『竜とわれらの時代』
川端裕人
徳間書店
 恐竜小説なるカテゴリーを立てれば、およそあらゆるジャンルと交わるのではないかと思われるほど、恐竜はさまざまな描かれかたをしてきた。SFに限ってさえ、レイ・ブラッドベリ風のノスタルジックな叙情派からロバート・J・ソウヤーのようなウェルメイド科学法螺話まで、スペクトルは幅広い。それにしても、川端裕人の『竜とわれらの時代』(徳間書店/二○○○円)には驚かされた。恐竜に憑かれた日本の片田舎の少年・風見大地は、古生物学徒となりアメリカに渡ったが、少年時代にハンマーをふるった地に狙いを定めた発掘プロジェクトで帰郷、世界最大級の首長竜[※註1]化石を発見する。そのころアメリカでは、大地の指導教官で恐竜研究の大家であるマクレモア教授が、何者か命を狙われていた。資金援助を申し出てきていた謎の「財団」の助力で、教授は間一髪で爆破テロを逃げ延びるのだったが……。さまざまな民族文化・イデオロギー・宗教を体現する登場人物一人ひとりが、みな同じ“恐竜なるもの”という楽譜を手にそれぞれの音色を粒立ちよく奏で、9・11以降の「われらの時代」を躍動感と不協和音に満ちた交響楽へと謳い上げている。“恐竜なるもの”は、アメリカの、巨大科学の、宗教のメタファーとして重層的に機能しつつ、ついには作品自身の構造とも重なり合う。同音量でせめぎ合う絶望と希望は、多様性への讃歌であり、パクス・アメリカーナへの挽歌でもある。万人必読の問題作。

『グラン・ヴァカンス 廃園の天使I』
飛浩隆
ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
 飛浩隆『グラン・ヴァカンス 廃園の天使I』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション・一六○○円)は、もの憂い永遠の午睡の夢がごとき作品で、J・G・バラードの『ヴァーミリオン・サンズ』を思わせる。もはや人間が訪れることもない仮想空間内のリゾート地〈夏の区界〉に暮らすAIたちの千年以上にわたる平和を、破壊プログラムと思しき〈蜘蛛〉たちが破る。美しくも残虐なイメージが奔放に乱舞する戦闘描写は、さながら言葉の万華鏡のようだ。

[週刊読書人・2002年11月8日号]

(C)冬樹蛉

[ホームページ版・註1]
 これは筆者のケアレスミス。本書で風見大地らが掘り出す“テトリティタン”は竜脚類という想定であるから、ここは「雷竜」とすべきである。いわゆる「クビナガリュウ」の類は、厳密には“恐竜”ではなく、水棲爬虫類。




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