タヌキ山事件(4)
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4 山に登れ
さて、町長の部屋です。
学者はやっと望遠鏡から目をはなしました。町長もそれにならいます。学者
は何度も何度もうなずきます。それをみて、町長は不安そうにタヌキ山に目を
むけます。
「まちがいないでしょう。あのゴツゴツは文字かもしれません」
「はぁ、そうですか。やはりそうですか」
町長はわけがわからないといった顔つきをしています。
「文字ですか。そうですか」
町長はひとりごとを言い、ウンウンと首をたてにふりました。
「文字ならば、何と書いてあるのですか」
町長はのどをつまらせたような、かすれ声でたずねます。
「さあ、いまはわかりません。解読しなければいけません。きっとできるで
しょう。わたしは考古学をやりはじめて、もう二十五年たちます。これまでの
わたしの研究成果をそそぎこめば、きっと成功するでしょう」
学者は自信ありげにいいます。
「それで、なんと書いてあるのでしょう」
「それは…。だから、解読する必要があるといっているのです。この町の古
い昔のことがきっとわかるでしょう。そして、あの山がなぜあんなにかわった
山なのかもわかるかもしれません。そうしたら、この町はまたたくまに世界中
に有名になることでしょう。そして、考古学的にも重要な町になることでしょ
う」
学者は幾分か興奮した面持ちで、顔をすこしあからめていました。
町長は思いもよらなかった学者の言葉を聞き、胸がたかなってきます。
−なんというすばらしいことだ。この小さな町がタヌキ山のおかげで世界的
に有名になるなんて…。
町長はとっさに次の言葉がでないくらい頭の中があつくなっていました。ゴ
クリと音をたてて、口の中にたまったつばをのみこんで、町長はようやく口を
ひらきました。
「それでは、そのう、文字を解読するために、わたくしどもはどのような協
力をさせていただいたらよいのでしょうか」
町長の声はふるえていました。
「研究の方法は考えなければいけません。失敗はできませんから、慎重にや
らなければいけません」
「できるかぎりのことをさせていただきましょう。なんなりとおっしゃって
ください」
「では、まず、その机をしばらくの間、かしていただけないでしょうか」
学者は、町長のりっぱな机を指さしていいました。
「そして、ひとりにしてください」
学者の一番はじめのたのみは、あっけないほど簡単なものでした。
町長は紙と鉛筆を用意すると、うらめしそうな顔で部屋をでます。そして、
赤いじゅうたんをひいた廊下をおちつかない様子で、うろうろと歩きはじめま
した。
−しかし、これはたいへんなことだ。この町が世界的に有名になるなんて。
いったいぜんたいどうしたものだろう。もし、そうなれば、ああ、もし、そう
なれば、いったい何から手をつけたらいいのだろう。
きっと世界中からたくさんの人がタヌキ山を見にくることになるだろう。タ
ヌキ山はなにしろ、世界的に有名になるのだから。ああ、そうしたら、観光課
をつくらないといけない。そして、何人くらいの人をおいたら仕事がさばける
のだろうか。ホテルもたてないといけない。鉄道もつけなければ。それに道も
りっぱにしなければ…。
頭の中で思いをめぐらしていると、町長の胸は感動であつくなってきました。
町長は、この町が有名になるということで、うれしさをかくしきれず、にん
まりとほほえみました。ところが、その一方で、もしそうなったらどうしたら
いいかと考えて、深い深いため息をついていました。
町長のりっぱな机によりかかり、学者はふうっと大きな息を吐き出しました。
そして、ひじかけのついた大きなイスをひきます。イスにはうす茶色の毛皮の
座ぶとんがひいてありました。すわると、体が沈んでしまいそうなほど、ふわ
ふわのイスでした。
ひじかけを両手でつかんで、学者はしずみそうになる体をささえています。
−あのへんてこりんな山の形といい、あの白い岩の真中のゴツゴツしたでっ
ぱりといい、興味深い山であることはまちがいない。そう、あの岩のゴツゴツ
はまちがいない、まちがいないだろう。まさしく文字だ。文字でなくてなんだ。
文字以外には考えられない。わたしだって考古学者のはしくれ。そりゃあ、有
名ではないけれど、これまでコツコツと研究をつづけてきた。ここらで、大き
な発見をしたとしても不思議はない。この町が有名になるとともに、わたしも
世界的に有名な学者の仲間入りができるかもしれない。ああ、そうなったら、
これはたいへんだ。
学者はいつのまにか目をつむり、頭の中で自分が有名になったらと考え始め
ていたのです。そして、ときどき、目をあけ、ひじかけをつかんだ両手に力を
いれて体をおこし、窓の外に見えるタヌキ山に目をやります。
−ああ、あれは文字だ、まちがいない。
学者はじゅもんのようにくりかえします。
そんなことをしているうちに、学者はついにふわふわのイスの中にたおれこ
んでいました。きのうの夜はじめてタヌキ山を見た時から、興奮気味の学者は
きっと疲れていたのでしょう。いつしかス−ス−とかるい寝息をたてていまし
た。
町長はあいかわらず廊下を行ったりきたりしていました。ときどき、ドアに
耳をあてて、中の様子をうかがいます。
一度ははしたないと思いながらも、カギ穴から中をのぞきこんでみました。
でも、ドアのすぐむこうにはついたてがあったことを思い出し、ふうっとため
息をついて、またドアに耳をつけるのでした。
でも、部屋の中からはもの音ひとつきこえてきません。(それもそうです。
学者はふわふわのクッションのイスの中でだらしなくねむりこけていたのです
から。)
学者がいい気持で眠っている間に、タヌキ山がへんだといううわさは、もう
