タヌキ山事件(6)



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6 探検

   とうとう学者がはしごを登る日がやってきました。  その日は朝からいい天気で、町中はおまつりのようなにぎやかさです。はし ごのそばには、子供たちの音楽隊が場所をしめました。そして、町長の席には 赤い花が飾られ、町のおもだった人たちの席もテントの下につくられました。  おまわりさんは道にロ−プをはりました。そして、町の人たちがむやみには しごに近づかないように、ピ−ピ−笛をならし、交通整理に大わらわでした。 町の人たちがタヌキ山のふもとにぞくぞくとあつまってきました。  十時ちょうどに花火が五つ打ちあげられました。それを合図に、町長は紅白 のリボン飾りのついたマイクの前にたちました。  「タヌキ山にはりついている白い岩の真中にあるゴツゴツは、実はこの町と タヌキ山の歴史を書いた文字なのです。ただいまから、ここにおられます先生、 もうみなさまご存じのことと思いますが、先生は有名な考古学者でいらっしゃ います。先生がご自身ではしごを登り、文字を観察し、それを解読してくださ います。わたくしたちはかがやかしい成果に期待したいと思います」  あつまった町の人たちの中から、かん声がわきおこり、波のような拍手がお きました。そうして、音楽隊の陽気でいさましい(でもあまり上手とはいえま せんがね、元気だけはいっぱいでした)マ−チにおくられて、学者ははしごを 登りはじめました。  ときどきふりむいて、学者は笑顔で手をふりました。腰には万年筆とノ−ト をむすびつけ、背中には弁当と少しばかりの道具が入ったリュックをしょって いました。  ところが、はしごを一段登るにつれて、笑顔は消え、顔はひきつり、こわばっ てきます。やがて、ひざがガクガクと音をたてはじめていました。  百段も登ると、下をむけば目がまわりそうになりました。それに風も強くなっ ていました。学者は降りるわけにもいきませんから、はしごを登りつづけます。 そして、その日の夕方にはやっとの思いで、岩のゴツゴツの一つにたどりつく ことができました。確かについたところが岩のゴツゴツであることだけはわか りました。  でも、考えてもごらんなさい。大きな大きな岩の真中のちょいとしたでっぱ りなのですよ。そのゴツゴツのでっぱりの中は、学者が体をのばして楽に寝る ことができるくらい広いのです。  遠くから見るならまだしも、その中にはいってしまえば、それが文字である のか、そうではないのか、実のところ、学者にはなんだかわけがわからなくなっ たしまったというのが本当のところでした。  でも、学者は、岩のでっぱりにとうとうたどりついたことに満足していまし た。はしごからふるえる足をのばして、でっぱりのひとつにのりうつり、腰を 下ろします。そして、下を見下ろしました。  学者は一瞬息をのみ、目をつむりました。頭の中がきゅんとしめつけられ、 クラ−リクラ−リ目がまわります。思っていたよりもずっと高いところにいる のです。下を見下ろしたのは、その時一度きりでした。もう、こわくてこわく て、二度と下を向くことはできません。  でも、下さえ眺めなければ岩の上はそれほど悪いところではありませんでし た。学者は岩の上にペタリとすわりこんで、こわごわ遠くを眺めました。  町が見えました。ちっちゃなちっぽけな町でした。緑に囲まれた山々の間に、 塔がみえます。役場の建物です。となりの町へむかう道がくねくねまがって山 の中を通り、白くひかって見えました。山また山、山が海の波のようにうねっ ています。ずっとむこうはかすみがかかり、空に続いていました。  学者はホッと大きな息をはき出し、やっと自分がすわっている岩のくぼみに 目をむけました。  おしりのあたりがみょうにあたたかく、学者はそっと手をのばして岩をなで てみました。ほんのりとしたあたたかさが指先からつたわってきます。ようや く落ち着いて、学者はでっぱりの奥に目をむけました。かなり奥深いほら穴の ようでした。奥の方まで光が差しこみ、岩の上は思ったほど悪いところではな さそうでした。学者はようやく安心して、体中にこめていた力を吐き出しまし た。  それから、リュックをあけ、中のものを出しました。小さな懐中電灯が一つ、 木づちが一本、シャベルが一本、虫めがねがひとつ、そしてにぎりこぶしより 大きな大きなおむすびが5つ。リュックの中はそれだけでした。おにぎりを見 たとたん、学者はがまんできないほど、お腹がへっていることを思いだしまし た。  −とにもかくにも腹ごしらえだ。  学者はまたたくまに2つ、おむすびを食べました。  学者はようやく落ち着きました。  −ああ、私は古代の文字の中にいる。なんてすばらしいことだ。なんて、なんて…。  学者の体はまたふるえはじめます。ブルルルンと寒気がするほどふるえました。  ふるえる手で木づち持ち、シャベルを上着のポケットにおしこみます。虫ね がねを胸ポケットおさめ、懐中電灯を腰にぶらさげました。  学者は立ちあがろうとしました。でも、ひざがカクカクと音をたて、どうに も腰がたちません。また、突然、あの目がくらむようなクラクラした感じがわ いてきて、学者はハッハッと短い息を吐き出しながら、ポツリとつぶやきまし た。  −う−む、ここは天井が低すぎる。立ちあがるのは危険さ…。  はうようにして学者は体を少し動かしてみました。石のあたたかさが体中に 伝わってきます。