My Essay マザーグースの散歩道


私のMother Goose のページ

「マザー・グース」?
ぶたが空を!
濃霧
猫にバイオリン
Daffy ラッパスイセン
バビロン
復活祭の食べもの(2)クロスパン
復活祭の食べもの(1)パンケーキ



「マザー・グース」?

「マザー・グース」と言う本があるから私もそれほど深く考えることもなく、
「マザー・グース」と呼んできました。ネット上にあるTHE REAL MOTHER
GOOSEと手もとにある英語原文のTHE REAL MOTHER GOOSEをもとに、私がとっつ
きやすいものから日本語にしてみると、その世界にいままで思ってもいなかっ
たおもしろさを見出すとともに、これらの唄を「マザー・グースの唄」と言う
のはなにやらちょっと変かもしれないと思うようになりました。より多くの唄
に触れてみると、「マザー・グースの唄」というよりは、やっぱりこれは ナー
サリー・ライムズNursery Rhymes と呼ぶほうがしっくりいきます。

日本語訳のほとんどは「マザー・グース」になっていますから、「マザー・グー
ス」がたとえ伝承童謡のようなものだと言われても、「マザー・グースの唄」
全体の主人公は「マザー・グースなの?」と解釈してしまうとしたら、これは
やっぱり誤解が生じていることになりますね。

MOTHER GOOSE というタイトルになった英語の本の多くにも、また日本語訳の
マザーグースのなかにも、たいていOLD MOTHER GOOSE という唄が収録されて
います。

Old Mother Goose, when
She wanted to wander,
Would ride through the air
On a very fine gander.

マザーグースおばあちゃん
お散歩はいつも、
がちょうに乗って空を飛ぶ。

たいていの本では、この1節だけを掲載していることが多いのですが、この唄
はさらに続きがあり、どうやら全部で15節あるものが一番長いようです。

「マザー・グース」の本のなかで、Mother Goose という言葉が出てくるのは、
たぶんこの唄だけだろうと思いますが、この唄のなかに出て来るMother Goose 
が「マザー・グース」という世界の主人公かというとそういうわけではありま
せん。このMother Gooseの唄もまたナーサリー・ライムズのひとつです。

 Mother Gooseという言葉がはじめて使われたのは、1697 年に Perrault's
collection(ペロー童話集) でした。この本が"Contes de ma m�.A�Nhre l'Oye"あるいは 
"Tales of MotherGoose" で、MotherGoose は伝承のあそび歌(唄)やお話を集めた
本のタイトルに使われたのです。
この本は現在日本ではペロー童話集「過ぎし昔の物語」として入手できますが、
もともとは散文による8篇が1冊にまとめられたもので、 1697 年に
クロード・バルバン書店から刊行されたものです。原本には「糸を紡ぎながら
昔話を語るおばあさんと、一心に聞き入る子どもを描いた口絵」があるそうです。
(ペロー童話集、岩波文庫)その口絵に見える老婆の背後に「がちょうおばさんの話」
と書いた札がかかっていて、この「がちょうおばさん」が Mother Goose なのです。
ペローの童話集が英語に翻訳されたのは1729 年、この英訳本のサブタイトル
は「マザーグースの物語」だったということです。(参考:「マザーグースの
唄」中公新書)

というわけで「マザー・グース」はペローの本のタイトルであったわけで、こ
の童話集が、1729年にフランス語から英語に翻訳されました。つまり「マザー・
グース」とは最初は特定の本のタイトルだったわけです。しかしながらイギリ
スに古くから伝わる伝承童謡ナーサリー・ライムズという言葉よりは「マザー・
グース」というタイトルのほうが有名になってしまい、「マザー・グースとは
ナーサリー・ライムズのようなものですか」などという主客転倒したようなこ
とになってしまったのでしょうね。

マザーグースの起源については以下のところで簡単な解説を見ることができます。
Origins of Mother Goose 
The Real Mother Goose -- Introduction by May Hill Arbuthnot

1697 年にまとめられた Perrault's collection は"Contes de ma m�Nhre
l'Oye"あるいは "Tales of Mother Goose" というタイトルでしたが、"Contes
de ma m�Nhre l'Oye"はラヴェルの作品にもなっています。1910年に出版された
ラヴェルのピアノ組曲「マ・メール・ロア」は、子どものためのピアノ連弾曲
で、おとぎ話に基づく5つの小品を集めたものです。



豚が空を!

