2003年
7月
2003/07/24
課の人間が半分いませんでした。23歳と27歳の女性2名と俺だけ。
羽をのばさせていただきました。全然仕事してないわけじゃないけど。
年下の方が、俺が総務に来る前から仕事に不満を持っていたのだが、そのヒアリングとガス抜き。
その子に仕事を教えているお局(今日は休み・・・・・・給料計算が終わったからなのか、課長がおらんからか知らんが)は、人の言う事をなかなか理解しないわ、自分の思っている事を矛盾だらけの言葉で言う(じっくり話せばあながち目茶苦茶なことを考えているわけでもないのだが、言葉だけ聞けば常人からかけ離れた考えのように聞こえてしまう)という困ったさん。ただ、線路の上を確実に走るのは一番うまいので、ワーカーとしては使える。でも、新卒の教育という視点でいえば、よろしくない。
例えば、昨日あった会話。
「通達は、一カ所に綴じることにしますんで、原本いただけません?」
「原本は使っちゃったけど・・・・・・これは回覧よ。回覧は別に綴じてるの」
「回覧と通達って、なんか区別してます?」
過去の実績をみると、お局が出したものは『回覧』で、他の課員が出したものが『通達』となっている。実際、なんらかの区別をしているのかと思っていたら、
「う~ん、前からそうなってたから」
と、話をするのも嫌になってくる回答。
これでも、主任の俺より給料高いんだよな。
その子は、仕事を教えてもらえないと言う。お局は、もっと努力してもらわないと困ると言う。
どっちもどっちな面があるなぁと最近分かって来た。
その子には、教えてもらうのではなく、自分から盗りに行く気魄が欲しい。お局には、どのような努力をするかの指針をその子に示して欲しい。
その子に、何を教えてもらってないかを明確にしてあげる必要があると感じていた。
今日はたまたま課長もいなければ、お局もいない。給料計算は終わっていて、暇はあるはず。
好機、逃すべからず。
まずは、何の仕事をすべきで何がどこまでわかっているのか、その確認作業をする。その子の仕事は労務関係。俺にとっても未知の分野。これは、これから俺がしていかねばならない道程を確認する作業を兼ねている。
結論として、給料計算と社会保険手続と所得税計算。
給料計算は月次では処理可能。社会保険手続は入退社と扶養増減の手続は処理可能。税金はお手上げ状態。
う~ん、作業員。下僕扱いですな。
その子に聞く。
「『なんで?』って聞かへんの?」
「聞くんですけど・・・・・・『こうなってるの』という返事しかかえってこないんで」
続けざまに、なんで自分で調べへんの?と直截的に聞くのは現段階では少々酷のような気がしたので、止めた。相手はまだ暗闇の中を手さぐりで歩いている状態。経験が足りない。どこを突けば答えに辿り着けるのかも見えない状態。
「う~ん、聞いてもまともな答えがかえってこないだろうしなぁ・・・・・・自力で調べるしかないんやろうなぁ・・・・・・」
その子は、すこし首を前に傾けて、考え込む。言葉を探しているのだろう。でも、見つからない。俺にもわからない。俺がわかっていれば、その言葉を見つける手助けもできるかもしれないのだが。
でも、それを正しく言葉にすれば、迷いは晴れると確信した。
「ちょっと休憩しよっ。僕も郵便の処理しないといけないし」
互いの沈黙に耐えられずに中途半端な言葉を紡がれると、もったいないから、そこで話を打ち切った。
2003/07/23
社宅費用の徴収方法をどうするかという課題をかなり前にいわれていたのだが、日常の忙しさにかまけてできていなかった。
今日は午前中に、給与計算のソフトのバージョンアップをどうするかの検証をして、午後から社宅徴収の規程化を考えた。
社宅徴収といっても、やり方はいろいろある。
全く会社が負担しないと転勤を拒否するだろうし、だからといって、青天井に会社が負担するわけにもいかない。とはいえ、家賃というのは一律の計算式ではじきだされるものではないから、計算方法を立てるわけにもいかず、現状のようにその時々の判断ではどうしてもその時点での状況に左右される(状況とは、会社が儲かっているか否かというある程度目に見えるものから、社長のムシの居所が悪かったとか目に見えないものまで)。
福利厚生に対する会社の思想が一番あらわれるところかもしれない。
原案は、課長が上場準備室長だったときに作成したと思われるものがある。これは、家賃に対して上限を設けたうえで、家賃の実際額に対して地域・役職・独身者か否か等の要素を加味した上での負担率をテーブル表記して算出するというもの。
しかし、会社の都合で住居を変更するという不利を背負った事実に対して、役職や地域によって差があるのかどうかは、甚だ疑問だ。そのテーブルの妥当性が今後も常に検証されるとは限らない。
