『忘却の船に流れは光』
田中啓文
ハヤカワSFシリーズ Jコレクション
 閉じた世界の謎を擾乱因子としての少年(少女)が解き明かし世界を外に開くという黄金の定型が、SFではしばしば用いられる。その定型に、田中啓文が『忘却の船に流れは光』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション/一八○○円)で挑んだ。五階層から成り、階層間を巨大エレベータが往来する“世界”。そこに住む者たちには〈聖職者〉を頂点とする位階があり、各位階の人間は、耕作、警防、生殖、保育、修学などの役目に特化して身体構造が大きく異なっていた。これといった特徴のない人間〈普遍者〉は、数は最も多いがそれらの下級に位置する。〈聖職者〉の若者ブルーは、教会長や先輩たちの陰湿ないじめに耐えつつ、祈りと勉学の日々を送っていた。ある日ブルーは、悪魔崇拝集会の摘発に独断で出動する羽目になり、最高権威〈殿堂〉の有力者に見込まれるが、教会長たちのいじめをさらに煽ってしまう。ヘーゲルと名のる探求心旺盛な〈修学者〉や、母性と娼婦性を併せ持つ〈保育者〉のマリアとの出会いをきっかけに、ブルーは〈殿堂〉の権威に疑問を持ちはじめ、“壁”に閉ざされた世界の正体に迫ってゆく――。曲者作家だけに、定型と見せてズラす展開は誰もが予想するところだろうが、前代未聞の大どんでん返しには納得の脱帽である。真面目・不真面目といった評価は無意味の、堂々たる本格SFだ。

『マルドゥック・スクランブル The First Compression――圧縮』
『マルドゥック・スクランブル The Second Combustion――燃焼』
『マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust――排気』
冲方丁
ハヤカワ文庫JA
 冲方丁『マルドゥック・スクランブル』(「The First Compression――圧縮」「The Second Combustion――燃焼」「The Third Exhaust――排気」/ハヤカワ文庫JA/各・六六○円・六八○円・七二○円)が完結。一度殺され、驚異的な電子干渉能力を得て蘇った少女娼婦が、鼠型万能兵器ウフコックと共にみずからの殺害を立件する闘いを通して、生きる意志に目覚めてゆく。凄惨なバイオレンスに加え、三分の一はカジノでの賭博対決場面という異色作だが、迫力ある美学や価値観がたしかな手ざわりを伴って貫かれており、重量感溢れる独自の世界を創造し得ている。

[週刊読書人・2003年9月5日号]

(C)冬樹蛉



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