迷子から二番目の真実[37]

   〜 携帯電話 〜   [97年 4月 2日]



 公衆電話で喋っている人を観察すると、あることに気づく。
 たいていの人は、遠くのほうを眺めやるように喋るか、逆に手元や足元を見ながら喋る。人によっていろいろ癖はあるが、大まかにはこのふた通りのいずれかになるものだ。メモ用紙に意味不明の落書きをしながら話したり、受話器のコードを指で弄ぶなんて人は後者のタイプになる。公衆電話だからこういうことができる。
 ところが、これが携帯電話となると、受話器を肩と耳のあいだに挟んでメモを取ったりするのは至難の技で、通話中に手持ち無沙汰になりがちである。そのせいか、携帯電話の通話体位(?)は、じつにヴァリエーションが豊かだ。
 まず、いちばん多いのが、立ち止まって自分の臍のあたりに向かって喋っている人である。駅のホームなんかだと、右を向いても左を見ても、片手を耳に当てがってうつむいている人でいっぱいだ。鶴田浩二が歌っている姿にそっくりである。最近の携帯電話やPHSはずいぶん小型になっているから、ちょっと見ただけでは電話機が見えない。筋の通らぬ世間に憤っては男の夢を捜しているかのような髪の長い女性を見かけたら、それは携帯電話でお話し中なのである。
“鶴田浩二型”はふつうの公衆電話でもわりと見られるタイプだが、この亜種に属するのが、やはり耳に掌を当てがったまま、自分の額の裏に書いてある文字でも読もうとしているかのように、目だけをクルクルと動かしている人々だ。“バイオニック・ジェミー型”である。鶴田浩二もバイオニック・ジェミーも、その人が喋っている番のときには、「あ、電話をしているのだな」とすぐわかるけれども、聞き手に回っているときは激しく不気味だ。
 携帯電話時代になって出現した新種は、上を向いて喋る人々である。べつに涙がこぼれないようにしているわけではないのだろうが、あれはなんなのであろう。電波というものは、なんとなく上のほうからやってくるにちがいない感じはたしかにあり、このタイプの人は無意識に電波を見ようとしているのだとしか思えない。ひどい人になると、ほぼ真上を見上げて喋っている。鼻毛が丸見えだ。もちろん、こんな極端な人は稀で、たいていは仰角40度くらいで空を仰いでいる。こういうのに出くわすと、こちらも思わずその人の視線を追って、その先になにがあるのか確認してしまったりするのだ。取引先と真剣な商談でもしているのだろうか、やたら切迫した面持ちで上のほうを睨んで喋っている姿は、どこかウルトラ警備隊員のようだ。秘かに“怪獣映画型”と呼んでいる。
 最も気味が悪いのは、凛と真正面を見据えて、なにごとかを喋りながら堂々たる足取りでこちらに向かって歩いてくる人である。うっかり目が合ったりすると、なにやら私の挙動を時々刻々と誰かに報告されているような気がして、はなはだ居心地が悪い。悪事を働いた憶えはないが、思わず謝りたくなる。歩きながら仕事をしているくらいだから、きっと熱い心を強い意志で包んだ人間なのだろう。このタイプは“Gメン75型”と呼ぼう。
 ある日、“Gメン75型”と夜道で遭遇したことがある。その怖さといったら、高速道路の車と同じ速度で窓の外を走っているというお婆さんにも匹敵するものがあった。私が家路を急いでいると、むこうのほうから黒っぽいコートを着た男が、ぼそぼそっ、ぼそぼそっ、と、なにごとかを私に話しかけながら(!)近づいてくるのだ。あまりの不条理感に陶然としながらも、私は息を呑んで身構えた。こう見えても、珠算五級、英検一級だ。私の緊張が伝わったのか、敵も歩調を乱した。お互いを遠巻きにして足早にすれちがったときはじめて、敵が携帯電話で話をしている最中であることに気がついた。

 とにもかくにも、携帯電話というのは、使用者をしてかかる奇ッ怪な姿勢を取らさしめるものなのである。要するに人間は、眼前に相手の姿を見ながらでないと、どうも話しにくいものであるらしい。ひとりでテープレコーダに向かって話してみたことのある人は、それがいかに難しいものかおわかりだと思う。一方、鏡の前に立つと、ついつい自分に話しかけてしまったりする。洗面所で「さあ、今日はしんどいぞ」とか「冗談じゃねえよ、まったく。なあ?」とか、ふとつぶやいてしまったことが一度もないとは言わせない。
 そこで提案なのだが、スチル写真携帯電話というのを作ってはどうだろう。受話器はイヤホンにし、電話機本体のディスプレイには、電話している相手の静止画像がじいっと映るようにする。あらかじめデジタル撮影した自分の“いい顔”を電話機に保存しておいて、通話時にお互いの電話機に送りつけるのである。テレビ電話じゃないから、膨大なデータをリアルタイムで送受信する必要もないし、相手に知られると都合の悪い場所からでもかけられる。なにより、“相手の顔を見ながら話せる”ことは事実だから、携帯電話の手持ち無沙汰感を劇的に軽減できるんじゃあるまいか。どうでしょうね? どこかのメーカの方、お読みでないですか?
 もっとも、そんなたいそうなものを作らなくても、掌にマジックで“ニコニコマーク”を描いておいて、そいつに向かって謝ったり、愛を囁いたりしても効果はあるとは思うのだが……。



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