迷子から二番目の真実[38]

   〜 運命 〜   [98年 9月14日]



 運命を感じるときというのがある。それはたとえば、電車で立ち上がりざまハンカチを落とした女性に声をかけたら目と目が合って「この人だ」と赤い糸が見えるといったつまらないことではなく、もっと己の実存が揺さぶられるような根源的なものを感じる瞬間だ。
「あ、切れた……」
 私が公衆便所に入ると、必ずと言っていいほど、トイレットペーパーの“切れ目”に遭遇する。それはもう、十回に一度や二度といった生易しいものではなく、下手をすると打率は五割になんなんとするのである。これを運命と呼ばずして、なんと呼ぼう。
 カラカラカランと芯が回転する乾いた音を立て、トイレットペーパーは唐突にその生涯に終わりを告げる。じつに腹立たしい。なんの因果で、ほかの誰でもないこの私が、このロールの最後のほうを使ったというだけのために、新しいロールを装着するという面倒な作業をしなくてはならないのか。理不尽である。ロールの断末魔の切れ端でちょうど尻を拭き終わったときはまだいいが(それでも替えなくちゃならない)、そうでないときは、なんとなく拭き足りない尻を持て余したまま、ややこしい手作業をしなくてはならないのだ。ホテルなどに設置されているトイレットペーパーの場合、なにやら説明書きにあるとおりの操作をするやガッチャンと新しいロールが落ちてきて、そのまますぐ使えるようになるという、すばらしい仕組みになっていることもある。が、私が用を足すのは主に会社や駅の貧相なトイレであって、そのような科学の粋を集めた装備は望むべくもない。
 運命を甘受した私は、おずおずと新しいトイレットペーパーの装着に取りかかる。まず、芯を外さなくてはならない。その際、芯に通っている軸がどのようなメカニズムで軸受けに固定されているかを解析するところからはじめるのが良識ある大人というものだ。これがまた厄介であり、妙ちきりんなからくりになっているときなど、二十秒も三十秒も格闘する羽目になる。早く尻が拭きたい。この軸と軸受けのメカニズムはトイレによって千差万別であるが、最近よく遭遇するのは、炭化水素ポリマーの一種であろう、軟らかく弾力のある軸自体が伸縮して軸受けに着脱できるようになっている方式のものである。さて、これを外して眺めてみよう。弾力を持たせるために両端の表面には蛇腹状の線条が切ってある。芯の内面との摩擦を調節するためなのか、表面には、えも言われぬ凶々しい凹凸があちこちについている。この状況でトイレットペーパーの軸だとわかっているからいいようなものの、たとえば、ミシン台の上などにこいつがなんの脈絡もなく放置されていたとしたら、誰もが大人のおもちゃだと思うにちがいない。実際、盗んで帰って使っているやつもいるのではないか。
 不埒な想像を断ち切って、新しいトイレットペーパーをおもむろに手にする。これがまたまた難所なのである。新しいロールの端は、最初、ロール本体に接着されているものだ。これをうまく取り外せたときはいいのだが、うっかりペーパーを縦に裂いてしまうことがある。これはいかん――と、まだ本体にくっついている端を剥離しようと焦ったが最後、そこからまた縦に裂ける。さらに焦ってロールを取り落とすと世も終わりだ。最初の裂け目が一周してきて、いったいどこが正しい末端なのかわからなくなるのだ。セロハンテープで同じ目に会うことも多い。いったい全体、真の末端はどこにあるのかと、手の中でわちゃわちゃになったトイレットペーパーのトポロジーに悩むとき、ふと尻を剥き出しにしたままのわが身が客観的に頭に浮かび、人が生きるということの根源的な意味が垣間見えることであろう。それもこれも、たまたまトイレットペーパーの“切れ目”がもたらした災厄だ。もう少し便意を我慢していれば、あるいは、もう少し早くトイレに駆け込んでいれば、かかる不条理な目に会わずにすんだものを……。家を出るとき犬が騒いで、飛行機に乗り遅れる人もいる。その飛行機が墜落した場合、主人を救った不思議な犬ともてはやされることにはなるわけだが、世の中には、主人を引き止めて墜落する飛行機に乗せてしまった馬鹿犬もやはり同じ確率でいるはずだと思うと、トイレットペーパーの切れ目がなにほどのことかと謙虚な気持ちにならないでもない。このあたりにくると、苛立ちのためになにを考えているのかわからなくなる。
 苦難の末に装着した新しいトイレットペーパーのうち、自分が使うのはほんのわずかである。これもまた、じつに腹立たしい。自分のあとに入る何人かは、新しいロールを取りつけた自分の苦労など、毫も想像せぬことであろう。もうひときばりして、自分が替えたロールを少しでも多く使ってやろうという気になったとしても、責めるわけにはいかない。
 そこで、ひとつ提案がある。トイレットペーパーを取り替える運の悪い人の労に報いるため、何本かに一本は、芯に印刷しておいてはどうかと思うのだ――「あたり。もう一本」と。



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