『ダイヤモンド・エイジ』
ニール・スティーヴンスン
日暮雅通訳
早川書房
 一九八○年代、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』がわれわれの心象としての近未来像をよくも悪くも衝撃的に輪郭づけてしまったように、ニール・スティーヴンスン『ダイヤモンド・エイジ』(日暮雅通訳・早川書房・三○○○円)は、あの〈二十一世紀〉なる言葉の魔法が解け、象徴としての未来が失われたいま、新たな未来の亡霊としてわれわれにつきまとうであろう作品だ。ナノテクノロジーがありふれた日常として普及した二十一世紀中葉、ネーション・ステートを成立させていた物理的な箍は必然的に弾け跳び、生産の軛から解放された世界は人種・宗教・イデオロギーから趣味嗜好にいたるまでの雑多な絆によって成る数々の〈国家都市〉【ルビ:クレイヴ】のキメラとなっていた。ヴィクトリア時代的精神を拠りどころとする貴族フィンクル=マグロウ卿は、ナノテクの粋を集めた孫娘の教育用双方向デバイス〈若き淑女のための絵入り初等読本〉を技術者ハックワースに開発させるが、自分の娘のためにとハックワースが不正コピーした〈初等読本〉が、ひょんなことから貧困層の幼女ネルの手にわたり、彼女を教育しはじめる。万能情報端末〈初等読本〉が紡ぐ物語は、それを親代わりに成長してゆくネルを通じて現実の世界と相互侵食し、やがてリアルな力となってゆく――。科学技術的なディテールへのこだわりを見せつつも、あくまで人間と社会の変容を描くところに軸足を置いた骨太な傑作である。

『サムライ・レンズマン』
古橋秀之
徳間デュアル文庫
 古橋秀之『サムライ・レンズマン』(徳間デュアル文庫・七三三円)は、E・E・スミスの古典スペースオペラ《レンズマン》シリーズの外伝的作品。日本刀を携えた盲目の日系レンズマンが悪を討つ痛快活劇だが、危惧されるようなイロモノでも、凡庸な企画モノでもない。独立したSF小説として充分に歯応えがあり、そのうえに先人の創造をよく活かしている。スミスの遺族に正式に許可を取ったというだけのことはある快作だ。

[週刊読書人・2002年2月8日号]

(C)冬樹蛉



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