だからといって、簡単に一律徴収というわけにもいかない。遠隔地にある賃借住宅の現状は、インターネットが発達した現在でも、分からない部分が多すぎる。
今日の別人格の俺
真面目な事日記に書くなっつ~の。
企画的な仕事は、成果と時間は関係ないからな。こうして日記で真面目な事書いているのは、残業時間かというとそうではないし。
そんなわけで、今日も定時には帰る準備が85%完了していた。
しかし、明後日が給与振込の日だけに、給与明細の袋詰めを手伝った。
さらに、課長ともう一人の主任が工場へ出張に出かけたため、役職者は俺様一人。否応なしに最後まで残る。でも、仕事する気にならなかったので、冷蔵庫の杏仁豆腐を一人でむしゃむしゃ食べていました。
太るので、晩御飯は抜き。
2003/07/22
今日は17時の時点で帰る用意が90%完了していた状態でした。
俺は、企画型裁量労働制の非適用者に決定しました。先週、課長と話し合いをしたが、俺の目的は金だけではないので、説得は不可能。金の部分は、十分すぎるほど考慮してくれていると評価している。
金がガツガツと欲しいわけではない。面白い仕事であれば、別に残業部分の金はいらない。
しかし、他人のウンコを片づけるような仕事であれば、割増料金をもらうのは当然のこと。
とはいえ、現状には満足しているから、申告の残業時間はコントロールする。コントロールできる状態にあることが、大事である。
今日の言葉
伝家の宝刀は、抜かないところに意義がある。
2003/07/03
行政処分を受けた。先月、裁判で前科者となった俺だが、行政処分で免許停止30日間。
講習を受けて、1日になりました。
また、金がかかった・・・・・・
2003/07/02
広島は、営業所までバスで行く。
バス停降りてからどう行くか全然知らなかったが、交番のとなりの模型屋に住宅地図が張り出されていたので、丹念に調べて発見。
こじんまりした営業所だった。一通りの説明の後、所長と近くの喫茶店に行く。
聞きにくいことも、ここでなら聞ける。所長は、もともと仙台の人だったが、札幌営業所を経てこちらに来ている。もう定年まで数年。いつもハチャメチャな稟議書を書いて来て理解に苦しむのだが、話をしてみると一本筋の通った分かりやすいことを話してくれた。
思ったより短かったが、それでも広島駅まで戻ったころには昼前になっていた。駅ビルに入って飯を食べる。夜は居酒屋・昼は定食屋の店に入る。札幌で食べなかったため、こちらで食おうと思いとんかつを頼んだが、頼んだすぐ後にしまったと思った。
またもや食べて新幹線の中で寝ることになる。
睡眠時無呼吸症候群は、やせることが大事だが、全然やせられない生活をしているぞ、俺。
夕方前に会社に着いた。ようやく六営業所を回ることができて、精神的に緊張が解けたのか、ドッと疲れが出た。
2003/07/01
朝6時半に札幌を発ち、新千歳空港へ。
福岡への直行便があるのならそれに乗るのだが、昼の便しかないため、伊丹空港の便を使って大阪経由で福岡へ。雲のおかげで、多少乱気流に巻き込まれて楽しかったが、電車・飛行機・バス・新幹線と乗り継ぐと疲れる。
福岡も、雨だった。営業所まで距離があるので、電話での協議の結果車で迎えに来てもらう。
待ち合わせは、まんだらけの前だ。
課長は、ごく常識的に聞いて来た。
「迎えに来る人の顔、知ってます?」
「知りません」
「え?お互い顔知らんかったら、わからへんですやん」
「そんなもん、平日の昼間に二人してまんだらけの前にスーツ着て立ってたら、絶対わかりますって」
きっぱりと断言する。
課長は不安そうにウロウロしているが、俺様は自分の言ったことに絶対の自信があったので、ジッとしている。オタクが集うまんだらけの前にスーツ着て立っているのは、とっても場違いなこと。実際、まんだらけの前でスーツ着て立っているのは自分たちだけだ。
営業所の人は、案の定すぐに発見してくれた。
営業所は、倉庫の二階。本当に、うらぶれた事務所という感じだった。
話は長いが、福岡の営業所は人数が多いこともあって、人をまわすのに若干の余裕(それでも普通の会社ならギリギリの人数だとおもう)があるため、話は比較的なごやかに進んだ。
中州で飲む余裕は無いが、駅弁は飽き飽きしてきたので、地下の食堂街でメシを食べる。
フグご飯だった。俺は例によって、飲めない課長を放っといて自分は日本酒を注文する。
やっぱ、飯を食べると違う土地にきたなぁ~と感じさせられる。
値段は高かったが、うまかった。
新幹線で広島へ。京都の市電がいまだに走っていた。課長と二人で、どうやって分岐のポイントを変えているのか不思議だといって謎解きをしながら歩いてホテルへ行った。