学者はほんのしばらくの間、あたたかさがこもった石にほっ ぺたをペタリとくっつけました。  ザラザラした白い岩肌がほっぺたにあたります。おそるおそる指先を出し、 学者はすぐ目の前に見える岩をなぞりました。指先が白くそまります。そして かすかにかびのにおいがしました。  ようやく体を起こし、学者は膝のすぐ前の岩を木づちでコンコンとたたいて みました。はじめは弱く、それから少しづつ強く…。  コン コン コ−ン  木づちの音が響きます。そして、  ポン ポン ポ−ン  と、やさしい音で、すぐこだまがかえってきました。  岩のでっぱりはほんとうにズ−ッと奥にむかってほら穴のようにのびている ようでした。  コン コン コ−ン  ポン ポン ポ−ン  学者はやさしい音に導かれるように、少しづつ奥にむかってよつんばいになっ たまま動いていきました。木づちでコンと岩肌をたたくと、白い粉のような石 の割れ屑がまいあがります。ポケットから虫メガネをだして、学者は白い石の 粉を観察しました。  白い石の屑はやがて灰色になっていました。それから少しづつ色味をおびて きて、やがてレンガのかけらのように赤茶けた色にかわっていました。学者は よつんばいになったまま、下ばかりみて、前に進んでいました。もうその頃に は、学者は岩のそうとう奥の方にまで入りこんでいたはずです。  どれくらいの時間がすぎたのか学者には見当がつきませんでした。暗くてせ まいトンネルの中に入りこみ、あたりはかびくさいかれ草の匂いでいっぱいで した。  学者は懐中電灯を持っていたことをようやく思いだしました。懐中電灯のス イッチをいれると、ボワッとしたオレンジ色のひかりが石の壁を照らします。 石でつくられた狭くて暗いトンネルはクネクネまがりながら、まだまだ奥の方 へと続いています。  −ホウ、これは…。なんということだ。タヌキ山は古墳だったのか。あの岩 のゴツゴツは古墳の入り口だったのだろうか。しかし、古墳の中にこれだけの 道をこしらえたとは、これは相当すごい偉大な王様の墓ということになる…。 ああ、これは、なんという発見だろう。  もしも、タヌキ山がまだだれにも発見されていない古墳だとしたら、考古学 上の大発見になるかもしれません。そして、そこには埋められた宝がいっぱい あるはずです。しかも、古墳の中にこんなすごい道があるような大きな古墳だ としたら、その埋められた宝は想像もできないほど、すばらしいものにちがい ありません。  学者はもう元気いっぱいでした。力強く足をけり、ほら穴の奥へ奥へとむか いました。   タヌキ山が古墳なら、この道の行き着く先は古墳の墓の中心の部屋になるは ずです。そしてそこには、貴族か王様の棺があり、そして、莫大な宝と、考古 学的に貴重な様々の遺品があるはずです。  学者はもうワクワクして、頭の中は古墳のことでいっぱいでした。  −いったい、いつ頃の古墳なのだろう。このあたりに、これだけの墓をつく られるほど栄えた都があったとは、いったいどんな都だったのだろうか。  様々の思いが頭の中をよぎります。学者の頭の中には「もしも…」という言 葉がいっぱいになっていました。  −もしかして、そうだ、あのタヌキ山にはりついている白い岩は墓標、つま りは簡単に言えば、お墓の表札だ。このお墓に埋められた人の名前とか、どん な仕事をしたとか、どんな国だったといったことがいろいろ書かれてあるのか もしれない。だからほんとうなら、もっとたくさんの文字が刻みこまれていた のかもしれないぞ。しかしながら、長い年月がたち、雨や風にさらされて、文 字のほとんどは消えてしまった。だからあの岩はあんな風にのっぺりして、ま るでタヌキのお腹にみえるのかもしれない。そしてあのでっぱり、あれは一番 大切なことを刻んだ文字だったのかもしれない。だから深く、大きく、岩に刻 みこんだ。それだからこそ、今でも残っている…。しかし、もう誰もあれが文 字だとはわからなくなり、ただのでっぱりのようになってしまった。  あのでっぱりはまさしく文字。この古墳に埋められた王様か貴族の名前…。 お墓に名前を刻み込むのは当り前。名前は一番大きく、一番でっかく…。  様々なことを思いめぐらしながら、学者は石でつくられたトンネルを進みま した。トンネルはいつしかまた少しひろくなり、天井もいくぶん高くなってい るようにみえました。  石の壁と床を手のひらでなぞってみると、思ったよりでこぼこしていました。 そして、そのでこぼこのなかで、コロコロした小さくてまるいものがいくつも、 学者の指先にふれました。学者は石の割れ屑のような小さな丸いものを、指先 でつまみあげます。  −ほうっ、これは…。ただの石のわれくずではないようだ。  指先に力をこめて、グッとおしつぶしてみましたが、思ったよりかたくてなかなかつぶすことはできませんでした。  −何かの植物の種の化石かもしれない。  学者はその黒くて丸いものがとても大切なもののように思えて、いくつかひ ろってハンカチにつつみこみ、ズボンのポケットにいれました。  ほら穴は、やがて、立ってあるいても十分ほどの高さと広さになっていまし た。学者は石の壁をついたいながら、しだいに早足になっていました。そして、 とうとうかけ出していました。  うす暗いトンネルのむこうにポッとにぶいあかりが見え、学者はもうたまら なくなり力いっぱいはしりました。 5章に戻る 第7章へ
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