俳句絵解き草子(14)    
磯 野 香 澄
古都一望将軍塚の天高し 香 澄

道を間違って知恩院の参道へ入ってしまい、お天気も良いし時間もあります。そこで知恩院の鐘は除夜に音だけ聞いているけど、どれだけ大きいのか見てこようと裏道へ回ると簡単に行けて上の方へ道が続いています。上に何があるのかと登って行きました。道幅は広いのですが手強い道です。何故か引かれてどんどん上へ登って行きました。そのうちに山の尾根みたいな処へ上がってしまい、ここは何処なのだろうと見回すと垣みたいな物がみえます。こんな山の上にと行ってみますと大日堂と云うお寺なのです。拝観できると云うので入ると外へ出てしまいました。ここは将軍塚と云って鎧兜を納めた塚があると云う事でお寺の拝観ではないのです。でも将軍塚と云うのは地名みたいな感じでよく聞いていたので、ここが将軍塚なのかとやっと自分の居場所が分りました。結局ここの見せ物はお堂でもなければ塚でもない京都が一望できる見晴らしでした。由緒書きにその昔桓武天皇が都を移そうと当時山城と云われたこの地の視察に来られた時、ここから展望されたとあります。私は幼い時おじいちゃんがあぐらの中に私を抱いて「うちの先祖さんは今から千年程前に桓武天皇さんが奈良から京都へきやはった時についてきやはったんや」と話してくれたのを思い出し、記録や伝承から御先祖は下級の先兵だった様に思えますので、ひょっとしたら御先祖もここから眺めて、遷都の構想を聞いていたかも知れないとちょっとしたロマンに浸りました。その当時は眼下の盆地一帯に潅木が生い繁っていて山の凹地だったそうですが、今こうして眺めると京都の他何物でもないと云った感じで、近代都市が眼下に息ずいています。私達は桓武天皇が構想された都の出来上がった様子を眺めているのだと、そして反対に千二百年前の潅木の原野を想像していました。世間によく知れた将軍塚と云うこの呼び名は何となくこの場所にふさわしい感じで、秋の空は今も昔も同じ様に高く澄み渡ってこの地ならではの秋の空、ここの今の空が最もな天高しだと俳句の真髄を味わっていました。

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