タヌキ山事件(3)



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3 たいへんだ、たいへんだ!

 朝食を半分ほど食べただけで、学者は背中をまるめ、考え込んだ様子で旅館 をでました。もちろん、役場に行くつもりでした。どうしても、役場の三階の 窓から、タヌキ山をみなければいけないと思ったのです。  いそぎ足であるいていく学者を見送ったあと、旅館の主人はまずおかみさん に、タヌキ山がかわった山だそうだということを話しました。なにしろ、都会 のえらい学者のいうことだから、まちがいはないはずだと五回も念をおしまし た。おどろいたおかみさんは台所にはしりこみます。流し場では娘が皿を洗っ ていました。  「ちょっと、ちょっと、皿などあとでいいから話しをお聞き…」  おかみさんはいま聞いたばかりの話しをつげました。それから勝手口をあけ て、キョロキョロあたりをみまわしました。  おとなりのクリ−ニング屋の奥さんがちょうど勝手口の前を通りかかります。 旅館のおかみさんはさっそくクリ−ニング屋の奥さんを呼びとめて、タヌキ山 のことを話します。  クリ−ニング屋の奥さんはあわてて店にもどり、配達の用意をしていた御主 人に、息せききって今聞いたばかりの話しを伝えます。  そして、クリ−ニング屋の主人は配達に出かけると、先々でタヌキ山のこと を話します。 それを聞いた人たちはさっそく誰かにうわさをつげました。  タヌキ山は変わった山で、あの山にはただごとではない何かがあるというう わさがまたたくまに町中にひろがっていきました。学者が役場へむかう道を歩 いている間に、うわさはもう町の半分くらいの人の間にひろまっていました。  キン コン カ−ン  学者が役場の前についたとき、ちょうど仕事のはじまりをしらせるチャイム がなりはじめました。  きゅうにざわざわしだした役場の中へ、学者はためらうことなくはいっていきます。  一番はじめに目に入った窓口にむかって、学者はまっすぐにすすみました。  「町長さんにお目にかかりたいのですが」  ちょうど書類袋をあけようとしていた若い女の人は手をとめて、よれよれの 背広を着た学者をいぶかしそうにながめます。  「町長さんにお会いできますか」  「町長ですか。ちょっとお待ち下さい」  女の人はなおも不信そうに学者をながめ、やっと席を立ちました。そして、 一番奥の机に座っている男の人のそばにいき、耳うちをします。  その男の人はチラッと学者をみてから、イスからたち上がり、窓口にやって きました。  「町長にどういうご用件でしょうか」  「タヌキ山のことでまいりました。ぜひ町長さんにお会いして、お話しした いことがございます」  「はぁ、タヌキ山…?」  ふいをつかれたように男の人は目をまるくしました。学者はここでもまた、 自分が都会の考古学者だということを手みじかに話しました。そして、あのタ ヌキ山は非常にめずらしい山で、ぜひともそのことで、町長と話しがしたいと いうことを熱っぽくいいました。  「大学の先生でいらっしゃいますか。そうですか。はぁ、考古学のご研究を なさっておられるのですか。そんなえらい方がよくまあこの町へ…。あのタヌ キ山のことでご研究においでになったのですか。それはそれはご苦労様でござ います」  男の人はうってかわって、急にてのひらをかえしたようににこやかな顔にな りました。そして、先にたって、学者を案内して、三階へむかいます。  三階の廊下はふかふかのじゅうたんがしきつめてありました。  真中の部屋のドアのまえにたって、男の人はノックしました。そして学者を 廊下にまたせて町長の部屋に入りました。  一分とたたずにドアがあきました。そして男の人といれかわりに、学者はい ともたやすく町長の部屋にはいることができました。  「考古学のご研究でおいでいただいたとうかがいました。光栄に存じます。  