THE FLYING PIG

Dickory, dickory, dare,
The pig flew up in the air;
The man in brown soon brought him down,
Dickory, dickory, dare.

おやおや、まあ、なんてこと!
ぶたがお空に飛んでった。
男が銃でしとめたよ。
おやおや、まあ、なんてこと!


この唄はおもしろいですね。豚が空を飛ぶというのがまずはおもしろいですが、
いろんなイメージを描けそうな唄だと思います。どんなことをイメージするか
によっては状況がかなり違ってしまいます。

最初に読んだときは、へぇ~、豚が空を飛ぶか、そりゃあ、おもしろい。肉に
加工されるのがいやで豚が逃げたという解釈ですね。空に逃げてった豚を「茶
色の服のおじさん」が追いかけていってひきもどした、と解釈したのですが、
何かしっくりこない。そこで何か参考になる訳はないかと探してみると、

「マザー・グース事典」p.202 にある松原至大訳がありました。
豚が空に飛び上がった。
とび色の服着た男がひきもどした

気になる中の2行はこんな風に訳されていました。
この訳は私が最初に考えたものとほとんど同じですね。

Dickory, dickory, dare.は松原訳では「ひょっくり、ひょっくり、おやおや」
という訳になっているのですが、ちょっとした驚きを表す言葉。

The pig flew up in the air;
The man in brown soon brought him down,

この2行、少しひねってみました。
2行目の最後が air になるのは、1行目の最後が dare なので、音あわせでair。
 flew up  なので、次の行で brought him down と受ける。
それからちょっとひっかかったのが The man in brown です。
ごく普通には「茶色の服を着た男」なのでしょうが、なんで brownなのかを
訳した時にも意味を持たせたほうがおもしろいです。

fire into the brown となると発砲するとちょっと恐くなりますが、
この行を声に出して読むとなかなか調子がよいです。
 brown, brought,down
 
bring down には、つれ戻すとか救いだすくらいの意味なのですが、
brown の解釈によっては
空に飛んで逃げた豚を銃でしとめる、とちょっと過激な解釈も悪くないけれど、
ちょっと刺激的ですか。
でも、茶色の服着た男がつれ戻した、ではなんかちょっとイメージダウン。
それならいっそ空飛ぶ豚を銃でしとめた、とするのはいきすぎかな。
いろんなイメージを描いてみて、訳はまた考えてみましょう。

さて、ぶたが空を飛ぶといえば、これはもう「紅の豚」の映画を思いだしまし
た。このアニメに出てくる豚さんは戦闘機のパイロットですから、空飛ぶ豚に
したらちょっと恰好がよいです。そして、このなかで加藤登紀子さんが歌った
「さくらんぼの実るころ」はとても素敵な歌ですね。


濃霧

霧がたちこめた真っ白の朝。かなり濃い霧のなか少し先に人がいるのはわかる
けれど、顔がはっきり見えない。そんな深く濃い霧に会うことは珍しいけれど、
経験がないわけではない。霧のロンドンと言われるほどロンドンは霧が多いと
言われますが、さて、どれくらい濃い霧が町をつつむのでしょうか。

One misty,moisty morinig,
When cloudy was the weather,
I chanced to meet an old man clothed all in leather.
He began to compliments, and I began to grin,
How do you do,and how do you do?
And how do you do again?(The Classic Volland Edition)