町のほとんどの人たちに伝わっていました。
カメラ屋が、役場に望遠鏡を届けたといううわさを耳にした人たちが、役場
の前に集まりはじめていました。
もうそのころには、役場で働いている人たちが、仕事をほうりだして、役場
の前の広場に出て、タヌキ山をながめていました。あとからやってきた人たち
もみなそれにならって、タヌキ山を指さし、不安な面持ちで山をながめます。
「何か悪いことでもおこるのでしょうか」
「何回みても、いつもとかわらないように見えますが、いったい何がおかし
いのですか」
「さあ…」
町中はよるとさわると、こんな話しばかりで、みな首をかしげ、不安そうに
顔を見あわせるだけでした。
役場の前は時間がたつとともに、人がふえ、だんだんざわめきが大きくなっ
ていました。
町長はあいかわらず三階の廊下をウロウロしていました。ところが、広場が
やけにうるさくなっていることに気がついて、あわてて別の部屋に入り、広場
を見下ろします。
「なんということだ。これはたいへんだ。なんとかしなければ」
タヌキ山をながめている町の人たちをみて、町長は胸がドキドキうちはじめます。
町長は決心して、学者がひきこもっている部屋のドアをノックします。
トン トン
はじめはよわくたたいてみました。
返事がありません。
町長はドアに耳をおしつけ、中の様子をうかがいます。
学者はうとうとまどろんでいました。ざわざわとうるさい声が聞こえます。
「ああ、うるさいなぁ。すこしは静かにしてくれないかね」
学者はねごとのようにつぶやいて、そのとたん、はっと目をあけました。そ
して、いつのまにか町長のイスにもたれてねむりこけていたことに気がつきま
す。
トン トン トン
ノックの音が聞こえます。
−しまった!
学者はあわてて立ちあがろうとしました。あんまりあわてたものですから、
イスからすべりおちて、おしりをいやというほどうってしまいました。顔をし
かめて、腰をさすりながら、窓に近寄り、広場を見下ろします。
広場にはたくさんの人があつまっていました。そして、みなタヌキ山の方を
むいて、何かをいいあっているではありませんか。
−なんということだ。こりゃあ、たいへんなことになっているらしい。
トントントトン
ノックの音がせわしなくひびきます。
学者はつばをのみこんで、ようやく「ハイ」と返事をしました。
おずおずと町長がはいってきます。
「広場をごらんになりましたか」
窓辺にたっていた学者に、町長はたずねます。
「ええ」
おちつきはらった様子で、学者はうなずきます。
「それで、どのような方法でおはじめになりますか」
「ウ−ム、いくつかの方法を考えてみましたが…」
学者がそういいはじめると、町長はほっと安心して胸をなでおろしました。
「その前に、この広場にあつまっている人たちをなんとかしなければいけま
せん。こうさわがしくては、まとまる考えもまとまりません」
学者はまゆをしかめて、窓から外をみおろします。
「ごもっともです。とにかくその件に関しましては、わたしがいますぐ何と
かいたします。では、十五分後にはもどってまいります。それから、ゆっくり
とお話しをうかがうことにいたします」
町長はいそいで部屋を飛びだし、廊下をはしり、バタバタと階段をかけおり
ていきました。そして、役場の入口にたって、ハンドマイクをにぎります。
「え−、みなさん」
町長は選挙運動をする時のように、手をふりました。でも、だれもふりむきません。
「みなさん!」
ありったけの声をはりあげて、町長はさけびます。
「タヌキ山のことでここにあつまってこられたと思いますが、タヌキ山のこ
とでみなさんが心配なさるようなことは何もございません。わたくしはただい
ま、タヌキ山の歴史をしらべるためにこの町にこられたある学者の方と大切な
話しをしているところです。心配なさるようなことは何もございません」
町長は顔をまっ赤にして声をはりあげます。「とにかく、きょうのところは
おひきとりください…」
やがて、人がきがくずれはじめます。
役場の職員たちは町長の指示を受けて、町の人たちの間を走りまわります。
町の人たちは不安気な様子を残しながらも、広場から帰っていきました。
その間、学者は部屋の中を動物園のクマのようにあるきまわっていました。
「文字だ、あれは文字だ」
口からもれる言葉は、じゅもんのように同じことのくりかえしでした。
「さしあたって、わたしは山にのぼってみようと思います。遠くからながめ
ているだけではゴツゴツしてみえるという以外、なんともいえません。なんと
いってもこの手でふれてみることが、一番かんじんなことです」
学者は両手をつきだして、いく分か早口で話しはじめます。
「あれは文字にまちがいありません」
学者はもう一度念をおすようにいうと、また望遠鏡をとり、目にあてました。
「あの岩にのぼるのですか」
「ええ」
「しかし、あの岩はごらんのとおり、ほぼまっすぐにタヌキ山にはりついて
います。タヌキ山もがけのような山で、おまけにはげ山です。へたに登ろうも
のなら、土がくずれてくるでしょう。どのようにしたら登れるものか…」
町長は顔をよせ、口を一文字にして、こまりきった顔でタヌキ山をみつめます。
とっさの思いつきで、学者は山に登るといってしまった以上、それをすぐに
ひっこめてしまうこともできません。望遠鏡を目にあてたまま、学者はまた、
「ウ−ン」とうめき声をあげはじめました。でも、うめき声をいくらあげても、
別の新しい考えはうかんできませんでした。
−なんとしてでもあの山に登らなければ。
望遠鏡をのぞきながら、学者はしだいに、ドキン、ドキンと脈うってくるこ
めかみを指でおさえました。
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