ところで、タヌキ山の件というのは、どういうお話しでしょうか」  町長はいくぶんか不安そうな顔で学者にたずねます。  ソファ−にすわるのがもどかしそうに、学者は部屋に三つある窓の真中の窓 に目をむけます。窓は全部しまっていました。   「あのタヌキ山はまったくめずらしい山です。とくに、山肌にはりついてい る白い岩。あれはただごとではないと思います」  「ほうタヌキ山はめずらしい山ですか。いままでは何も思わずに、毎日なが めて暮してきましたが。そうですか。何か学問的研究の価値があるのでしょう か」  「ええ、もちろんですとも。わたしはきのうの夜にこの町につきましたから、 はっきりと山を見たのはついさっきのことです。しかし、あの山の形といい、 白いたまごのような岩といい、きっと何かすごい発見があると思い、こうして さっそくうかがったのです」  町長は半信半疑でした。 この町で生まれ、この町で育った町長は、もう六 十才を越えていましたが、小さい頃からきょうまで、タヌキ山のことをめずら しいという人にあったことはありませんでした。長い間なれ親しんできた山が、 何か大変な山だと急にいわれても信じることはできませんでした。  町長はテ−ブルの上のタバコ入れの箱をとり、中からタバコを一本とりまし た。そして、学者にもすすめようとしました。  でも、学者はそわそわして、ソファ−から腰をうかすようにして手をふりま す。  「タバコはけっこうです。それよりも、あの窓からタヌキ山をながめて みたいのです。ちょうど真正面にタヌキ山がみえるとききました」  学者は真中の窓を指さします。  町長は立ちあがり、さっそく窓をあけます。窓から身をのりだすようにして、 学者はタヌキ山をながめました。  「ほう、これはまさにタヌキのお腹だ。ポンポンにはったタヌキのお腹だ」  「ええ、この窓からみるのが一番いいはずですよ」  学者のうしろにたって、町長もタヌキ山をながめます。でも、首をかしげて いました。  「かわっていますか」  「ええ、めずらしいものです」  「ああ、そうだ。こんなものでもお役にたつかもしれません。よろしかった ら、これをお使いください」  さし出されたおもちゃの双眼鏡を、おもちゃか本物かも確かめもせずに、学 者は目にあてます。ほんの少しだけタヌキ山が近くにみえます。  学者は白い岩の真中あたりに双眼鏡をむけました。  「フ−ン、フ−ンやっぱりゴツゴツしている」  「ああ、あの岩の真中のことですね。ほかのところにくらべると、でっ ぱったゴツゴツがあるように見えるでしょう」  「フ−ン、フ−ン、ゴツゴツだ。ゴツゴツがひとつ、ふたつ、みっつ…、す くなくとも二十以上はある。規則正しく並んでいるようだ」  おもちゃの双眼鏡では、それ以上のことはわかりません。学者は目をパチパ チとしばたいて、もどかしそうにまた双眼鏡を目にあてます。  「フ−ン、ウ−ン。まさか。いや、もしや。いや、そうだ、きっと、そうだ。  フ−ンそうかもしれない。フ−ン、ウ−ン」  学者はうなりながら、ひとり言をつぶやきます。町長は心配そうに、学者の うしろにたって、タヌキ山をみつめます。町長は山をながめて首をかしげる以 外することはありませんでした。  「そうだ、そうだ。あれはたぶん文字だ。あのゴツゴツは岩にきざまれた文 字だ。古代の文字かもしれないんだ」 「なんですって。なんとおっしゃいま したか」  「文字、文字かもしれないんですよ。きっとそうだ、文字に違いないんだ」  学者は自分を納得させるように、声をはりあげます。  「なんですって。文字ですって」  「そうですよ。文字です」  町長は顔をこわばらせて、窓からタヌキ山をくいいるように見つめました。 でも、町長にはタヌキ山はいつもとまったく同じものにしか見えませんでした。  「もう少し大きい望遠鏡はありませんか」  いらいらしている様子で学者はたずねます。  「さがしてみましょう」  町長は電話をかけます。