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第4章 情報について


 「パソコンを使って通信すること」は、他の多くの趣味的なことと何も違っ
たところはないと思います。多くの人は、通信することが楽しい、パソコンを
いじるのがおもしろいからというような理由で通信を始めるのだと思います。
もちろんビジネス上の必要に迫られて通信という手段を利用しなければならな
いこともあるでしょうが。
  BBS と言われるパソコン通信ネット局のほとんどは、運営者や主催者が自費
で機材を揃え、それこそ「好き」が高じて ホスト局を開設してしまったといっ
たことも多いのではないかと思います。したがって個々のネットには Sysop 
の好みが反映するだろうし、それこそが草の根のネットの魅力になって同好の
志が伝え聞いて「場」に集まって来る、こんな姿こそ BBS の典型かもしれま
せん。
   そういう意味では小さな BBS というのは存在そのものが貴重なものである
し、集まりそのものに意味がある「場」かもしれません。通信というとすぐに
何か役立つ情報を通信で得られるかのように言われますが、通信上での「情報」
というのはとても雑多なもののなかから自分が発掘するもの、あるいは自分の
感性に訴えるものにピンと反応する、それを価値ある情報として生かすのは自
分でしかないと私は思っています。「価値ある情報」が棚ぼたで落ちてくるわ
けではないし、「これが情報です」といってただ存在するわけでもないでしょ
う。自分が欲しいものは何なのか、それはどこに行ったらあるのか、そして掘
り出す方法を自分で見つける、それが通信という手段を利用する大きな意味で
もあると思うのです。このようなことは小さなパソコン通信ネット局に参加す
ることも、大規模なインターネットに参加することも基本的な姿勢は同じとこ
ろにあると思います。

  通信をするためにはパソコンの操作が出来ないといけないわけですが、これ
ばかりはやはり最低限の技術を身に付けないことにはどうしようもありません。
けれど、技術のかなりの部分は慣れることで補うことが出来るものです。まず
は続けること、それが通信と関わる上では大事な要素かもしれません。

  パソコンという道具を使って人と人が関わりを作ること、そして、そのよう
な関わりを通じて、自分にとって価値と意味のある情報を掘り起こすことが通
信をすることとも言えますから、実際のところは通信をするということは、思
いのほか忍耐や努力のいるむしろ地道な作業であるかもしれません。です
から、通信をするために必要なことは、パソコンの操作方法に重点があるので
はなく、むしろ自分の感性をみがくことであり、自分の欲求が何なのか、通信
で何をしていきたいのかを自ら見出すことだと思います。

  通信という手段を使うからといって、すべてのことが手軽に簡単に出来るよ
うになるわけでもないし、ましてすべてのことがスピードアップするわけでも
ないでしょう。
  ホームページを作った頃から、全然知らない方からよくメールを頂くように
なりました。ホームページを見ましたという感想を頂くのはとてもうれしいも
のです。ホームページの表紙に英語版を作っているせいか、外国の方からのメー
ルが結構よく届きます。それこそさまざまな国の方からメールを頂き、なかに
はかなり長い期間に渡ってメールのやり取りが'続くこともあります。こうい
うことはインターネットでしか出来ないことで、とても素晴らしい経験だと思
います。昔でいえば「海外文通」とでも言ったところでしょうか、電子メール
という手段を使えばどこの国の方とでも、とても気軽にメール交換をすること
が出来て、とても楽しいものです。

  ところが最近ちょっと首をかしげるメールも増えています。全く知らない方
からの「質問メール」もよく届きます。お尋ねの質問に答えてもたいていは返
事など来ないというたぐいのメールです。
  知らない町で、知らない方に道を聞くようなことはあっても、日常生活で見
ず知らずの人にきわめて個人的な関心事に関わる何かを教えてくれといきなり
頼むことはほとんどないと思います。日常生活では誰かに何かを尋ねるなら、
まずは関わりのある人に尋ね、また誰かを紹介してもらうといった手続きをふ
むのが普通です。通信上ではそこまで手順を踏む必要はないと思いますが、メー
ルを受け取った人が納得できる内容のメールであれば、通信ならではの交流も
また生まれるはずです。ところがこうしたこと一切がはぶかれて、時には自己
紹介もなく、いきなり質問メールが届くこともありますが、やはり、画面の向
こうには人がいるという人のつながりの文化を育てていきたいものです。

  急がば、回れ、そんなことわざはやはり生きていると思うわけで、先輩たち
が築きあげたものを大事にしながら。さまざまなことを試行錯誤しつつ、何事
にも自分の方法を見つけ出すこと、このようなことは通信に限らずとても大事
なことだと思います。


●あとがき

  このレポートは私がこの8年ほどの間、私がパソコンとどんな風に遊んでき
たか、あるいはちょっとオーバーに言うなら、どんな風に格闘してきたかとい
う私的メモです。

  Jsm House 用に INS 64 ライトという回線を引き、 それまで他人名義の電
話回線の上で動いていた Jam House という小さなパソコン通信ネットが、名
実ともに私が運営するネットになった98年2月10日、私はとてもうれしかっ
た。何をそんなにうれしいと思ったのかは定かではないけれど、何かしがらみ
のようなものからふっ切れてとても自由になったような気持を味わったのがと
てもうれしかったのです。そうしたら、ふと私とパソコン通信のことをどうし
ても書いてみたくなりました。
 そのまとめが終了したら私の気持はまたどのように変わるのか、
 まだわからない。
  振り返ってみればこの8年ほどの間、私は日々パソコンと向き合ってきた。
そして何をしたというわけではないけれど、それはそれで楽しい日々だったの
だろうし、ある意味ではとても充実した日々でもあったのでしょう。そして今、
何が残ったのか、それも不明。もしかしたら多大な時間を無駄に費してきただ
けかもしれないし、パソコンと向き合うよりはもっと他にすることもあったの
かもしれませんし、それをやっていれば、別の人生を歩いたかもしれないなと
も思う。もちろん24時間パソコンをいじっていたわけではありませんから、
他にやりたいこともそれなりにやってはきたけれど、パソコンというのは不思
議なもので、のめり込んだらどこまでものめりこめる代物でもあるのです。の
めり込んだら、それこそ不思議の世界がどこまでも続き、果てがないのではな
いかと思います。

  このレポートを書きながら、これがちゃんとした形を取ることが出来るなら、
私はもしかしたらいままでと違った形でパソコンとつき合うようになるかもし
れないなと思っています。とてもいい気分でそう出来るのではないかと思うの
です。それはどんな形?さあ、今はよくわからないのです。でも、恐らく私は
とても自然にまた私の方法を見つけ出すだろうと思います。

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