タイの世界遺産
 
アユタヤと周辺の歴史地区

現在のタイは東南アジアきっての大国だが、かつてこの地域で大国といえばビルマとカンボジアだった。タイとは、中国・雲南地方に暮らしていたタイ族がその両大国の隙をうかがいながら南下して建設した国家である。
タイは、東南アジアではむしろ後発国の部類に入り、現在のタイ領土も古来カンボジア(クメール人)の支配下にあったが、タイで2番目の統一国家となったアユタヤは、クメール人のアンコール朝を滅ぼすまでに力をつける。だが、アユタヤ地方はタイでもとくにクメールの影響が強かった土地であり、アンコールを倒したボロマラーチャー2世が建てたワーチャブラナ寺院にも、アンコールワットに似たクメール風の仏塔がそびえている。
 

400年以上もの長きにわたって繁栄を誇ったアユタヤも、1767年、かねてからの宿敵ビルマとの戦争に敗れ、都城や寺院、仏像は徹底的に破壊された。現在見られる寺院にしても原型をとどめているものは皆無であるが、アユタヤ初期の最重要寺院であったマハタート寺院の仏像群は、ことさら無惨に打ち壊されていた。
ビルマもアユタヤも同じ仏教国であり、敵の仏像とはいえ、よくぞここまで破壊したものだと驚かされるが、当時の仏教国の王というものは、いずれも自らを仏陀の化身と称し、仏教の権威と王権を一体化することで民衆の心を掌握していた。この両国の骨肉の戦いも、どちらが正統の仏教国であるかを証明するための戦いだったと考えると納得がいく。

『イヤイヤ訪ねた世界遺産だったけど』
第4章「微笑みの国の舞台裏」より