灰色の霧がもわもわとたちこめた朝のこと、
もちろん空も灰色、あたりも灰色。
灰色づくめの服を来たおじいさんにでくわした。
おじいさんはとってもていねいなあいさつをおはじめになった。
もしかして人間違い?と苦笑い。けれど、互いに、
ごきげんいかが
ごきげんいかが

この唄のおもしろさは、内容的には深い霧のなかで出会った人が誰なのかわか
らない。けれど、その人が丁寧なあいさつをするので、思わず丁寧にあいさつ
を返してしまうというところにあるのですが、そんな話に発展する糸口は、
the weather と、
in leather という韻をふんでいる言葉にあると思います。

I chanced to meet an old man clothed all in leather.

言葉のまま日本語にしてしまうと、なぜことさら革の服を着てと言わないとい
けないんだろうと、なんだかすっきり落ち着かない。 weather なので、
leather になっているだけですから、本当のところは革のジャケットでもどん
なコートだってかまわない。深い霧のなかでどんな服を着ているのかもわかり
にくい、そこで、その人が誰かわからないというところにポイントをおいてみ
ました。とっても丁寧に挨拶をしてくださるけれど、おじいさんに思い当たり
がない。誰かと勘違いしてるんだろうなと思いつつ、おじぎをかえしたという
ところでしょうか。

英語の唄を読んでみると、weather と leather の韻をふむ音におもしろさが
あるのですが、日本語にしてしまうと本来のおもしろさが消えてしまう。そこ
で少し色をつけて灰色の霧、灰色の服で内容のおもしろさを出してみました。



猫にバイオリン

マザーグースの唄にはいろんな猫が登場します。

Hey, diddle, diddle!
The cat and the fiddle,
The cow jumped over the moon;
The little dog laughed
To see such sport,
And the dish ran away with the spoon.

や~い!う~そじゃないよ、ほんとだよ。
ねこがバイオリンをひいてる。
うしが月をとびこえた。
ばっかじゃないのとこいぬは笑った。
そうしたらお皿がスプーンをつれて逃げてった。


Hey, diddle, diddle!
これは一種のはやしことばのようなもので強いて訳をする必要はなくて、ヘイ!
ディドル、ディドルと音のままになっている本もありますが、日本人にはなじ
みにくい音ですよね。この唄は「ありそうもないこと」を並べておもしろがっ
ている唄。
diddle ときたので、 fiddle で韻をふみ、
moon には spoon が韻をふんでいる形になっています。
ですから猫にバイオリンに意味があるわけでもないし、
牛が月に向かってジャンプすることに意味があるわけではなくて、
やはり言葉のおもしろさの流れが唄を形づくっているものでしょうね。

英語で読んでこその唄であるのは確かなわけで、Hey, diddle とくるから、
fiddle と受ける。だから唄の内容に意味を求めてはいけません。でも言葉を
並べてみると妙におもしみがあって笑ってしまうという唄だと思います。

そこで、日本語にしてみると、
Hey, diddle, diddle!が音のままだと、なんだか浮いてしまう感じがするので、
や~い!う~そじゃないよ、ほんとだよ。
としてみました。

猫って不思議な動物でほとんどの場合人の言うことなんか聞きません。猫はき
ままに自分の興味のあることに興味を示すだけ。猫にバイオリン、猫はバ
イオリンなんかどうでもいいやという感じで「ふん!」ってところでしょうか。
その猫がバイオリン弾いてるよと言われると、そこはやっぱり「うっそ~!」
と言ってみたくなる。牛が月までジャンプした、「うそでしょ」。牛がそんな
ばかなことするわけないよと犬が笑ったんだと言っても、「まさか、あほらし」
とこういう具合に続く唄なんだろうなと。ありそうでないけれど、そう言うこ
とが妙におもしろい、そういう感じがしますね。

たまにこの唄がのっている絵本があります。そのような絵本では猫がバイオリ
ンをひいている絵になっていたります。そんな絵が実はちょっと不満。という
のは、猫がバイオリンを弾いているよ、うっそ~!と受けたいんだけれど、猫
がバイオリンを弾いている姿がけっこうさまになっていてうそっぽく見えな
かったりする。

The cat and the fiddle, は言葉通りに訳すなら「猫(と)バイオリン」ではな
くて、「猫(に)バイオリン」が良いなと思う。そして、猫がバイオリンを弾い
ていても、なんかもっと意外な面をできないものかなとふと思ってしまった。



Daffy ラッパスイセン

Daffy-down-dilly has come to town
In a yellow petticoat and a green gown.

