
重複もそれを比較することによって、理解できることがある。
裏読み、略語(はぶきごと)、含言(ふくめごと)、当て字、漢字でなくカナを用いる。振り仮名を
つけない。
省略字は、碑文等で使われることが多い。漢字には、篇や旁を除いても同じ音の読み方の
文字がある。文字を正確に表記するのでなく、篇や旁を除いても、分かればよいのである。
そこには、文字を柔軟に考えた先人たちの知恵がある。
上野国多胡碑の「羊」は、「詳」と解き(註13)、昆陽寺鐘銘の「笠池」は、「籠池」と解いた (註14)。
文字の操作、同字を消す。
霊異記、今昔物語集のように、場所、時代を変えるのは、人物を特定できないようにする常套
手段である。
疑問は問題を作る。何故と考えること。不明であることは想像、仮定、仮説を考える。
文字、言葉から歴史を考える手法。本当に伝えたいことな何か。時代によって大きな制約が
ある。その制約を掻い潜って本当に伝えたいことは何かを探る。
連想
『日本霊異記』は、各項目がお互いに連想で関係付けられる構造を持つ。(註15)
従って、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の連想が必要。
吉野裕子は、古代日本人の特質として「ものごとを考えるとき、それを日常身の廻りにいつも
見ることの出来る現象とか事物にあてはめて考えようとしたひとびとであった。それはつまり
「連想豊富な擬(もど)き好き」な人々ということになろうか。(註16)」とする。
ここでは、まさに、古代人になったつもりで、その言葉遊びに精進する。
5 謎解きの実際
(1)蟹満寺の蟹とかえる
八田達夫『霊験寺院と神仏習合』に蟹満寺の説話が詳しく述べられている。
行基と蟹満寺の蟹報恩の説話については、霊異記の「中巻8」と「中巻12」に記されるほか、
今昔物語集や法華験記などにも少しずつ内容が変えられている。
霊異記の二話は、少し異なるが、蟹と蝦(かえる)が娘に命を助けられ、蛇に結婚を迫られた
娘を行基が諭して戒を守らせた結果、蟹が蛇をずたずたにして娘を救う話であるが、変えられた
特徴のあるところだけを謎解きする。
蟹満寺の場所が実在の相楽郡でなく、山城国久世郡となっている。これは、久世と救世が掛け
られ、救世観音に「助けてたもれ」という主題を示すということだろう。
蟹と蝦(かえる)が放生されるが、主役は蟹である。
大きな蟹や多くの蟹は、別には、八蟹とも表記される。
法華験記は、蛇が「五位」の人の姿で現れ、観音に願う呪文が「当に□蛇…」と続く。
「五位」は「語彙・語意(ことばの意味、語義『広辞苑』)」に掛かる。八蟹の「八(捌)」は分け
る意味を持つ。つまり、蟹の字を分けると、解く虫である。虫は元蛇…、虫は「もと、大きな頭
をもっているへびの形にかたどり、まむしの意を表わした。(『角川新字源』)とある。
「蟹」は、まさに蛇をずたずたにすることを現わした文字なのである。
行基の名を冠した言葉が多いように、行基は物事の初めを諭すのである。
(2)万葉集の解読
万葉集の16巻3817は、
可流羽須波 田廬乃毛等尓吾兄子者二布夫尓咲而立麻為所見 田廬者多夫世反
かるうすは田廬の本に我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ(田廬はたぶせの反)
唐臼は田廬のもとにあり あの人はにっこり笑って お立ちになっているのが見える(田廬は
たぶせと読む)「可流羽須波」は未詳。諸本の訓「かるうすは」を、代匠記(初稿本)は、「かる
うす (軽碓)は」と改訓し、万葉考は、「唐臼なり」と注釈した。(註17)
主語の可流羽須を「軽碓・唐臼」とするのは物足りない。
文字のイメージから、「可流→軽い」「流羽」「須=ス(鳥名の語尾につく)」からは、鳥を想像
する。かるうすを繰り返し読むと、カラウス→カラスとなる。
田廬は、雀などを捕らえるザル様のものを田に伏せたもので、えさを撒いておびき寄せた仕掛
けに烏が近づき、ニンマリして視ている様子を詠んだものであろう。
烏の歌をもうひとつ。
波羅門乃作有流小田乎喫烏 瞼腫而幡鉾尓居
波羅門の作れる小田を食む烏 瞼腫れて幡鉾に居り(万葉集16-3856)
波羅門が作っている田を食む烏は、瞼を腫らして幡鉾に止まって居る。
烏は実際は稲穂を荒らす鳥ではないから、その瞼の腫れを、檀那の田を食ったことへの仏罰だ
と見なして戯れたのだろう(註18)とされるが、先例のとおり、田に撒いた種子を食む様子か。
