俳句絵解き草子(19) | |||
磯 野 香 澄 | |||
無住寺の坂やかりんの実が転げ 香澄 | |||
推喬親王の隠棲された高雲寺はお寺と云うより人家と云った方がよい位で、今では里町の大事な拠です。私の子供の頃は大きな銀杏の木があってその下に小さいお堂ががありました。今では両方共ありませんが、でも千二百年を修復修復で原形に近い姿で今に至っているのです。文徳天皇の第一王子である推喬親王は、悲運の王子として歴史書にもそして今の広辞苑にも載っていますが、村人がその隠棲を支えると云うかお守りする為に建てられたもので、以後里町の菩提時として折々の行事が行なわれているのです。このお寺の最も中心的な行事はお盆の松上げです。盆の送り火として松上げは他にもありますが、この寺の松上げは宗教色ゼロで今の言葉で云うなら火のショ−です。それも千二百年えいえいと引き継がれているのです。この松上げが始められる様になったいきさつは、厳しい陰棲をしいられていらしゃる親王さんをお慰めする為に始められたと云う事で、お寺の向かい側の山に京都の大文字の様に火文字を上げたらと相談が出来て、その山は持ち主が支流の部落の人なので、お盆の一晩だけ使わせて欲しいと事情を話して頼みに行ったのだそうです。快諾してもらえたのですが条件としてこっちの部落にも火文字が見える様にしてほしいと云う事だったそうです。その約束を果す為に考案されたのが、枠を文字の形に作りそこに松明を括り付けてそれに火をつけてから枠ごと立てるのです。そのうちに松明が燃え盛り文字の形が闇に浮き上がって見えるのです。一応合図でお寺の方へ見せておいて、次に約束の支流の部落へ枠ごと角度を替えて見てもらい約束を果たして、再びこっちへ向けてお寺の方へ見せるという趣向です。それが推喬親王が去られた後も一度も欠かさず毎年火文字のショーが続けられているのです。寺の大銀杏はなくなったけど柚やかりんが実をつけて入り口の閉まった坂に転げているのです。大方は谷に転げ落ちてしまうのですが、石段に二三個止まっているのを見ると無住寺の寂しさみたいなものをしみじみ感じるのです。 |