まずつくば方式の簡単な説明をいたします。
普通、 分譲マンションの場合は、 土地も建物も自分のものです。 ですから最近では35年後ぐらい、 あるいは建物の寿命である60年後に建て替えようかというのが、 所有権型のマンションです。 それに対して、 定期借地権の場合は、 たとえば50年後に定期借地が終わった時点で建物をつぶして土地で返すということになります。
この場合、 どうせ潰すんだからと、 定期借地が終わる頃には建物に手を入れなくなり荒れてしまってスラム化するのではないかと危惧されていました。 また建物を潰すのにも、 大きなエネルギーとコストがかかるということで、 定期借地が終了する時に建物が良好な状態で地主さんの手に戻り、 そのまま使い続けることが出来るというつくば方式が考え出されたと聞いています。
それだけですと、 通常の定期借地に、 終了時に建物が良好であれば潰さなくても良いよという条件をつければ良いだけですし、 現にそういう定期借地も増えているようですが、 つくば方式は30年とか35年後に地主さんが建物を買い取る権利を持っているところが特徴です。 これは先ほど触れた普通のマンションの建替時期、 あるいは大規模修繕の時期である30年後とか35年後に、 一度建物の状態をチェックするためと考えていただければいいと思います。
単純に言えば建物の状態がよければ買取り価格は高くなりますが、 地主さんは手を入れる必要がありません。 建物の状態が悪ければ地主さんが手を入れなければなりませんが、 その分買取り価格が安くなります。 ですから地主さんにやる気と資金があれば建物は必ず良好な状態になるはずなのです。 そうすることで区分所有であるがために意見がまとまらず、 必要な意志決定が出来ないまま、 修繕の時機を逃してスラム化するといった悲劇を避けられるということです。
建物を買い取った時点でスケルトン賃貸に切り替わります。 ただ、 買取り代金を地主さんに預ければスケルトンの家賃は支払わなくても良いという仕組みですので、 それまでの地代や管理費と同じような賃料でそのまま住み続けられます。 またインフィルについては地主さんではなく入居者が自分で維持管理することになりますし、 リフォームも基本的に自由です。
つまり36年目から60年目まで、 いわゆるスケルトン定期借家という状態になるわけです。 そして60年経った時点で、 そのまま普通の賃貸に移行していくという格好になります。
なお、 もし地主さんが35年目に買い取らなかった場合には、 60年間の定期借地のまま、 建物を潰さずに地主さんに建物ごと差し上げれば良く、 撤去の必要はありません。
それから地主さんが35年目に買い取るときに、 普通は一軒でもいいし、 何軒でもいいんですが、 今回はいろんな想定をして、 全部のお家を一遍に買い取らないといけないという制約をつけました。
区分所有法で大切な事は四分の三の同意で決めなければいけないということです。 仮に今回の場合、 地主さんの家一軒とあとちょっと広い目の家を一軒買うと四分の一を越えるわけです。 そうすると地主さんが拒否権を持つことになる。 そうなると残った11軒の人達の意思が反映しにくくなるため、 買い取る場合には全部買い取ってくれという条件をつけました。 といっても、 入居者の方がなんらかの都合で35年後までに売却を希望された場合、 地主さんが優先的に買い取ることはできます。
また、 35年目に一遍に買い取らなければならないとなると、 保証金の返還だけでも大きなお金を用意しなければなりません。 今回は買い取れない可能性も高いということもあり、 では建物を60年後に渡す時、 どういう状態で渡してあげるべきかを決めました。 地主さんとしては、 あと40年間使わなければならないわけだから、 ボロボロの建物をもらってもうれしくもなんともないわけです。
そこで、 買い取らなかった場合、 60年後にどんな状態で建物が戻ってきても文句が言えないのがつくば方式でしたが、 返還時の建物状態を厳しく指定しました。 この点も今回つくば方式をアレンジしたところです。
それと併せて、 スケルトン部分を多くしました。 通常の「スケルトン定借」の場合、 いわゆる構造に関係のない壁については、 ある程度住んでいる人が好きにできる、 リフォームの時に、 窓の大きさ、 場所も自由に変えられるという考え方をしていますが、 今回は出来ないようにしました。 ついた窓そのままとし、 いわゆる普通の分譲マンションでいう共用部分を、 スケルトンにしています。