ここに隠されている言葉は、罰当たりの烏→はちあた八咫の烏→八咫烏(やたがらす)である。
三本足の八咫烏は、神武天皇の東征時、熊野から大和へ誘導する伝承がある。(註19)
波羅門が広めようとする仏教を神の使いとされる烏が邪魔をしているよ、そして、その八咫烏
は罰として宮城の幡鉾(註20)に留められているよ、と勝手な解釈をした。
万葉集の謎は、波羅門僧正の歌は波羅門本人が作ったものではないが、一つ見られるのに対し、
同時代の行基については、多くの歌が伝えられているにも関わらず一つもないことである。
(3) 東大寺「過去帳」の謎・青衣の女人
東大寺の修二会(実忠忌)に「三月五日と十二日の夜には、「東大寺上院修中過去帳」が読み上
げられる。…鎌倉時代、承元年間のある年、僧集慶が、例年通り「過去帳」を読み上げていると、
薄暗い荒格子の内に、青い衣をつけた女官風の美しい女性が、まぼろしのように、すうっと現わ
れて、いかにも恨みがましいそぶりで「など我が名を読み給わぬぞ」と言ったという。
女人禁制の浄域のなかに、綺麗な女の人が姿を現わそうなど、夢にも思わなかった集慶は、驚
いて女人を見つめた。僅かにゆらぐ灯明の光に鮮やかに浮かび上がる青衣をつけた女人の白い顔
には、妖気さえあやしげにただよっている。集慶はすっかりあわててしまった。しかし、いったい
それが誰なのか、名前などわからない。とっさに集慶は大きな声で「青衣(しょうえ)の女人」と
読み上げた。すると、その女の人はいかにも満足そうに、にっこり笑うと、そのまま姿を消し
てしまったという。それ以来、「青衣の女人」は過去帳のなかに書き加えられて、現在も読みつづ
けられている。(註21)」とある。
「青衣の女人」は過去帳の中の源頼朝から18番目に読まれることになった。(註22)
この解の鍵は、源頼朝にあり、征夷大将軍である。青は、漢音読みでは、「せい」であるが、
仏教では呉音読み(註23)で「しょう」とされる。
「しょうえ」は、書き換えると「井上(いのえ)」となる。
つまり、「青衣の女人」は、井上内親王である。 (註24)
過去帳の謎(七十)、つまり70番目は、井上親王とあって、井上内親王ではない。
井上内親王は、御霊神社に祀られる霊神であるから避けられたのであろうか、或いは、
「内」がないから、「うちとられた」か。
6 行基の謎
行基は、古代史上もっとも興味ある人物の一人とされる。(註25)
『日本霊異記』には、神通力を持った超能力者としての行基が描かれる。
『続日本紀』の行基伝には「霊異神験類に触れて多し」とある。
とりわけ「文殊菩薩の化身・反化(註26)」「二生の人」「隠身の聖」などが行基の謎を解く鍵の
言葉であろう。行基の謎(七十)は、天平九年である。
拙論では、『行基年譜』の暗号性を指摘し、一部を読み解くことが出来たと思慮するが、それが
妥当かどうかは、残念ながらその解の正誤を証明できないので、読者の判断に委ねるしかない。
自分の頭で自由に思索し、更に多くの行基の伝承から推理・推測することによって、行基伝承
の揺らぎの中に行基の姿を垣間見ることが出来るものと確信する。
そして、『元亨釈書』に、「満誓ハ誰、笠右丞也」とあるように、同じく「行基は誰、○○○也」
を探っていく。
7 『続日本紀』の信憑性
『続日本紀』のような正史に書かれているから、書かれたことは事実であり、また、書かれて
いないからといって、その事実はなかったことと信じ込むことは、正しい解釈、判断ではなく、
その判断の根拠を明確にすべきであろう。誰もが知っていて、書き残すことが不要な場合や書く
に値しないことは書くはずもないから、書いてないからといって、その事実がなかったとはいえ
ない。書かれなかった背景を探ることが大切である。反対に、文字で書かれたことは、その事実
性とともに信憑性を判断すべきであろう。正史であっても全てが書かれているのでなく、常に為
政者の立場から描かれ、反対者の視点は少なく、当然、誤りも含まれるであろう。
また、わざと記載しない、削除したことが予想される。
行基の伝記を中心に『続日本紀』の信憑性を追求していく。
註
(1) 佐佐木 隆『言霊とは何か』中公新書2230、中央公論社、2013年。
(2) 万葉集16-3889「人魂の佐青なる君がただひとり逢へりし雨夜の葉非左し念ほゆ」 の
「葉非左」を暗号的に読み解くと、「魂(たま)」と「雨(あま)」の間に「佐」がある。
「左右=まで」の用例があるから、「左」を「ま」と読み、「葉非左」は「はひま=駅馬」を当てる。