電話器のボタンを押す町長の指はかすかにふるえて いるようでした。  一時間くらいたってから、町長の双眼鏡よりはすこしましな望遠鏡が町長の 部屋にとどけられました。  町長から直接の電話におどろいて、あわてふためいてカメラ屋さんが届けに きたのです。  「これが、いまうちの店にあるものでは、ましな方なのですが…」  カメラ屋が箱のふたをとるやいなや、学者はひったくるようにして望遠鏡を 取り、さっそく目にあてます。町長のおもちゃの双眼鏡で見るよりは、ほんの 少しだけ岩の真中のゴツゴツが近くに見えました。  でも、カメラ屋がもってきた望遠鏡にしても、いわゆる専門家が使うような ものではありません。だって、この町ではそんな高級なものを店にかざってお いたところで売れるわけではありませんから。多少はましな望遠鏡というくら いのしろものです。  「フ−ン、ウ−ン、フ−ン…」  学者は望遠鏡を目にあてたまま、何度も何度もうなずきます。  町長は自分の双眼鏡を目にあてて、同じようにタヌキ山をながめます。 そして、学者をみならうように「フ−ム、フ−ム」とうめくような声をたてて、 首をかしげます。  「タヌキ山がどうかしたのですか。何かかわったものでも見えるのですか。 それとも、何かたいへんなことでもあるのでしょうか」  カメラ屋はおそるおそる町長に言葉をかけました。でも、町長は返事をしま せん。  学者も町長も、望遠鏡を目にあてたまま、フ−ム、フ−ムとため息のような 声をもらしているだけでした。  いつしかカメラ屋はタヌキ山をながめるのを忘れていました。そして、学者 と町長の横顔をかわるがわるのぞきこんでいました。カメラ屋はだんだん不安 になってきます。ふたりはあいかわらず同じ姿勢で、望遠鏡から目をはなしま せん。  カメラ屋はすこしずつあとずさりをして、ドアのノブに手をかけます。  ドアのあく音がしても、ふたりはふりむきもしませんでした。もう一度二人 の様子をみてから、カメラ屋は廊下に出ました。ドアをしめるやいなや、赤い じゅうたんの上を走ります。息をきらして階段をかけおります。  二階のおどり場に、掃除をしているおばさんがいました。 カメラ屋はおばさんの顔をみて、思わずさけびました。  「タヌキ山が、タヌキ山がへんだ!」  「えっ、どうしたっていうの?」  カメラ屋は階段をかけおりていきます。おばさんはモップをほうり出してあ とをおいかけます。 一階におりると、カメラ屋は窓口の女の人に息せききっ てつたえます。  「タヌキ山で何かたいへんなことがおこっているらしい。町長さんがうめき 声をあげて山をながめているんだ」  カメラ屋の声はおおきかったので、さっき学者を案内した男の人にも、その 声を聞こえていました。机の前で仕事をしていた人たちは、カメラ屋のあわて た様子と大きな声に、ただごとではないと思いました。  町長の部屋で学者と町長が、山をながめている間に、役場中に「タヌキ山が へんだ」といううわさがひろまっていました。一人が役場の前の広場に飛びだ してタヌキ山をながめようとすると、あとにつづいて、みな外にでて、タヌキ 山をながめはじめます。  「いつもとちがうかね」  「さあ…」  「でも、何かがおこっているらしい」  「フ−ン」  「そういえば…」  「えっなんだって、やっぱりどこかおかしいって…」  役場の前で、口々にわけのわからないことをしゃべったり、みな一様に首を かしげるばかりでした。  その間にも、旅館からひろまったうわさも町をかけめぐっていました。町の 人たちはうわさを耳にすると、タヌキ山に目をやりました。そして、首をかし げて、また、あながあくほど山をみつめました。 でも、だれにも何もわかり ません。町の人たちにはタヌキ山はいつもとかわりがないように見えるだけで したから。 2章に戻る 第4章へ
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