これは本当にそこまで先々のことまで担保して家を買って、 そのために建物代が高くつくことを納得して、 果たして人が集まってくれるだろうかという思いが私のなかにあったからです。 「果たして」と言うとこの方式を考えた人から「ちょっと待て」という話が出てくるでしょうが、 住む人が集まってくれないことにはものはできないわけです。 なかには二年間かけて人を集めたという事例もあるようですが、 僕の場合はだいたい4ヶ月から5ヶ月で入居者を集めるという形をとっています。 将来の自由度を確保するために建築費が上がり、 技術的、 法的なサポートが必要となるような方向ではなく、 購入時のコストパフォーマンスと管理組合の運営の容易さを重視して、 スケルトンと位置付ける部分を極力増やしました。
またスケルトンインフィルの理想は、 二重床にして、 床の下が20cm以上はあって、 お風呂やトイレ、 台所などの水周りをどこにでも持ってゆけるというものです。 今回はそれをやりませんでした。 というのは、 水周りが下階の寝室の真上にきたりするとトラブルが起きてくると考えたからです。 そこで三分の一ぐらいを逆スラブにして、 床下に配管スペースを確保し水回り設置ゾーンとしました。 ここに上階の人の水回りが来ますよと。 ですからその下に寝室を持ってきて、 流れる音がうるさいというのは、 持ってくる人が悪いんですということです。 僕自身はこれを「なんちゃってスケルトン」と呼んでいます。
ヘキサさんの方からは、 できるだけ廊下が外から見えないようにつくりたいとの希望がありました。 それから地主さんの希望ですが、 旧宅の部材をできるだけ余さず使いたい、 非常に思い入れが強いということがございました。
あと水関係では雨水利用。 これは今日見ていただいたように、 せせらぎとなっています。 それから既存の井戸を利用して手押しのポンプをつけたい。 排水浄化システム、 ビオトープ、 旧宅に生えていた植栽を全部使いたいといったこと。 緑のカーテン、 パーゴラ、 電気井戸、 浄水活性化、 断熱塗料、 生ゴミ処理、 自宅で薪ストーブ、 屋上緑化と色々ありました。
色々あったけれども、 やったのは雨水利用と、 それを太陽電池で循環させるということ、 木を二本残し、 石を使うというところです。 それから皆さんのお目には触れませんでしたが、 排水浄化を地主さんのお宅で地主さんの単独の費用負担で行っています。
その他については、 環境への配慮ということを入居者からもよく申し入れがありましたが、 環境のために手間やお金がかかることを皆さんが納得してつくるのならいいんですが、 そのコストをやはり負担したくない人もいるだろうし、 仕事の関係でその手間を負担できないという人もいるかもしれないので、 できるだけお金がかからないものを選んでもらいました。
そういう人を集めたらいいのではないかという話が地主さんから来ましたが、 僕はそういうやり方はしません。 先ほど触れましたが4、 5ヶ月で参加者を集めるという考えです。 ですから地主さんにも頭を切り換えてもらいました。 例えば死んでしまっている井戸を掘り替えとなると、 お金がかかりますし、 それを全員で負担するとなると、 それを良しとする人としない人がいるだろうということです。
それから京都市の条例に即した中高層の説明を行なうために12月に地元に入りました。 このときに近隣からずいぶん怒られました。 募集する際、 地主さんが「こんなのを建てます」と説明にまわっていただいた時点では何もなかったのですが、 外から来た人間が説明にあがるとずいぶん怒られ、 公成さんとの工事金額の調整の遅れもあり、 結局半年間完全にストップしました。
着工したのは2002年8月です。 この間を含めて、 組合総会を17回、 それから小集会等いろいろやりました。 近隣説明会は正式なものが6回、 それから個別集会を7回以上やっています。
今はちょっと近隣に時間をかけすぎたなと思っています。 やればやるほど折り合いのつかないところがどうしても出てくるので、 ある部分スパッと切っていくほうが、 後腐れがなかったのかもしれないなというのが、 僕の反省点です。
スケルトン定借の仕組みと、
地主の思いと参加者の気持ち
ビジネスデザイン 岡本忠彦
スケルトン定借の仕組み
岡本:
センテナリオの仕組み
センテナリオの数字的なお話をしますと、 保証金の総額が約8000万、 それから年間の地代が420万円くらいになりました。
さまざまな要望のなかから
プロジェクトを進めていくうえで、 設計にお願いしたのは、 ペアガラス、 二重床、 二重天井、 それから三面くらいは光と風を通したいということでした。
着工までの経過
簡単に経過を説明します。 2001年4月にコンペがあり、 その後、 地主さん等とのお話し合いを経て、 2001年9月に募集をかけました。 説明会をやって100人くらいに来てもらいました。 その月中には入居者が全員決まりました。 組合設立は2001年の11月でした。 これは何故かというと、 組合資料を作るのが遅れて11月まで待ってもらったためです。