ラッパスイセン
黄色いスカートをはいて、
緑のマントを着ているよ。

Daffodil、Daffy はいずれもラッパスイセンですが、Daffy-down-dilly の文
字通りの意味は、恋に落ちたおろかもの、でしょうか。ラッパスイセンの花言
葉は「尊敬」とか「片思い。ギリシャ神話にも登場する花ですから「ダフネ」
にも通じるのかと思いましたら、ダフネはDaphn でアルカディアの河神の娘。
アポロンが彼女を愛して追ったが、父神の助けによって月桂樹に化したという
ことですからラッパスイセンとは直接関係ないようですね。ラッパスイセンは
イギリスを代表する花でもあり、Walesウェールズを象徴する花です。

短い唄ですが、ラッパスイセンのイメージがとても鮮やかに浮かびます。ラッ
パスイセンの詩といえば、William Wordsworth のDaffodils を思いだします。
この詩を英語原文で見たときに、なんて素敵な詩だろうと思いました。私訳は
こちらにあります。

Mother Goose に出て来るこの唄、
Daffy-down-dilly has come to town

という表現があまりにも強烈な印象を与えてくれてとても印象に残りました。
ラッパスイセンの群れがダンスをしながらおしよせてくるように思う!などと
いう風景に残念ながらまだ出会ったことはありません。




バビロン

How many miles is it to Babylon?--
Threescore miles and ten.
Can I get there by candle-light?--
Yes, and back again.
If your heels are nimble and light,
You may get there by candle-light.

(1)
バビロンまではどれくらい?
60マイルと10マイル
ろうそくのあかりでそこまでいける?
ええ、戻ってこれますよ。
あなたの足が軽やかならば、
ろうそくのあかりでいけるはず。

(2)
バビロンまではどれくらい?
60マイルと10マイル
夕方までにはいけるかな?
ええ、戻ってこれますよ。
あなたの足が軽やかならば、
夕方にはつけるはず。

訳文を2つ考えてみました。
ひっかかっているのは、
Can I get there by candle-light?--
You may get there by candle-light.
この2つの文章に出て来る by candle-light です。
by daylight 明るいうちに/by moonlight 月の明りで、と似た使い方で、
最初は単純に「ろうそくを持って」という意味なのかと思ったのですが、
いったいどういう意味があるのかと考えてしまった。
単純そうな文章のわりには日本語にしにくいですね。
いくつかのマアーグースの本を見てみましたら、by candle-lightの部分は
「ろうそうの灯が必要になる頃」という(2)のほうの意味になっていました。
そうかと思ってじっくり見ると、
Can I get there by candle-light?-
私はそこでろうろくの灯をもらえるだろうか?
ということですから、そこについく頃には灯が必要になるということですから、
「夕方」とするのがよいですね。

ところで「バビロン」という言葉は小説のタイトルなどにもよく使われます。
児童文学関係だと、
バビロンまではなんマイル ポーラ・フォックス 掛川恭子訳 冨山房 1976年初版
原題 How Many Miles to Babylon? Paula Fox,1967
という本があり、ブラッドベリの短篇集には「バビロン行きの夜汽車」
フィッツジェラルドの短篇集には「バビロン再訪」というのがあります。
「バビロン」とは繁栄をきわめた都で華美で悪徳の象徴のようにも使われます。
私はバビロンと聞くと「バビロン捕囚」という言葉がすぐに浮かんできます。

バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
(詩編137)





復活祭の食べもの

イースター(復活祭)の食べもの(2)

  四旬節の始まり灰の水曜日の前の日に食べるという「パンケーキ」に続いて、
イースターにまつわる食べものに「クロスパン」というのがあるそうです。
 Mother Goose の唄のなかに「焼きたてクロスパン」という唄がありました。

 「Mother Goose」は、日本ではマザーグースと呼ぶのが一般的になってきま
したが、 イギリスではナーサリー・ライム(ズ) Nursery Rhymesというほうが
ごく普通のようです。日本でいうなら「伝承わらべ唄」に似たものですが、韻
をふんでいることにとても特徴があります。伝統的な生活習慣や遊びが唄に読
まれていることが多くとても興味深いものがたくさんあります。

HOT-CROSS BUNS

Hot-cross Buns!
Hot cross Buns!
One a penny, two a penny,
Hot-cross Buns!

Hot-cross Buns!
Hot-cross Buns!
If ye have no daughters,
Give them to your sons.

焼きたてほかほかの十字架パンはいかが
十字架パンはいかが
ひとつ1ペニーだよ、いや、2つで1ペニーにするよ。
焼きたてほかほかの十字架パンはいかが

焼きたてほかほかの十字架パンはいかが
十字架パンはいかが
おじょうちゃんがいないなら、
ぼっちゃんたちにどうぞ。

 「焼きたてのクロスパン」でもよいと思ったのですが、あえて「十字架パン」
にしてみました。どんなパンなのかと写真を探してみましたら、丸パン(日本
でもこのような丸パンをバンスという名前で売ってますね)の表面に白いアイ
シング(砂糖衣)で十字を描いたものでした。切り目をいれて十字の模様をつけ
たパンもあるようです。パンそのものはプレーンなバンズが普通でしょうが、
レーズン入りなどもあるようです。

クロスパンは、復活祭前の金曜日(キリストの受難記念日)Good Fridayの朝食
に食べる習慣があったそうです。金曜日の朝にはこの唄のように町のパン屋さ
んではクロスパンを売ったのでしょうね。

 ところで受難の金曜日のことを、Good Friday と言うのですが、God Friday 
ではなく、なぜ Good Friday というのかについては、いろんな説明もあるよ
うです。単にもともとは Good ではなくてGod だったけれど、キリストの十字
架こそ救いであるから人間にとっては Good なのだと言われると、納得してし
てしまいそうですね。でも、「不幸の日」だと書いてある辞書もありますし、
キリストが十字架にかけられた日なのでキリスト教国では不幸の日とされる
(→Good Friday)、なぜ Good Friday なのかについては諸説ありそうです。

ところで受難劇は the Passion なのですが、私は passion というと、受難の
意味よりは情熱的なとか、とても激しい感情という意味のほうが先にきて、
「受難」と「情熱」がなぜか自分のなかで結び付かないもののように思えたこ
とがありました。でも、考えてみれば、ゲッセマネでの祈り(マタイ26:36 あ
たり)は、イエスの激しい祈りpassion ですね。


パンケーキの日

イースター(復活祭)の食べもの(1)

PANCAKE DAY

Great A, little a,
This is pancake day;
Toss the ball high,
Throw the ball low,
Those that come after
May sing heigh-ho!

  「パンケーキデー」とはいったい何の日だろうと妙に気になってしまいまし
た。マザーグースの日本語訳本はいろいろありますが、マザーグースとい
うのはそもそもが伝承遊び歌(唄)ですから、オリジナルの本にもさまざまな編集の
ものがあり、日本語に訳されていないものもいまだにたくさんあるようです。
このPancake Day の唄も日本語訳はもしかしたらないかもしれません。