これは、谷口茂著『外来思想と日本人:大伴旅人と山上憶良』(玉川大学出版部、1995年)の「駅(はゆま)を
馳せて(111頁)」「作者が登場人物に成り代わってその心境を歌ういわゆる代作様式(124頁)」の示唆を受け
て、「雨夜にただ一人で人魂にあったように青ざめた顔になっている君は駅馬に乗って早くこの場から駆け
去りたいことだろうよ」と勝手な解釈をした。
(3) 例えば、「ともから、ともがら」に、党、例、流、儔、儕を当てている。
(4) 写経生歴名の坂合部を坂合マとする。(大日本古文書2-297)
(5) 万葉集9-1789に「左右」の文字は「まで」と読む。
同じく9-1787は、「山上復有山者」は、「山山」が重なり、「出る」となる。
(6) 神亀4年5月20日「楯波池より飄風忽ちに来りて南苑の樹二株を吹き折れり。
即ち化し雉と成る。」
天平宝字2年2月27日「部下城下郡大和神山に奇しき藤を生ぜり。その根の彫り成す
文十六字『王大則并天下人此内任大平臣守昊命』とあり」
(7) 「隠喩とは主たる表象を後方に斥け、それと内的に類似する他の表象を表面に出すやり方
である。」(和辻哲郎、『和辻哲郎日本古代文化論集成』書肆心水、2012年、193頁。)
(8)「捨て文」「捨訴」『国史大辞典』第8巻、吉川弘文館、1987年126-127頁。
(9) 中村直勝『日本史』第1冊、白川書院、1965年、10頁。
(10) 田辺英夫「鹿背山通信3―みもろつく鹿背山―」『やましろ』第22号、城南郷土史研究会編、2008年、
48-49頁。
(11) 忍海野烏奈羅「難読地名考 鷹等・鯨(くぢら)」
(12) 『古今和歌集』新日本古典文学大系5、岩波書店、1989年、339頁。
(13) 拙論「お羊様考」
(14) 拙論「行基の伊丹における活動を巡っての一考察」
(15) 「隣りあった説話に内的関連による連続がみとめられる。たがいに隣りあった説話のそれぞれ
のめ立たない一部分を共通項として「しりとり」が行なわれている。…これらは、必ずしも隣接した
説話が抽出されるわけではないのだが、順次に説話の連鎖がみとめられる。」(出雲路修校注
『日本霊異記』新日本古典文学大系30、岩波書店、1996年、311-316頁。)
(16) 吉野裕子『日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰』講談社学術文庫、1974年、8頁。
(17) 『万葉集四』新日本古典文学大系4、岩波書店、2003年、32頁。
(18) 同上、52頁。
(19) 『古事記』「八咫烏」/『日本書紀』神武天皇即位前紀「頭八咫烏」/『廣文庫』名著普及会「やたがらす」
(20) 「銅烏幢」『群書類従』第7輯、巻第九十二「文安御即位調度図」
(21) 増尾正子『奈良の昔話』まほろば出版会、2003年。
(22) 行基は、聖武天皇から初めて4番目に読まれる。(牧野英三「東大寺二月堂声明(?−a)過去帳」『奈良教
育大学紀要』第32巻第1号(人文・社会) 1983年、110頁。/『東大寺お水取り−二月堂修二会の記録と研
究−』小学館、1996年。)
(23) 仏教関係語は呉音で読むという原則(田中淳一郎『やましろ』第21号、城南郷土史研究会編、
2007年、18頁。)
(24) 「東大寺上院修中過去帳」には、聖武天皇から数えて70番目に「井上親王」があり、71番目「安積親王」、
72番目「不破内親王」があり、この三人は縣犬養廣刀自の所生であるから、その並びでは「井上親王」は
「井上内親王」の誤りである。親王は通常男王を指すから、「青衣の女人」は呼ばれなかった不満を表明した
ということになるか。
東大寺要録巻第1には、妹「不破内親王」に対して、「皇女井上斎内親王」とされている。
(25) 長山泰孝『行基の布教と豪族』大阪大学教養部研究集録第19輯、昭和46年、25頁。
(26)『古事談』巻1-2に「霊亀反じて美女となる。」という謎がある。この解は、「霊亀」を反対に
すると、「亀霊」となる。つまり、「きれい」となるから美女である。「文殊菩薩の化身・反化」
は、もう少し捻らないと解けない。
参考文献
八田達夫『霊験寺院と神仏習合』岩田書店、2003年
小野恭靖『ことば遊びの世界』新典社選書、2005年
横井清「歴史の中の遊び」『的と胞衣』平凡社、1988年
[行基論文集]
[忍海野烏那羅論文集]
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