THE 田吾作(1978〜1979)
Vo Shigeto G.Vo Yasutomi G.Vo Yochan
と、いいながら高校でもステージデビューはギター、ボーカルであった。THE田吾作は、あっしのポリシー「基本はお茶目」を実現したグループであり、ある意味今日に至るあっしの音楽活動の原点とも減点とも言える。とにかく当時はうけまくり、学内のアイドル的存在として、京都の某ラジオ局で紹介されたこともあった。なんと東京にもTHE田吾作にリスペクトを寄せるミュージシャンがいることを最近知り、その罪の深さに思わず笑っちゃうのであった。
舞鳥(1980〜1985)
Vo Shigeto G. Masaki Key Manami B Hirokazu Drs Yochan
「もうちょっと真面目に音楽やろうや」とTHE田吾作のShigetoほか高校時代の朋友と始めたバンドが舞鳥(まいと)である。音楽的志向まったくばらばらのメンバーが寄った割には長く続き、(ただしKeyのみ4人が入れ替わった。2代目はなんと種ともこ、写真は4代目のManami)ハード&ポップなオリジナルのロックで、拾得、磔磔等のライブハウスで活躍した。決してうまいバンドではなかったが、結局「基本はお茶目」だったことが功を奏し、いつも客入りは良かった。
同志社大学ライラックレインボーズ時代
(1980〜1984)
舞鳥で活動する一方、大学では著名なロックサークルに籍を置いた。これは1回生の頃、信州での夏合宿の写真。小さくてよく分らないが、みんな実に鬱陶しい表情をしている。ロッカーたるもの鬱陶しい表情をしてなんぼとあのころはきっとみんな思っていたのだろう。古き良き時代である。アースシェイカーといっしょにドサ回りに行ったハードロックバンド「こもちわかめ」、ツエッペリン完コピバンド「KASHMIR」、先輩のギャルバン「烏丸車庫」に触発されたR&B・ロックンロールバンド「01&The Bootlegs」等々、いろんなバンドを経験させてもらった。このときのメンバーとは今でも毎年盆に集まり、馬鹿騒ぎをしている。
現在進行形のバンドはこちらから→
THE CATWALK(1986〜1991)
Vo 持田ヒロツグ G. Papa森山 B 今福Tomoki Drs Yochan
舞鳥ブレーク後、以前からの顔見知りTomokiと結成。ブルース、R&B、ファンク、レゲエetcとにかく黒ければなんでもいいという志向のバンドで、現在活動を共にするハーモニカプレイヤー大野木一彦も一時期在籍した。結局大野木ともども袂を分ってしまったが、これまでの音楽人生の中で「ひょっとしたらこのままいけるかも!」という夢を抱くことのできた唯一のバンドだったかも。この写真は東京ツアー時(吉祥寺マンダラ)のもの。
持田ヒロツグ、今福Tomokiは今も関東でプロとして活躍中である。
ROCK BUT SOUL(1989〜1993?)
Vo Murataはん,Hitomiちゃん G. Ochiくん,Higoさん B Haraくん
Key Bataやん Drs Yochan
THE CATWALKのライブ常連客だったソウルおやじMurataはん(とはいえいまやあっしもその年齢・・・)のバンドに参加。Murataはんの18番はショーケンの「横浜HONKY
TONK BLUES」だった(懐)。ひとことで言えばお気軽なブルースロックのカバーバンドだったが、カントリーシンガーのHitomiちゃんが入ってからは、リンダ・ロンシュタットやらベット・ミドラーやらウエストコースト系に流れていった。諸々の理由で自然消滅。みんな元気かな〜。
CHERRY BOMB(2004〜2006)
Vo サルコ・チェリー G きむら爺@ボム3号 B KARL@ボム1号 Drs よおちゃん@ボム2号
某楽器店掲示板を介して知り合ったベーシストKARLさんと、仕事つながりのサルコ、家が近所のきむ爺との、まさに「出会いもん」バンド。いまさら誰もやらんようなロックの超有名曲を、恥ずかしげもなく、これでもかというほどの変態じみたアレンジを行い、原作者の怒る顔を想像してほくそ笑むという実にに失礼極まりないバンド。またなんかどっかで聴いたことあるぞ〜的なオリジナル曲も手がけた。2006年9月、あっしの都合により脱退。