  マザーグースのおもしろさは、まずは韻をふんでいる「音」にあって、「韻」
を踏む言葉をつないでいくことで、結果的に「おもしろいお話」を作り上げて
いるものが多いですから、日本語にしようとするとその肝心要の「音」が消え
てしまい、お話が意味をなさなくなってしまうので、いったい何がおもしろい
のだろうということになってしまうのです。そして、日本でいうならいわゆる
「わらべ唄」に似たようなものでもあり、生活習慣や伝統、伝承が歌われてい
ることもありますから、せっかくのマザーグースも何が何やらわからないとい
う悲惨なことになることもあります。このPancake Dayも日本人にとったら
「わからない」唄の部類なのかもしれないですね。

-------------------------
さあ、みんな集まれ!
今日はパンケーキの日。
パンケーキを焼こう。
ぽ~んと高くほうりあげ、
くるっと見事に宙返り。
パチパチ拍手
------------------------

  訳文の良い悪いはちょっと横においておいて、内容的にいかがでしょうか。
何をやっているところかはこの訳だとわかりますか。恐らくこの解釈で間違い
はないだろうと思ってはいるのですが。

  「パンケーキ」とは日本では「ホットケーキ」というほうがどういうものか
はよくわかります。「パンケーキの素」も「ホットケーキ素」も売られていま
すが、出来上がりにそれほど違いがあるものではないですね。

  研究社のでっかい英和辞書で pancake を調べてみましたら、「灰の水曜日
の前日で、告解をするための日のこと」となっていました。英和中辞典やリー
ダース、ジーニアスのような小さい辞書にはこのような意味はないようです。
灰の水曜日とは復活祭前の四旬節最終の水曜日で、その前の日の火曜日にパン
ケーキを食べるという習慣があったので、この日がパンケーキデーと呼ばれる
ようになったということです。ですから、次のような言葉があるのですね。
Pancake Tuesday
Shrove Tuesday(懺悔の火曜日)

さらに「はじまりコレクション」(いわゆる起源について)という本で調べてみ
ましたら、さすが!「パンケーキの日」のことが載っていて、ちょっと感激し
てしまいました。パンケーキあるいはホットケーキでもよいのですが、そもそ
もの起源は古代エジプト。小麦粉の生地を平らな熱い石の上で焼いたものをパ
ンケーキと呼んでいたらしい。窯やオーブンで焼いたものはパンなのですが、
平たい石の上で焼いたものはパンケーキだったようです。

  461年頃に四旬節の告解の儀式ができて、日曜日、月曜日、そして告解火曜
日を四旬節三が日と呼び、火曜日には「四旬節ケーキ」(パンケーキ)を食べる
習慣があったのだそうです。これはあとで意味づけられたことかもしれないで
すが、粉が命の糧、ミルクは無垢、卵は蘇り(よみがえり)を象徴したというこ
とです。長い四旬節に入る前にはご馳走を食べたという話を何かの本で読んだ
こともあるのですが、それが灰の水曜日の前の日の「告解火曜日」に行われた
のでしょうね。「パンケーキ」はその日の特別なたべものだったようです。

  という背景を少し調べてみると、PANCAKE DAY の歌の意味あいはよくわかり
ます。四旬節を迎え断食を伴った静かな生活に入る前に、火曜日の PANCAKE
DAYに、ちょっとおいしいものを食べておこうというようなお祭の日でもあっ
たのでしょうね。

  お正月の「おせち料理」をはじめ、雛祭の白酒やひなあられに菱もち、五月
の節句のちまきなど、私たちにはごく普通のものであっても文化や伝統が違え
ば、なぜこの日にこれを食べるの?と首をかしげることは本当にたくさんあり
ますよね。

  パンケーキやホットケーキなんてそれほど珍しいものでもないですから、こ
のマザーグースの Pancake の歌も、ただ「Pancake」とだけ書いてあったなら、
ただただパンケーキを作るときの歌かしらくらいに思ってしまったかもしれま
せん。Pancake Day となっていたのでちょっと調べてみましたら、Shrove
Tuesday(懺悔の火曜日)などという言葉にぶつかって、とても興味深かったで
す。


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